シリーズ:「教育基本条例」の危険(その六)
教職員間の信頼関係を根底から崩し、教員をつぶしてしまう
  

 本シリーズ(その三)で、大阪維新の会と府立学校校長との意見交換会について紹介をしました。そこで校長が口をそろえて言っていたのは、5段階の相対評価が学校の中にある信頼関係を崩してしまうこと、教員同士、校長と教員、生徒と教員、そして学校と保護者と、あらゆるレベルでの信頼関係を崩してしまうということでした。
シリーズ:「教育基本条例」の危険(その三) 府立学校長からも批判噴出――10月3日維新の会と府立学校長との意見交換会議事録より

 またシリーズ(その四)では、教職員間の競争が煽られ、条例案が学級の問題などをひとりで解決することを奨励し、学校教育で最も大事なものの一つである「協働」や「担任団」の役割などを事実上否定していることを批判しました。たとえば分限処分(解雇)の対象にする可能性のある教員として別表4には「業務を1人で処理することが出来ず、常に上司、他の教員等の支援を要する教員等」が挙げられています。
シリーズ:「教育基本条例」の危険(その四) 教育をすべて競争にしてしまう

 このようながんじがらめの重苦しい規制や懲罰規定は、学校内の信頼関係を根底から崩し、教員をつぶしてしまうものです。あとでも述べるように、うつなどの精神疾患を発症する率が教員は異常に多く、新任教員が着任後まもなく自殺に追い込まれるという事例も後を絶ちません。
 教育基本条例は、現在でも厳しい状況にある学校に対して最後の一撃を加えてしまう危険性さえあると私たちは考えます。

解雇予備軍をあぶり出すための別表3〜6
 別表3〜6は、分限処分に対象になる別表2に至る「可能性」のある教員をあぶり出すためのものです。いわば分限処分(解雇)予備軍が事細かに掲げられています。

 「人事評価の結果が二回連続してDであった教員等」(別表第三)は府議会などでも取り上げられていますが、それ以外にも以下のような例が並びます。

[別表第三]
○「初歩的な業務上のミスを繰り返し、又は業務の成果物若しくは処理数が教員等の一般的な水準に比べて著しく劣る教員等」
○「所定の業務に係る処理の期限を守らず、正当な理由なくその業務を行わない教員等」
○「所定の業務の処理手続を無視し、又は上司への報告、相談等を怠るなどして、独断で業務を行う教員等」
○「業務を一人で処理することができず、常に上司、他の教員等の支援を要する教員等」

[別表第五]
○「教える内容に誤りが多かったり、児童生徒の質問に正確に答え得ることができない等、教科に関する専門的知識、技術等が不足しているため、学習指導を適切に行うことができない教員」
○「ほとんど授業内容を板書するだけで、児童生徒の質問を受け付けない等、指導方法が不適切であるため、学習指導を適切に行うことができない教員」
○「児童生徒の意見を全く聞かず、対話もしないなど、児童生徒とのコミュニケーションをとろうとしない等、児童生徒の心を理解する能力や意欲に欠け」

[別表第六]
○「上司や他の教員等に対する暴力、暴言、ひぼう又は中傷を繰り返す教員等」
○「協調性に欠け、上司や他の教員等ともめごとを繰り返す教員等」
○「粗暴な言動等により府民ともめごとを繰り返す教員等」

 当然暴力、暴言は許されるものではありませんし、粗暴な言動やもめごとを繰り返すことはよくありません。そして、「児童生徒とコミュニケーションできない」「児童生徒の質問に正確に答え得ることができない」「授業内容を板書するだけ」「協調性に欠ける」「業務を一人で処理することができない」などなど、「困った先生」という印象を持ちます。

 しかしながら、一般に社会生活において、とりわけ職場においてコミュニケーションや人間関係というのは社会人が悩むもっとも大きな問題です。いじめやパワハラなども誘発します。個人の責任に解消するのではなく、組織ぐるみで解決しなければならない問題なはずです。

教員、とりわけ新任教員に対して過酷な懲罰規定
 しかしここで問題にしなければならないのは、そういう一般的な問題だけではありません。以下のグラフをみていると、この別表のもっている意味も違って見えてきます。

 これは、愛知教育大学の教職課程の学生に対して、教員になるにあたって不安を感じることを尋ねたものです。
 これをみると、「保護者との関係」がトップにきて、続いて、「板書・発問・応答」、「教科内容の知識」があり、「学級指導・運営」「指導案作成」、そして続いて「子どもとのコミュニケーション」が45%と半分にも上っています。
 つまり、保護者への対応や、板書をすること、どのように質問を投げかけどう回答するのか、十分な教科の知識をもっているか、学級の指導方法、そして子どもとコミュニケーションをするというのは、教員にとって、とりわけ新任教員にとってだれもがすぐにできるような簡単なことではないということです。これらは先輩教員などに教わりながら、あるいは同僚同士の悩みの相談や経験の交流などを通じて発展していくものなのです。
 しかも、思春期にはいる子どもたちとコミュニケーションをとりながら授業に集中させ育てていくというのはとても大変なことです。

