「大阪教育基本条例」案は、イギリスのサッチャー首相による「教育改革」をお手本としているということが大阪維新の会の議員から表明されています。 しかし、サッチャー「教育改革」は、今やそのマイナス面が露わになり、イギリス本国でも見直しがなされています。すでに失敗が明らかになったものを大阪の教育に取り入れようとしているのです。 教育への競争原理導入の目玉としての「全国テスト」 それでは、実際にサッチャー「教育改革」でどのようなことがおこなわれ、それが何をもたらしたのでしょうか。 サッチャー「教育改革」は以下のような内容をもっていました。大英帝国の植民地政策を批判する「自虐史観の偏向教育」を「是正」する、ナショナル・カリキュラムで全国の授業内容を画一化する、全国共通学力テストを実施して学校別の評価を公表し序列化する、強大な権限を持った教育水準局が学校の評価を行い、水準に達しない学校は容赦なく廃校にするなどです。 これらはお互いが密接に絡んでいますが、一言で言えば、教育への市場原理導入によって学力向上を目指し学校を淘汰していくというものです。 中でも最大の目玉の一つは、各学校の子どもに「全国テスト」をおこない、その結果を公表することです。11歳、14歳、16歳の子どもたちの試験結果が、それぞれ、小学校と中等学校のランクとなって、大手新聞に発表されます。そして親はその資料に基づいて学校を選択できるということになりました。学校に対する予算は生徒数によって配分されます。こうして、小学校から学校を序列化し、競争させることによって、「学力」を上げようというものでした。 格差拡大と子どもたちのストレス増大 この政策は様々な弊害を生み出しました。まず、所得格差、貧富の格差に伴う学校間格差が広がりました。希望者の殺到した学校が、住まいが学校から近い順に生徒を採用するなどの基準を設けたところ、多くの家庭が学校周辺に引っ越し、不動産価格を3割も引き上げる現象が全国で起きました。結果的に人気校には裕福な家庭の子どもしか通えなくなってしまったのです。 そして、「全国テスト」の重圧が子どもたちに悪影響を及ぼしました。合格水準のボーダーライン付近にいる子ども(特にテストが実施される六年生児童)は毎年、補習クラスに入れられ、早朝や放課後に補習授業を受けます。小学生がテストのストレスで食欲不振や睡眠障害を起こしているケースも多数、報告されています。 ある男子生徒はこのように語っています。 「六年生になってからの授業はテストのための準備と復習、模擬テストに費やされ、つまらなかった。新しいことは何も学ばなかった。」 不人気校にならないために不正に走る 人気校は十分な予算を獲得できますが、不人気校は定員割れとなり、十分な予算が得られません。この仕組みは不人気校と人気校の格差をますます激しくしていきます。いったん不人気校になれば負のスパイラルを生み出してしまいます。実際に多くの学校が廃校に追い込まれ、地域社会を荒廃させました。 学校の生き残りをかけた競争の激化は、不正事件の土壌を作りました。教師がテスト用紙を事前に見て生徒に解答を教えたり、答案用紙を試験後に生徒に返し、間違えているところを書き直させるなど、これまでに様々な不正が報告されています。ここまで露骨な不正ではなくても、たとえば英語能力が不十分な移民など外国人の子どもが多い学校では、テストの実施日にこうした生徒たちを欠席させたり、別の場所に集めて「研修」させるなど、学校全体の成績に悪影響が出ないような措置が取られたりすることもあったということです。 競争・序列化では学力は向上しない はたしてこのような競争で学力は向上するのでしょうか? イングランドで2005年に11歳児の全国テストで全国トップの成績を収めた小学校の校長は、自校の子どもたちが好成績を収めた理由を「政府指導を一切無視した授業をしているから」と述べました。この小学校では、国語でも算数でも、話し合いを重視することで、問題の解決法は一つではないことを子どもたちは学びます。体育、美術、音楽の時間を犠牲にして特別な「テスト対策」をおこなうこともなく、博物館や公園など子どもたちをどんどん学外に連れ出し、教室では学べない生きた教材に子どもたちを触れさせることを重視しているのです。校長は、学校を競争させて序列化する教育制度に対して、「確実に敗者を作るこのような不公正な教育体制は、到底正当化できるものではありません」と手厳しく非難しました。 弊害をもたらした全国学力テストが中止に 全国テストの弊害が明らかになる中、これまでも統一学力テストの導入に一貫して反対してきたスコットランドは、学習内容をさらに減らして教師に大幅な自由裁量を与え、個々の生徒の需要に合った学習を可能にする改革を進行させています。また独自の学力テストを実施してきた北アイルランドでもテストの公表が廃止され、イングランドにならって全国テストをおこなってきたウェールズでも2006年には全テストが廃止されました。 イングランドでも、ボイコットをする学校が相次ぎ、2010年段階では大幅に縮小された「全国学力テスト」を細々と続けているのが現状です。 イギリスですでに時代遅れになっているサッチャー「教育改革」を手本にする「教育基本条例」案は絶対に成立させてはなりません。 ※参考:『イギリス「教育改革」の教訓 「教育の市場化」は子どものためにならない』(阿部菜穂子著 岩波ブックレットNO.698 2007年4月) 2011年11月2日 シリーズ:「教育基本条例」の危険 (その一)はじめに――大阪の学校教育を破壊する「教育基本条例」 (その二)「教育行政への政治の関与」「民意の反映」とは、“大阪の教育はオレの好きなようにやらせろ”ということ (その三)府立学校長からも批判噴出――10月3日維新の会と府立学校長との意見交換会議事録より (その四)教育をすべて競争にしてしまう (その五)グローバル社会を批判する人々は矯正が必要? (その六)教職員間の信頼関係を根底から崩し、教員をつぶしてしまう (その七)教育基本条例は、"集団的営みとしての教育"を破壊する (その八)教育基本条例が依拠するのは、すでに破綻したサッチャー「教育改革」 (その九)保護者に、学校への協力や家庭教育の義務が課せられる (その十)児童・生徒への「懲戒」条項 (その十一)寸劇「ユーケーリョクのコーシ」(家庭教育義務違反の悲劇) (その十二)橋下語録に見る教育基本条例の危険性 (その十三)学校協議会が、校長・教員の評価、学校評価、教科書選定の権限をもつ強大な権力機関に (その十四)重要なのは教育の質より生徒の頭数??――理不尽な競争に駆り立てられる公立・私立高校 (その十五)たとえ「民意を反映した」政権でも、教育への政治介入は許されない (その十六)軍国主義教育(上)──教職員と教育の統制・支配から「教育の死」へ (その十七)軍国主義教育(下)──教科も行事もあらゆるものが天皇賛美・戦争遂行の道具に |
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