2006年の教育基本法改悪と前後して進行する教育の反動化・軍国主義化を憂えた人々が出版した本の題名に『戦争は教室から始まる−−元軍国少女・北村小夜が語る』(「日の丸君が代」強制に反対する神奈川の会編、現代書館、2008年9月)があります。まさに戦前・戦中、戦争準備は教室から始まりました。教育内容はもちろん、施設・設備等も含めて教育活動全体がいわば天皇の絶対性、軍国主義国家の絶対性の刷り込みにあたり、「優秀」な国民=「優秀な」兵士作りに邁進したのです。 本シリーズ(その十六)軍国主義教育(上)で紹介したような露骨な戦時教育は、はるか以前から準備されていたと言えます。 教室と教科全体が戦意発揚の場に 教室の黒板の中央に「校訓」の額が掛けられ、右上には伊勢の「皇大神宮」の写真の入った額、左上には皇居「二重橋」の写真の入った額、そして皇大神宮と皇居を繋ぐ形で貼られた「國史年代表」、年表の始まりは神代で、次に大和時代とあるが、神代と大和時代の間は、きちんとした境界線はない――これが、戦前・戦中の小学校の教室のありふれた風景でした。 その額の下で、授業が行われ、すべての教科が修身のための教科でした。教育は教育勅語に基づいた愛国的国民を育てるのが目的であり、それを育てるための国語であり、数学であり、理科でした。そして修身科はすべての教科の上にある首位教科でした。国定教科書修身(第三期;1918〜1933)一年生の第一課から第十五課までは絵ばかりであり、教員が教科書と同じ絵を描いた掛図を使い、「教訓」的なことを話しました。第十六課でようやくカタカナが始まりますが、それは「テンノウ ヘイカ バンザイ」です。 教員は、我々日本人は天皇陛下のいる「有難い国」に生まれたのだから、国民は忠義を尽くさねばならぬと説きます。日清戦争で喇叭手として戦死したとされる木口小平について第十七課では「キグチコヘイ ハ テキ ノ タマ ニ アタリマシタ ガ、シンデモ ラッパ ヲ クチ カラ ハナシマセンデシタ。」と「キグチコヘイ」が忠臣に仕立て上げられ、第四期には「キグチコヘイハ、イサンデ センジヨウニ オモムキマシタ」とエスカレートしました。教員たちはこれらを生徒の心に熱心に刷り込んだのでした。 音楽教育も「不幸な出発」を遂げました。明治10年代に小学唱歌が作られ、それが歌われることになりましたが、音楽教育本来の教育ではなく、道徳教育のための音楽教育として出発しました。1879年の「教学聖旨」からして、日本はまず忠君愛国で、道徳は儒教であるといい、特定の思想を子どもの脳髄に感覚させるには唱歌が有効である、といいます。とりわけ「君が代」は音楽教科書ではもちろん、修身教科書でも丁寧に記述されていました。また「ひのまる」は歌詞を変えて今も歌い継がれています。 さらに、帝国海軍への誘導の歌「うみ」「山田長政」、兵隊を送る歌「汽車ポッポ」、遺児を励ます歌「お山の杉の子」、護国の歌「われは海の子」、防人を送り出す妻の歌「蛍の光」等々数え上げれば切りがありません。これらを日常不断に子どもたちは歌わされ、知らず知らずのうちに天皇制・軍国主義賛美へと「洗脳」されていったのす。
学校行事、祝祭日行事等を通じた習慣化による心の統制 日常の教育活動とあわせ子どもたちの心に強力に作用したのは、数々の学校行事でした。明治以来祝祭日ごとに学校では行事が数多く行われましたが、それが戦時色を強めながら極端に進んでくるのは、1941年国民学校になった時でした。国民学校施行規則第一条六項には「儀式、学校行事等ヲ重ンジコレヲ教科ト併セ一体トシテ教育ノ實ヲ擧グルニ力ムヘシ」と明確に位置付けています。戦前、祝日は四大節、祭日はすべて皇室行事でした。祝日は式があり、祭日は休みですが翌日話がありました。儀式・行事は祝祭日の他にも色々ありました。 4月は神武天皇祭、天長節、靖国神社の例大祭。5月は「青少年學徒ニ賜ハリタル勅語」の奉読式、海軍記念日がありました。6月の時の記念日は、天智天皇が漏刻を実用化した故事に因むが、天皇の功績を称えるものとして話されました。7月、支那事変勃発記念日。9月秋季皇霊祭。10月は新嘗祭に靖国神社例大祭。教育勅語奉読式。11月「國民精神作興ニ関スル詔書」奉読式。12月先帝祭(大正天皇祭)。新年、紀元節、3月地久節、陸軍記念日、と儀式・行事が目白押しであり、その都度天皇制を教え、天皇を称え、軍国日本が賞賛されました。毎月一日は興亜奉公日(1942年からは毎月八日の大詔奉戴日が代わる)には、武運長久・戦勝祈願の神社参拝をし、お弁当は日の丸弁当を強要されました。 そのほか各学校には学校独自の朝礼、入学式、卒業式、開校記念日、学芸会、遠足、体力測定などがありましたが、それらはみな戦争遂行を目的としていました。