[講演録](その一)

教育基本条例は何をもたらすか 〜東京と大阪の教育現場から〜
  

2012年2月26日 1:30〜4:30
主催:「日の丸・君が代による人権侵害」市民オンブズパーソン
リブ・イン・ピース☆9+25


 2月26日大阪市内で行われた講演&パネルディスカッション「教育基本条例は何をもたらすか 〜東京と大阪の教育現場から〜」の記録をシリーズで掲載します。

第一部 渡部謙一さん講演(1)
(元都立学校校長、「東京の教育を考える校長・教頭経験者の会」、『東京の「教育改革」は何をもたらしたか』著者)

 今紹介いただきましたが、“悪の権化”である東京の校長をやっていた立場です。最後の最後、定年退職の年、例の2003年10月23日、「日の丸」・「君が代」で校長に対する職務命令が出ました。その職務命令を出して、一人の教師が…どうしても立てない。その教師とも話し合ったんですが、自分の意志を貫いた方がいいということになって…。で、処分せざるを得なかった。
 なぜ処分せざるを得なかったかということは、職務命令とは何かというところで話をしますけれども、本当に38年間、現場で教職生活をしてきて最後の最後に、自分の教育信念を裏切る、本当に大きな贖罪を負わされました。今その贖罪を晴らすことはできないんですが…。
 その後、今紹介にありましたように退職した校長・教頭…ほとんど校長なんですが…再任用の5年間はちょっと危ないんで5年たった――もっとも現役もいるんですが――元校長などで、現在130名以上会員がいて活動してます。現場の先生たちを励まそうということでやってきました。
レジュメにそって話します。
レジュメ『東京から大阪へ〜東京の「教育改革」は何をもたらしたか』(2012,2,26 渡部謙一)(PDF)

そもそもは自由の雰囲気の都立高校
 1995年に私は教頭になりました。騙されてなったんですが…(笑)。その時から東京の「教育改革」が始まったんですね。この10年間はものすごく急激にがらっと変わりました。とりわけ私が校長になった1999年に石原都政が誕生して…。とにかく橋下さんによく似てますね。この二人は。なんていうか偏見と独断に満ちた傲慢さ、やりたい放題、言いたい放題、それでその後一切責任を取らない。そういうところがよく似てるんです。たいへんな10年間だったんですが、今の大阪を見るともっとたいへんになるんだろうなという気がしてます。

 「I かって都立高校があった」(レジュメの項目)というのは、東京の教育がどうであったかということです。
 ここに書いてあるのは教育委員会が出した文章です。破線の中の文章をちょっと読みます。
 「学校は、校長を中心として自主性・創造性を発揮することによってその効果が上がるものである。そのために学校の管理機関である教育委員会は、校長へできるだけ権限を委譲して学校との協調・連携化を図る必要がある。」
 「教育課程の編成については、学習指導要領および教育委員会が定める基準によるとしているが、教育委員会への届け出事項とされており、その編成主体は学校にある。学校の責任者は校長であるから、教育課程の編成の責任と権限は、最終的に校長に帰属する。校長は当該学校の各職員と協議しながら、自ら研究し創意と工夫をもって教育課程の編成に当たるべきであり、その面において主体性を発揮すべきである」
 「学校には…校長、教頭、教諭、養護教諭、事務職員、助教諭、養護助教諭、講師、実習助手、技術職員のほか、学校栄養職員、給食調理員、学校用務員など数多くの職種の職員がいる。…学校はこれら多くの職員によって、校長を中心として児童・生徒に対する教育の場として運営がなされなければならないのである。」
 私が教頭になった時は、教育委員会はこのように言ってきたんです。

