教育条例案には、保護者に学校への協力や家庭教育を義務づける規定が入っています。そして学校へ要求を行うことも制限されています。 以下のように、保護者に関しては3つの規制が加えられています。 (保護者) 第十条 保護者は、学校の運営に主体的に参画し、より良い教育の実現に貢献するよう努めなければならない。 2 保護者は、教育委員会、学校、校長、副校長、教員及び職員に対し、社会通念上不当な態様で要求等をしてはならない。 3 保護者は、学校教育の前提として、家庭において、児童生徒に対し、生活のために必要な社会常識及び基本的生活習慣を身に付けさせる教育を行わなければならない。 保護者に「学校の運営に主体的に参画」する義務を課す 第十条で、「学校の運営に主体的に参画」することが義務づけられています。そして第四十六条には、「校長は、部活動については、教員が授業に最大限注力できるよう、保護者の参加及び協力の下、個々の教員に過度に依存することなく実施できる環境の整備に努めなければならない。」とあります。 この条文から、保護者の参画、貢献は、とりわけ部活動に焦点があるようです。校長にとっては、保護者を部活動に参加させることが学校運営上の義務となります。 土日のクラブなどにも積極的に参加することが義務づけられます。夫婦共働きや一人親の家庭などは参観日などの学校行事に参加できるかどうかがやっとのことですが、一律に参加義務が課せられることになると大変です。参加できる保護者と参加できない保護者の間にも対立が生まれてしまいます。 保護者は学校に不当な要求をしてはならない ところが他方で、保護者は「社会通念上不当な態様で要求等をしてはならない」と、学校への意見表明・要求は禁じられています。「社会通念上不当な態様」とはなにか、極めてあいまいです。保護者があつまって校長に対して学校運営方針について改善要求をするようなことも禁じられることにもなりかねません。つまり、保護者も教職員と同じく、ひたすら学校と校長に奉仕し服従させられる対象となるのです。 (その六)で紹介したように、一見保護者からの法外な要求と思えたクレームもよく話し合ってみるとお互いの誤解で、学校運営の改善に役立ち風通しがよくなった、むしろ信頼関係が深まったという事例もすくなくありません。このような条文は学校と保護者との相互理解さえシャットアウトしてしまうものです。 保護者は、家庭教育をする義務を負う 3つめは家庭教育の義務です。子どもに「生活のために必要な社会常識及び基本的生活習慣」を家庭でたたき込むことが要求されます。 しかし社会常識や基本的生活習慣を身につけるのは家庭だけではありません。むしろ幼稚園、保育園、学校などで社会的に身につけていくものです。基本的な生活習慣や対人関係、つまり他人のことを思いやる行動を身につけることは、豊かな社会生活や人間関係をはぐくんでいくための文化であって、押しつけたり調教したりして育まれるものではありません。ところがこのように条文は、子どもが問題が起こせば「家庭教育がなっていないから」と決めつけてしまう危険があるのです。一部のメディアが、「児童虐待」などが起これば「自己責任論」を煽って親への卑劣なバッシングを加えることがあります。同じく子どもの荒れなどを家庭教育のせいにする論調はメディアなどでも見られますが、それが条例で条文化されるとなると全く別の問題になってきます。 親の職業や家庭環境などにかかわらず、同じように学校教育がなされなければなりません。ところが、子どもの問題行動などが「あいつは家庭教育がなってない子」とレッテルを貼られ、「保護者の家庭教育義務違反」として切り捨てられてしまうならば、公教育の前提が崩れてしまいます。 2011年11月3日 シリーズ:「教育基本条例」の危険 (その一)はじめに――大阪の学校教育を破壊する「教育基本条例」 (その二)「教育行政への政治の関与」「民意の反映」とは、“大阪の教育はオレの好きなようにやらせろ”ということ (その三)府立学校長からも批判噴出――10月3日維新の会と府立学校長との意見交換会議事録より (その四)教育をすべて競争にしてしまう (その五)グローバル社会を批判する人々は矯正が必要? (その六)教職員間の信頼関係を根底から崩し、教員をつぶしてしまう (その七)教育基本条例は、"集団的営みとしての教育"を破壊する (その八)教育基本条例が依拠するのは、すでに破綻したサッチャー「教育改革」 (その九)保護者に、学校への協力や家庭教育の義務が課せられる (その十)児童・生徒への「懲戒」条項 (その十一)寸劇「ユーケーリョクのコーシ」(家庭教育義務違反の悲劇) (その十二)橋下語録に見る教育基本条例の危険性 (その十三)学校協議会が、校長・教員の評価、学校評価、教科書選定の権限をもつ強大な権力機関に (その十四)重要なのは教育の質より生徒の頭数??――理不尽な競争に駆り立てられる公立・私立高校 (その十五)たとえ「民意を反映した」政権でも、教育への政治介入は許されない (その十六)軍国主義教育(上)──教職員と教育の統制・支配から「教育の死」へ (その十七)軍国主義教育(下)──教科も行事もあらゆるものが天皇賛美・戦争遂行の道具に |
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