(その六)で、現在超多忙でストレスを抱えている教員に必要なのは、管理・強制や懲罰ではなく、自由にものを考え、教える環境を整えること、学校現場で皆が協力して教育する信頼関係を築くことが重要だと書きましたが、このことは教育理論の面からも主張されています。 大阪府で、教職員の評価を給与に反映させる「教職員評価育成システム」を巡って争われている「新勤評反対訴訟」(現在最高裁に上告中)で提出された一橋大学大学院社会学研究科准教授中田康彦氏の意見書は、教師も同僚も、子どもや保護者の要求に耳を傾け、協力して教育活動をすることが子どもの学ぶ権利を保障することだと主張します。そして、教育活動における教員の協働性が崩れた場合は、教員の資質向上や子どもが学ぶことに対して致命的な打撃を与えると警告しているのです。 ※平成21年(行コ)第15号 自己申告票提出義務不存在確認等請求控訴事件鑑定意見書(新勤評訴訟団) http://www7b.biglobe.ne.jp/kinpyo-saiban/index.html http://www7b.biglobe.ne.jp/kinpyo-saiban/saiban/index.html http://www7b.biglobe.ne.jp/kinpyo-saiban/saiban/kantei090908.pdf 集団的営みとしての教育 中田氏は、"教育を受ける権利を持つのは子どもであり、その子どもの権利を保障するために、教師と同僚教師、子どもや保護者らの教育要求を組織化できるということが「集団的営みとしての教育」を行う上での重要点"と指摘します。 ここで注目しなければならないのは、教育は「集団的営みである」という指摘だと思います。集団的営みとしての教育は、教師個人の専門的知識・技量も必要だが、"「課題を共有し、協働で解決する」実践的力量は、現楊での協働の経験によって培われる"と、「協働」の重要性をことさらに強調しているのです。 ※鑑定意見書より 教員の自由、創造性、責任感を損なってはならない 中田氏の意見書は、子どもと接する教員が子どもの学習権を保障する主体を担っているということを明確にした上で、ILO・ユネスコ「教員の地位に関する勧告」第61項に従い、以下のような職業上の自由を有しているとしています。すなわち、「教材の選択と採用、教科書の選択、教育方法の採用などについて不可欠な役割」「個々の学校や子どもに応じた教育内容と方法を研究する自由」「自らの専門性と研究成果に基づいた教授の自由」。 裁判は、校長が学校の目標を決め、それに従って個々の教員が自己申告票を出すということの是非が争われているものですが、中田意見書は、直接子どもと接する現場の教員が目標設定に関与できないないのはおかしいとしており、校長さえ飛び越え知事が目標設定するという教育基本条例の不当性を明らかにします。 つまり、教科書の選定や教材の選択、教育目標の設定など子どもに教育にかかわることを、当の教員を排除して決定するということは認められないとしているのです。 ※ILO・ユネスコ「教員の地位に関する勧告」 ※鑑定意見書より教育基本条例は、学校教育のあるべき姿、教員が保障されるべき条件と全く正反対のことをもたらそうとしていると言えます。 2011年10月25日 シリーズ:「教育基本条例」の危険 (その一)はじめに――大阪の学校教育を破壊する「教育基本条例」 (その二)「教育行政への政治の関与」「民意の反映」とは、“大阪の教育はオレの好きなようにやらせろ”ということ (その三)府立学校長からも批判噴出――10月3日維新の会と府立学校長との意見交換会議事録より (その四)教育をすべて競争にしてしまう (その五)グローバル社会を批判する人々は矯正が必要? (その六)教職員間の信頼関係を根底から崩し、教員をつぶしてしまう (その七)教育基本条例は、"集団的営みとしての教育"を破壊する (その八)教育基本条例が依拠するのは、すでに破綻したサッチャー「教育改革」 (その九)保護者に、学校への協力や家庭教育の義務が課せられる (その十)児童・生徒への「懲戒」条項 (その十一)寸劇「ユーケーリョクのコーシ」(家庭教育義務違反の悲劇) (その十二)橋下語録に見る教育基本条例の危険性 (その十三)学校協議会が、校長・教員の評価、学校評価、教科書選定の権限をもつ強大な権力機関に (その十四)重要なのは教育の質より生徒の頭数??――理不尽な競争に駆り立てられる公立・私立高校 (その十五)たとえ「民意を反映した」政権でも、教育への政治介入は許されない (その十六)軍国主義教育(上)──教職員と教育の統制・支配から「教育の死」へ (その十七)軍国主義教育(下)──教科も行事もあらゆるものが天皇賛美・戦争遂行の道具に |
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