 そして東京は、(レジュメの)(1)(2)(3)で書いてあるように、学校の自治と裁量が、日本の各県の中でも最も認められていたところなんですね。勤務時間の割り振りなんてありませんでしたし。
 例えば「日の丸」「君が代」問題に関しても他局からの圧力がかなり強まってはいたんですけれど、当時の指導部長は、「『学習指導要領の総則で、教育課程は「各学校においては…適切な教育課程を編成するものとする』」とあり、「その主体は学校にあるんだ」と言い、「したがって教育委員会がその内容にまで介入することはできない」と言って、外からの圧力をはねのけてたんですよね。そういう時代だったんです。
 第二番目は、「全教職員の協議と主体に基づく学校運営」ということです。私が教頭になって、最初に赴任した時の校長はかなりきつい校長だったんですが、しかしその校長にだって、私はしょっちゅう帰りに誘われていました。「残っている必要なんかない。早く帰ろう。管理職がいなければやっていけないような学校はろくな学校じゃないぞ」「先生方に任せればいい」と言っていた。
 職員会議は、…まぁ職員会議のあり方についてはいろいろ議論があって、私も率直に言えば、異論があるかもしれませんが、“最高議決機関”であるという考え方はずっと取ってきませんでした。多数でもって教育方法や内容を決めることは教育になじむのかということですね。やっぱり一致で教育を作り出していく場が職員会議であると、これはあとで言いますけども、そういう場であったんですね。
 それから三番目には(レジュメを見て)先生たちの自主研修というものが、本当に奨励されていました。これも異例なんですが、東京の場合には、私が新任で入った時から一貫して、研修日というものが週1日あったんです。その頃はまだ週5日制じゃありませんから、月曜から土曜の中で先生たちで平等に割り振って、水曜日は全員が揃う職員会議があるから、それ以外の日で、7、8人ずつ月曜日の研修の人って、年々変えてですね。要するにその曜日は学校に来なくていいんです。まぁ大学並みだったんですね。そういうものであったし、あるいは私も1年間一橋大学に長期派遣研修生として給料もらいながら大学に通いました。たまたま私は一橋大学の塀ぎわに家があったもんですから、こりゃいいやっつって(笑)。大学も週3日くらい。その担当の教授がね、あとは家で勉強してろというようなことを言っていました。あるいは1ヶ月間長期海外派遣研修ということで私も韓国、アメリカ3カ所、それからオーストラリアと1ヶ月間、研修出張で行かせてもらいました。そういう、とにかく先生方は勉強しろと奨励されていた。今これらは一切ありませんよ(笑)。

 服務なんか…、橋下さんも「服務、服務」と、「服務の厳正」と言ってますが、これも後から話しますが、東京はものすごいですから、私も校長になってから5回処分を受けました。先生方の服務問題で。私自身のことも一つあるんですけれどね。それが、本当に急激に危機的な状況になっているんですね。

教育の危機は、彼らの危機。われわれは危機に希望を見いだす
 しかし、最初に私が言いたいなと思うことは…。
 最近、現在教育の危機が言われています。東京から全国へと石原は…、橋下さんも大阪から全国へということで広げようと、変えようとしている。私は教育科学研究会の会員でもあるんですが、今、青年教師問題がたいへんですから、その中の研究会で、青年教師を中心とした「教師の危機と希望」という分科会を持つようになったんですね。それにずっと所属してるんです。するともうたいへんですね。三日間の討論の中で危機だけがわーっとでてくる。希望なんか一つも出てこない。そういう状況の中で、私は危機――我々に課せられている危機と見えるもの――が去れば、希望が生まれるのだというんではないんではないかというふうに最近思うようになったのです。
 考えてみれば日本の教師の歴史の中でだって、戦前から危機のない時代なんかなかったわけです。教師はいつも危機。その危機と闘うことそのものに希望を見出してきたわけであって、逆に言えば、変な言い方ですが、危機が希望なんだというふうに最近思うようになったんです。それは逆にいうと、どういうことかというと…。例えば石原にしても橋下にしてもあまりにも異常ですね、常識的に考えても。
 例えばつい最近、東京は早稲田大学で入試をやりました。それで「日の丸」・「君が代」問題の文章が出たんですね。「日の丸」は強制すべきではない、強制はおかしいという文章でした。それについて処分者は誰かという、わけのわからない設問がありました。そういうのが入試に出た。そうしたらば、キ教育委員会はすぐにこれに反応して、そこを受けた学校、学生の人数、早稲田大学の選択科目の政経か何かなんですが、それを調査している。こんなことは考えられないことです。そこまでも敏感になっている。
 橋下さんもそうですよね。組合条例から教育基本条例、思想のアンケート、メールの調査、それから義務教育の留年制まで――尾木さんの言うことを歪めてこう言い出した。それは考えてみれば、我々の危機ではなくて彼らの危機なんだと。都の教育委員会が、橋下さんが、それほどまでに危機を感じているんじゃないかというふうに私は捉えるようになったんです。そういう意味で、これから何が彼らの危機なのかということをおさらいしておきたいと思います。

