シリーズ:「教育基本条例」の危険(その四)
教育をすべて競争にしてしまう
  

競争を強制する「教育基本条例」
 「教育基本条例」は、教育のあらゆる部面を競争の場に変えてしまいます。学校間で競争、子ども同士も競争、教師同士も競争、校長同士も競争、です。競争の目的は、「激化する国際競争に迅速的確に対応できる、世界標準で競争力の高い人材を育てること」(条例案第2条)です。これに「愛国心」が結びつけられます。「国際競争」に勝つという国家や企業の経済的利益に、教育を従属させて、そのための道具(「人材」)を作ることが目的なのです。
 10月10日の朝日新聞に載ったインタビューでは、「維新の会」の坂井良和大阪市議が、「教育基本条例」の目的をあけすけに語っていました。「私は格差を生んでよいと思っている。‥‥まずは格差を受け容れてでも、秀でた者を育てる必要がある」。教育の目的は、ごく一部の秀でた者(エリート)を育てることであり、そのために切り捨てられる他の者は、それを甘受せよ、というのです。
「私は格差を生んでよいと思っている」――大阪維新の会の本音(リブインピースブログ)

 これは、教育基本法に掲げられた「人格の完成」、すなわち、子どもたち1人1人の個性に沿った、多様で豊かな人間形成を目指すという教育の目的とは、相容れません。

学校も、子どもたちも、教職員も、校長も、競争、競争、競争‥‥
 「教育基本条例」には、学校同士を競争に駆り立てる規定が並んでいます。当然、学校内では競争に勝つために、子ども同士を競争に駆り立てることになります。
 これまで公開されていなかった、学力調査テストの学校別結果の公開を定めています(第7条)。
 府立高校の学区を撤廃し、府内全域で高校を競争させようとしています(第43条)。
 競争の結果、3年連続で定員割れとなった学校は、統廃合されます(第44条)。
 市立学校の通学区域を柔軟にし、「学校選択制」を導入する、としています(大阪市教育基本条例案の第44条)。
 教職員は、校長により5段階で相対評価され、給与に反映されます。5パーセントは最低のDランクをつけられます(第19条)。2年連続で最低ランクとなると、分限処分の対象となります(別表第3)。
 このほか様々な場合に、分限処分・分限免職の対象になることが規定されています。処分やクビの脅しによって、教職員を、限界を超えて働くような競争に駆り立てるものです。
 別表第2で分限処分の対象を規定していますが、これに該当する可能性のある教職員も、処分の対象としています(第28条・第30条〜第32条・別表第3〜第6)。「可能性のある」という、極めて曖昧な規定で、教育委員会や校長が、恣意的に特定の教職員を処分することを可能にしているのです。
 人員削減や統廃合などの場合も、免職の可能性があります。
 また、学校内では、子ども同士、教職員同士を競争に駆り立てる立場の校長ですが、校長自身も競争に駆り立てられます。校長は任期つきで採用され、任期の終わりに評価が低ければ再任されません。評価の基準は「マネジメント能力の高さ」です。(第14〜15条)

「教育基本条例」による競争は、学校に何をもたらすか(1)――学校は
 「教育基本条例」が成立して、すべて競争の場となった学校の様子を、想像してみます。
 府内全域で学校が序列化されます。高校の場合は大学受験が、小中学校の場合は学力テストと受験が、その最大の指標になるでしょう。知事・市長や校長が立てる目標でも、大学合格者数など「競争に勝つ」ことが中心なるでしょう。
 学校間の競争は今よりもさらに激しくなり、進学校と「困難校」との格差は一層甚だしくなります。予算は進学校につぎ込まれ、「困難校」の教育条件はますます悪くなります。生徒が集まらなくなり、定員割れが続いた学校は、廃止の対象とされます。小中学校の「学校選択制」が導入されれば、こうした競争と格差は義務教育にも広がります。また、在日韓国・朝鮮人の多い地域や被差別部落を抱える地域が忌避の対象とされ、格差や差別を拡大する恐れもあります。地域で教職員や住民らが一体となって進めてきた人権教育や解放教育などの努力がないがしろにされ、敵視されていく可能性さえでてきます。
※学校選択制が学校を廃校にさせ、地域社会そのものを崩壊させていくことについては以下を参照
 [橋下・維新の会の教育基本条例(案)]――学校選択制に警告する番組(リブインピースブログ)

 各学校の最大の関心事は、いかにして受験や学力テストで好成績を上げるか、ということになります。それによって、学校の評価が決まり、校長の評価も決まるのです。校長は、自分の任期中に成績を上げることに躍起となり、それを実現するための方策を、教職員に要求します。