 基本条例は、多かれ少なかれ誰もが悩む課題をかかえている教員をどう支えていくのかではなく、行き詰まったり困難に直面している教員をどうあぶり出し、「できない教員」とレッテルを貼り、どう解雇へもっていくかという関心で貫かれているのです。

 しかも「上司への報告、相談等を怠る教員」「上司、他の教員等の支援を要する教員」は問題教員になるのですが、不思議なことに、"部下や同僚の相談に応じない上司"や"部下や同僚を支援せず放っておく上司"などの条文はありません。条例によれば、できないのはその教員がわるいのであり、自分で解決するか、そうでなければ教員を辞めて責任をとらなければならないのです。

 しかしそもそも、条文を読む限りで子どもの教育とは関係のない業務上のミスをしたり、業務の処理能力が遅かったり、書類の提出期限に遅れてしまうというのは、研修センターに送り込むほどの悪い性癖なのでしょうか。全く教員、とりわけ新任教員に対して過酷な懲罰規定というほかありません。

新任教員の自殺の多発 自殺に至らずとも、教員の間にうつなど深刻な精神疾患
 2004年静岡県磐田市の女性教員(享年24歳)、 2005年埼玉県越谷市の男性教員(享年22歳)、2006年西東京市の女性教員(享年25)、2006年新宿区の女性教員(享年23歳)と新任教員の自殺が多発しています。
 いずれも大学を出たばかりの新人教員が即戦力とされ、授業について自由に考えるゆとりも与えられない過酷な状況下で児童・生徒に向き合い、1年も断たないうちに命を絶ったのです。

 2006年に亡くなった新宿区の女性教員について両親は女性教諭の同僚から聞いた話として、かつては教職員たちが職員室にあったテーブルを囲み、悩みを語らっていたが、そのテーブルが撤去されたのをきっかけに和やかな空気は薄れていったと報じます。指導上の悩みや問題を気楽に言い合える雰囲気がなくなったことが新任教師を追い詰めた遠因として指摘しています。そして、「保護者からのクレームだけで人は死なない。教師が支え合える仕組みがないと、子どもたちにとっても悲劇となる」と父親はかたっているのです。子どもの指導をめぐる保護者からの抗議そのものというよりも、先輩や同僚のサポート体制が十分でなかったため新任教員が孤立し追い詰められていったということがもっとも大事な問題と指摘されています。
教育ルネサンス 親と向き合う (1)新人教師自殺 心のケアは…(読売新聞)

 また、2004年に亡くなった静岡県磐田市の女性教員は"学級崩壊に"直面し、当時の管理職から、「おまえの授業が悪いから荒れる」「アルバイトじゃないんだぞ」「問題ばかりおこしやがって」などと責め立てられたことで追い詰められていったと報道されています。
「学級崩壊を苦に自殺、24歳小学校教師の悲痛な叫び」(レイバーネット)

 一連の事態について、教員の精神疾患を治療する東京都教職員互助会運営の三楽病院精神神経科の真金部長は「同僚との会話が少なくなったり、書類の締め切りが間に合わなくなったりと、ささいな変化を見逃さないこと」と、うつや自殺の前兆の発見の重要性を指摘します。
 「書類の締め切りの遅れ」や「同僚との会話」が、決して教員を処分するための材料であってはなりません。むしろ、それぞれの教員の個性や学習の関心、意欲などを大切にし、自由にものを考え、教える環境を整えることこそが大事なのです。それが、子どもへの豊かな教育を保障します。

教員を押さえつけ罰する発想ではなく、自由にものを考える条件作りこそが必要
 教員は現在も、子どもたちに教室で教えるという本来の仕事意外で教職員は超多忙であり、理不尽なまでに過大な仕事をおわされています。その結果うつなどの精神・神経疾患を発症する事例が極めて多いと報告されています。さまざまな書類の提出などの雑務に追われ過重な精神的なストレスを抱えています。
 文科省の調査結果では、うつ病などの精神疾患で09年度中に休職した全国の公立小中学校、高校、中等教育学校、特別支援学校の教員は5458人と過去最高を更新しています。また同年度にうつ病などの精神疾患を理由に退職した国公私立学校の教員は計940人に上り、病気を理由にした退職者1893人の半数(49・7%)を占めています。
精神疾患の教員休職、都市部で高い割合 文科省調査(朝日新聞)
退職教員:精神疾患940人 病気理由の半数−−09年度文科省調査(毎日新聞)