東京の政治介入――議会の支配から政治による直接支配へ
 (レジュメの)「II 東京の教育改革から何を学ぶか」ですが、私の経験した10年間の東京の教育改革というのは、第一段階は議会、議会の圧力、教育委員会による学校支配へと、さっき言った「教育委員会は学校に権限を委譲して」と言っていたのがそうじゃないというふうに変えていった。
 そして石原氏の登場によって「政治による直接支配」。それが第二弾。
 その背景は、東京は石原知事が登場する前から圧倒的なオール与党なんですね。大阪維新の会も過半数…そんなもんじゃないです。すべてそのまんま。だから教育委員もたいへんな5人が、石原を支える特別な教育委員会が、何の議論もなく豪語しているわけですから。そういう意味で大阪もそうだと思うんです。結論から言うならば危機というのは、政治情勢を変えない限り駄目なんだということなんですが、そう言ってしまえば何も言うことがなくなっちゃうんです(笑)。しかし、根本はそこにあるんではないかということです。
 例えば、「日の丸」・「君が代」問題でも、我々校長会はさんざん指導されてきました。学部長は「ようやく都立学校が議会の統制に服するというまともな状態になった」と平然と言うんです。すべては「都民の代表である議会の要請によって」という枕詞がつく。橋下さんとまったく同じですね。選挙によって勝った「民意」、「民意」は勝利者であるという、それをかざして強制してくる。そのやり方がまったく同じなんですが、その典型が詳しく後の方に資料としてあります。
 都立養護学校に直接都議が産経新聞の記者をつれて、――なぜ産経新聞か知りませんが――知りませんがというわけじゃないんですが、とにかく産経か読売なんですが――記者を連れてきて乗り込んで教材を剥奪し、先生方を罵倒するという直接的な議会の介入がありました。そして、(都教委によって)この校長が処分され一教員に降格されました。この事件については最高裁でももう処分取り消しの判決がでてます(2010年2月)。もう一つ、教材の持ち去り等の性教育への介入問題で裁判が行われています。我々も要請したんですが、その一審判決で、「都教委は不当な介入から先生方を守るべき義務がある」と述べてるんです。その義務を都教委は果たさなかった。果たさないどころか一緒になって介入してきたわけですから。それは間違いだという判決だったんです。(2011年9月の東京高裁判決でも一審支持)これに対してその処分された人たちに謝罪しろと。一切応じませんでした。その謝罪に。そういうのがまず第一段階。

「多様化」という名の学校の序列化
 第二段階として、「行政が学校を支配する」というのは具体的にどういう形で来たのかというと、これも大阪もまったく同じだと思います。まず、行財政の「効率化」、都財政危機という問題を名目に発する改革というのが行なわれてきたわけですね。その効率化を図って制度の解体と競争教育を持ち込んで教育を受ける権利そのものを破壊している。まず第一に「多様化」。高校、都立学校の「多様化」を図って統廃合を進める。きめ細かな教育のことなんか一切考えない。その統廃合の最大の対象になって切り捨てられたのが定時制です。定時制はもう半数に減らされている。103校あったのが55校、たいへんな状態です。定時制に入れないという状況が都で生まれている。もうたいへんな状態。特別支援学校は700学級が今年の段階で足りない。一つの教室をカーテンで区切って、というようなところまでめちゃくちゃな破壊をされた。
 それで、この「多様化」というのは、大阪の事情はよくわかりませんが、表を1枚入れておきました。
参考―都立高校多様化の実態(PDF)