「教育基本条例」による競争は、学校に何をもたらすか(2)――教職員は
 教職員にとっては、校長の評価がすべてであり、従わざるを得ません。教職員同士も競争し、いかにして自分の教える子のテスト成績を上げるかという関心で、子どもたちに接することになるでしょう。校長の顔色をうかがい、ご機嫌を取り、5%のDランクに入れられないよう、気を使います。目は常に上を見て、子どもよりも校長です。
 競争相手なのだから、教職員間の「協働」はほとんど不可能です。問題が起きても、他の教職員が問題を抱えることは、相対評価で自分の評価が上がることになるので、協力せず放っておく方が得です。そもそも自分の時間を削って協力する余裕などなくなります。問題は個々の教職員が独力で解決しなければならないのです。「業務を一人で処理することができず、常に上司、他の教員等の支援を要する教員等」は分限処分の対象です。支援を求めれば「指導力不足」のレッテルを貼られます。問題が起きたことを自体が評価を下げる理由になるので、報告もせず1人で抱え込むことになります。
 教職員の精神的負担は著しく増します。休めば評価が下がるので、病気でも休めず、年休も取れません。病休は2年までしか許されず(別表第4)、それまでに無理やり復帰しなければなりません。「将来回復の可能性のない」心身の故障者は分限処分されます。
 定員割れになりそうな学校では、廃校の危機となり、教職員もクビの恐れがあります。教職員は新入生獲得競争の営業マンになり、教育よりも営業活動に力を割くようになるでしょう。
 テストの点だけを見るのではなく、子どもたち1人1人に寄り添った教育をしようとする一部の教職員は、学校の全体の成績アップに貢献しないとして低評価をつけられ、処分を受け、学校にいられなくなるでしょう。

「教育基本条例」による競争は、学校に何をもたらすか(3)――子どもたちは
 先生が、テストの点でしか子どもたちを見なくなることは、子どもたちに深刻な影響を与えます。成績の上がらない子は、「学校の足を引っ張る」と「お荷物」扱いされかねません。イジメの対象にもなります。そうならないためには、他の子よりもいい点を取らなければなりません。同級生は、力を合わせて学校生活を送っていく仲間である以前に、競争相手です。「国のため、企業のため、国際競争に勝つ人材になる」ことが人生の目標だとすり込まれ、成績のよい子はその目標に近づくための「勝者」、そうでない子は「敗者」とされます。のびのびとした、楽しい学校生活とはかけ離れた、重苦しい、ぎすぎすした雰囲気が教室を包み、子どもたちは窒息するでしょう。こうしたことは、子どもたちの精神に大きな否定的影響を及ぼすことは、間違いありません。
 「敗者」となった子どもたちは、進学するとしても人気のない学校に行かざるを得ません。しかし、そうした学校は予算も削減され教育条件も悪くなり、統廃合され、行く学校がなくなるかもしれません。こうして「勝者」の子どもと「敗者」のこどもの格差はますます拡大していきます。「国際競争力のある人材」になれなかった子どもたちは、学校からも社会からも見捨てられることになるのです。

大阪府教育基本条例
別表第一(懲戒処分関係)

別表第二(分限処分関係)
別表第三
別表第四
別表第五
別表第六

2011年10月17日
リブ・イン・ピース☆9+25

シリーズ:「教育基本条例」の危険
(その一)はじめに――大阪の学校教育を破壊する「教育基本条例」
(その二)「教育行政への政治の関与」「民意の反映」とは、“大阪の教育はオレの好きなようにやらせろ”ということ
(その三)府立学校長からも批判噴出――10月3日維新の会と府立学校長との意見交換会議事録より
(その四)教育をすべて競争にしてしまう
(その五)グローバル社会を批判する人々は矯正が必要?
(その六)教職員間の信頼関係を根底から崩し、教員をつぶしてしまう
(その七)教育基本条例は、"集団的営みとしての教育"を破壊する
(その八)教育基本条例が依拠するのは、すでに破綻したサッチャー「教育改革」
(その九)保護者に、学校への協力や家庭教育の義務が課せられる
(その十)児童・生徒への「懲戒」条項

(その十一)寸劇「ユーケーリョクのコーシ」(家庭教育義務違反の悲劇)
(その十二)橋下語録に見る教育基本条例の危険性
(その十三)学校協議会が、校長・教員の評価、学校評価、教科書選定の権限をもつ強大な権力機関に
(その十四)重要なのは教育の質より生徒の頭数??――理不尽な競争に駆り立てられる公立・私立高校
(その十五)たとえ「民意を反映した」政権でも、教育への政治介入は許されない
(その十六)軍国主義教育(上)──教職員と教育の統制・支配から「教育の死」へ
(その十七)軍国主義教育(下)──教科も行事もあらゆるものが天皇賛美・戦争遂行の道具に