「図工は戦意高揚のポスター、作文は慰問文」という時代を経て、遂には、出征兵士の見送り、「英霊」の奉迎、傷病兵の慰問、遺族訪問、援農、工場動員へとエスカレートしていくのです。 上述の祝祭日には、日の丸が掲げられ、式場には「御真影」、そして「君が代」が歌われたことは言うまでもありません。植民地朝鮮では朝礼の際、「皇國臣民の誓詞」を読まされていました。 以上のように戦前・戦中は全教育活動が絶対主義天皇制の賛美、軍国日本の賛美、侵略と植民地支配の正当化に充てられ、次代の「優秀」な国民=「優秀」な皇軍兵士を作り上げることに振り向けられていたのです。そしてこれら全ての担い手こそが現場の教職員でした。 軍国主義教育と「君が代」起立強制条例、教育基本条例 大阪府で6月に成立した「君が代」起立強制条例は、「君が代不起立の教職員は意地でもやめさせる」という橋下氏の発案から始まり、公教育の全面的改悪を目指す「教育基本条例案」へとつながってきています。 不起立を貫いている教職員は公式には府下では数十人といわれ、条例案通りの運用となれば、最後まで抵抗してクビになるか、いやいや従うか、学校を去るかという選択が迫られている状況です。そして起立斉唱している大多数の教職員が強制を不当と感じながらも、自らの意志に反して、イヤイヤ従っている現状があります。 「日の丸・君が代」だけに限って言えば一年のうちの一日か二日(卒業式と入学式)、しかも数分のことに過ぎません。「日の丸・君が代」強制に反対する人でも「その時だけ我慢すればすむこと、教師の本分は教室で生徒に教えることのはずだ」という考えもあります。しかし、統制・強制・支配は卒・入学式の数分だけではなく学校教育全般に及び、学校現場からの自主性、民主主義全般の放逐こそが狙われているのです。橋下氏の言うように「君が代はきっかけ」にすぎません。恐ろしいことは、強制されることにならされ、「苦痛」ではなく「当たり前」になり、さらには抵抗する者を「非国民」などとして敵視し排斥していくことです。 それが、戦前の軍国主義教育がそうであったように、まさにいま学校現場でおこっていることであり、橋下氏の教育基本条例がさらにエスカレートさせようとしていることです。 「日の丸・君が代」は日本の侵略戦争の象徴であるとともに、学校教育の不当支配の象徴です。保護者・市民の立場からは、「日の丸・君が代」不起立を貫いている教職員に対して、一部の「問題教員」がやっているというのではなく、教育現場への締め付け、不当な支配・統制の矛盾が目に見える形であらわれた重大事と考えることが必要です。子どもたちを通わせる学校が、そのような締め付け、強制の場になっていくことこそが問題です。 教育基本条例には、「愛国心教育」という子どもたちの心を支配する教育理念が掲げられており、「グローバル社会に生き残る人材」という国家・資本に役立つ人材作りこそが教育目的とされています。それは、軍国主義下の「国民精神」の高揚、「優秀」な国民=「優秀」な皇軍兵士の育成という目的となんらかわることがないのです。 2011年12月30日 シリーズ:「教育基本条例」の危険 (その一)はじめに――大阪の学校教育を破壊する「教育基本条例」 (その二)「教育行政への政治の関与」「民意の反映」とは、“大阪の教育はオレの好きなようにやらせろ”ということ (その三)府立学校長からも批判噴出――10月3日維新の会と府立学校長との意見交換会議事録より (その四)教育をすべて競争にしてしまう (その五)グローバル社会を批判する人々は矯正が必要? (その六)教職員間の信頼関係を根底から崩し、教員をつぶしてしまう (その七)教育基本条例は、"集団的営みとしての教育"を破壊する (その八)教育基本条例が依拠するのは、すでに破綻したサッチャー「教育改革」 (その九)保護者に、学校への協力や家庭教育の義務が課せられる (その十)児童・生徒への「懲戒」条項 (その十一)寸劇「ユーケーリョクのコーシ」(家庭教育義務違反の悲劇) (その十二)橋下語録に見る教育基本条例の危険性 (その十三)学校協議会が、校長・教員の評価、学校評価、教科書選定の権限をもつ強大な権力機関に (その十四)重要なのは教育の質より生徒の頭数??――理不尽な競争に駆り立てられる公立・私立高校 (その十五)たとえ「民意を反映した」政権でも、教育への政治介入は許されない (その十六)軍国主義教育(上)──教職員と教育の統制・支配から「教育の死」へ (その十七)軍国主義教育(下)──教科も行事もあらゆるものが天皇賛美・戦争遂行の道具に |
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