 これを説明するとなるとたいへんですよね。これだけのいろんな種類がある。一番上の進学重点校7校から、エンカレッジスクール、リーディングコマーシャルハイスクール、これざーっと見てわかりますか、その中身が。私だってわかりませんね。下にちょっと説明がありますが、中学の進路指導の担当先生だってわからないですよ。中身がどうなってんだか。
 私、あの本(著書『東京の「教育改革」は何をもたらしたか』)にも書きましたが、冗談じゃなくて、何が愛国心教育かって、日本語なんか使わないで、なんか英語だかなんだかわからないようなこんな…。「愛国心」だのなんだの偉そうに言う資格がないって言ったことがあるんですけれども、本当にひどいものです。
 例えば「エンカレッジスクール」というのはどういうものか、3校あるんですが、入試も筆記試験はやらないんです。やってもできないから。みんな同じだから。0点とか10点とか。午前中は30分授業です。2人担任がついて。午後は体験学習を中心。定期考査もやりません。やってもできないから。みんな同じ。ある教育委員は「落ちこぼれ学校」と言えばいいんだというわけです。そういう学校まで作る。それで学区撤廃をして、その学校選択制、学力テスト、学校評価で競争させる。
 この問題では、私は二つ言いたいんですが、一つは、この多様化というのは、高校の制度改革から始まったんですが、絶対に高校段階に留まらない。どんどん下へ降ろしていって、小学校、中学校からの「多様化」を形成してるんですね。東京の場合には、もう小学校を学校選択制にしていくわけでしょ。23区のうち19区がもう選択制導入。市部は26市あるうち9市が学校選択制を導入している。そして最低基準が150から180人と決められたんですね。そうすると、生徒が、人口がどんどん増えているのに、この間、その基準によって150校以上の小中学校が廃校にされている。


小中一貫校の異常さと、競争からさえ排除される子どもたち
 それから、もう一つは、それを廃校にするのに、全部ただやめさせたわけではありませんが、小中一貫校を作っているんですね。品川区なんかが典型ですが、これがまたたいへんですよ。これも(レジメに)ちょっと書きましたが小中一貫校。ある学校は、地上5階建て、地下2階建ての巨大校舎。生徒は1200人。小学校5年からもう教科担任制。定期考査を組み込む。中休みも取らない。一番たいへんなのは、運動会なんかどうやるのか、常時ひとつの競技で300人以上の生徒がグラウンドにいる。もちろん父母席なんて作れませんから、校舎の2階3階のベランダに父母席を作る。うちの子はどこにいるのかな。全然わからないんですね。変な意味じゃないですけれど、親の不満はそれが一番大きいんですよね。そりゃ大事な自分の子どもが…。そういう校舎まで作って早期から競争してる。必ずそういうふうに(小学校にまで)降ろされているということですね。
 それから二点目に言いたいのは、学力競争、競争教育というのは、たんなる序列化ではないということですね。上から○○高校…大阪で一校目が何か知りませんが、一番下のランクは○○高校…と序列化するというのではなくて、その競争からも除外され、周辺に追いやられる生徒を多量に生み出していく。さっき紹介した「エンカレッジスクール」で生み出されるのは、そういう生徒じゃないですか。もう競争さえもさせない。する資格がない。という層を作っていく。まさにそれが最初に言ったように、競争教育というのは、教育を受ける権利を破壊していく。そういうことがもう起きている。
 大阪の問題でみなさんに話す必要もないんですが、レジメの3頁(2)の矢印に書いた教育基本条例の立案者であると言われている坂井良和大阪市議のインタビュー記事が朝日新聞に載りました。これを読んでたいへんよくわかりました。もう明確にこの人は言ってますね。「人類の歴史を見れば、ずば抜けた人たちが新技術や思想を学んできた。これがないと国際競争を勝ち抜けない」んだと。「まずは格差を受け入れてでも、秀でた者を育てる必要がある」そのために「学区を撤廃し、学校選択制を導入し、学力テストも学校別に公表する。そうすれば親と子が情報をもとに学校を選べる。自分で選ぶのだから結果責任も自分で取る」というまさに今日の新自由主義改革そのものを吐露してるんですよね。
 これは(レジメの)上にも書きましたが、全国的にもそうです。前の中教審の会長である三浦朱門氏もまったく同じことを言っていますね。「限りなくできない者はいいんだ。実直な精神だけをやしなってもらえばいい」と。1パーセントの限りなくできる者をつくる。その人たちがこれからの日本を引っ張っていくんだという考えであって、これは本当に、今言った序列化ではなく、序列化からはみ出る周辺人を大量に作り出していくことなんですね。

(つづく)
2011年3月13日
リブ・イン・ピース☆9+25

教育基本条例は何をもたらすか 〜東京と大阪の教育現場から〜
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