 心身に異常をきたすまでに追い詰められている状況が伝わってきます。そんな状況下で指導上の悩みを誰にも相談できない、「板書の書き方」や「生徒の質問に答えられたか」までが条例に書き込まれ、しかも上司や他の教員に支援を求めることが「問題教員」の一例として条文化されることは、教職員を孤立化させ、事態を深刻化させることになるのは不可避です。個々の教職員を危機的状況にまで追い詰めてしまう可能性があります。
職場の信頼関係を崩すことは、教職員がひとつになって子どもの問題の解決に動くことを不可能にし、学校教育そのものの崩壊に導くことになります。結局は子どもたちの学びの場が奪われてしまうということなのです。

 ところが別表第四には以下のような記述があります。

[別表第四]
○「休職中であるが、今後回復して就労が可能となる見込みがない教員等」

 このほか、"2年の病気休職が終わるのに回復しない""病気休職から回復したが、再び病気休職した"などの場合が解雇予備軍になっています。つまり精神疾患にならないようにまわりから支えるのではなく、また回復し職場復帰できるように温かく見守るのではなく、「病気になったヤツがわるい、早く辞めてもらって次の教員を雇え」という発想です。まさに人格を持った人間としてではなく人材として扱うという考えがここにも貫かれているのです。

 日経ビジネスオンライン10月20日号「日本の教育の崩壊はなぜ起きたのか」では、日本の教員の置かれた過酷な状況や、民間での成果主義の破綻、日本社会の変化を見ずに教育の危機だけを問題にする狭隘さ、民間企業か学校かなどを問わず長期的な視野で成果を評価しなければならないことなど、管理者の立場からですが、きわめてリアルに語っています。以下の図は、日本の教職員が異常に長時間労働に従事させられていることを示しています。しかも、日本の教職員が授業な割く時間、つまり子どもにかかわる時間が、勤務時間の1/3、1/4にしかならないという考えられない生活を強いられているのです。筆者の吉田耕作氏も、「長期にわたる評価を重ねて初めて本当の評価が見える」として、特に短絡的な5段階評価を批判し、最低ランクが5%となつている根拠が全く存在しないことを指摘しています。
「日本の教育の崩壊はなぜ起きたのか」−−「成績」は時と場合によって異なるものである−−(日経ビジネス))

 教育改革を問題にするならば、教員評価云々をする前に、このような過酷な状況をまず変え、教員が余裕を持ち、自由にものを考えることができる条件作りこそが必要です。


(表は日経ビジネスオンライン「日本の教育の崩壊はなぜ起きたのか」より)

2011年10月25日
リブ・イン・ピース☆9+25

[参考]教育ルネサンス(読売新聞)
親と向き合う
(1)新人教師自殺 心のケアは…
(2)「苦情は宝」発想変え対応
(3)安心与える言動磨く
(4)難題解決 専門家が支援
(5)対応力学び 真意酌む
(6)情報共有 トラブル防ぐ
(7)常に子どもを中心に

親と向き合う 2
(1)要望の裏に「悩み」あり
(2)「複数担任」で負担軽減
(3)「苦情は宝」若手育てる
(4)すれ違い 減らす工夫


シリーズ:「教育基本条例」の危険
(その一)はじめに――大阪の学校教育を破壊する「教育基本条例」
(その二)「教育行政への政治の関与」「民意の反映」とは、“大阪の教育はオレの好きなようにやらせろ”ということ
(その三)府立学校長からも批判噴出――10月3日維新の会と府立学校長との意見交換会議事録より
(その四)教育をすべて競争にしてしまう
(その五)グローバル社会を批判する人々は矯正が必要?
(その六)教職員間の信頼関係を根底から崩し、教員をつぶしてしまう
(その七)教育基本条例は、"集団的営みとしての教育"を破壊する
(その八)教育基本条例が依拠するのは、すでに破綻したサッチャー「教育改革」
(その九)保護者に、学校への協力や家庭教育の義務が課せられる
(その十)児童・生徒への「懲戒」条項
(その十一)寸劇「ユーケーリョクのコーシ」(家庭教育義務違反の悲劇)
(その十二)橋下語録に見る教育基本条例の危険性
(その十三)学校協議会が、校長・教員の評価、学校評価、教科書選定の権限をもつ強大な権力機関に
(その十四)重要なのは教育の質より生徒の頭数??――理不尽な競争に駆り立てられる公立・私立高校
(その十五)たとえ「民意を反映した」政権でも、教育への政治介入は許されない
(その十六)軍国主義教育(上)──教職員と教育の統制・支配から「教育の死」へ
(その十七)軍国主義教育(下)──教科も行事もあらゆるものが天皇賛美・戦争遂行の道具に