シリーズ「尖閣諸島問題」をどう見るか ──歴史的経緯を中心に
(その4)「棚上げ」合意のもう一つの重大な意味

 本シリーズ(その1)で見たように、日中両国間で尖閣諸島の領有権の問題は「棚上げ」されています。しかしこの「棚上げ」は、日中両政府が「五分五分」で手を打ったというような性格ではありません。「棚上げ」の陰で中国政府と人民が払った犠牲を、日本人は十分認識しなければなりません。

戦争責任を回避したまま、中国との国交を回復しようとした日本
 日本は、冷戦の激化の中で日本を反共の同盟国にするため、米が戦後の対日政策を変えたのに乗じて、ごく少数の国に少額の賠償を払うだけで済ませました。
 1952年、日本は台湾の「中華民国」政府との間に「日華平和条約」を結び、台湾政府の国際的立場が弱いことを利用して、賠償請求を放棄させました。その一方で、日本は、大陸の中華人民共和国政府を承認しない姿勢を続けました。1972年のニクソン訪中をきっかけとして日本政府は中国政府と国交交渉を始めましたが、「日華平和条約」をたてに「戦争状態は終結し、賠償問題は存在しない」と強弁し、戦争責任を回避したまま国交を回復しようとしました。
 この時、中国の周恩来首相は、次のように発言し、怒りを露わにしています。
 日華条約につき明確にしたい。これは蒋介石の問題である。蒋が賠償を放棄したから,中国はこれを放棄する必要がないという外務省の考え方を聞いて驚いた。‥‥戦争の損害は大陸が受けたものである。
 我々は賠償の苦しみを知っている。この苦しみを日本人民になめさせたくない。
 我々は田中首相が訪中し,国交正常化問題を解決すると言ったので,日中両国人民の友好のために、賠償放棄を考えた。しかし、蒋介石が放棄したから、もういいのだという考え方は我々には受け入れられない。これは我々に対する侮辱である。

田中総理・周恩来総理会談記録(1972年9月25日〜28日)(データベース「世界と日本」・日中関係資料集より)

 結果的に、日中共同声明では、「中日両国国民の友好のため」という形で、賠償請求の放棄を盛り込みました。

日本が侵略で中国に負わせた被害と、尖閣諸島の問題を切り離すことはできない
 中国の受けた被害は、将兵の死傷331万人以上、非戦闘員の死傷者842万人以上、公私有財産の直接的損失は、掌握できたものだけで313億ドル以上(1937年6月の米ドルに換算、同年の日本政府の一般会計歳出は7.7億ドル強)に上ります。
※以上の数字は蒋介石によるもので、国民党軍とその統治区域の被害のみを表す。共産党軍とその統治区域を含む中国全体の犠牲者は、軍人・民間人合わせて2100万人(1985年中国共産党の発表)、死傷者総数では3500万人以上(1995年江沢民国家主席の発言)に上る。この他、物的損害も5000億米ドルに上る。

 中国は受けて当然の莫大な賠償を放棄しました。それは苦渋の選択であったに違いありません。日本は、中国と台湾の争いにつけ込んで、賠償を免れました。それだけではありません。日本政府はそれに乗じて、その後も侵略の責任を否定し続けました。これらと合わせて考えると、尖閣の「棚上げ合意」を反故にしようとする日本政府の態度がいかに犯罪的であるか、が浮かび上がります。
 尖閣諸島の「棚上げ」合意と同時に行われた1972年の日中共同声明による賠償請求放棄が、中国にとっていかに大きな犠牲を払うものだったのか。私たちは、このことを十分考えなければなりません。尖閣諸島の問題をこれと切り離して、「高圧的な中国」などとあおることは、侵略戦争の責任を忘れ、中国の人々が日本に示してくれた「友好」の精神に侮辱で応えることにほかなりません。

(シリーズ終わり)
2011年5月24日
リブ・イン・ピース☆9+25


シリーズ「尖閣諸島問題」をどう見るか ──歴史的経緯を中心に
(はじめに)「領土ナショナリズム」と粘り強く闘おう
(その1)なぜ「尖閣諸島問題」が起きたのか
(その2)日本政府による「尖閣諸島は日本固有の領土」という主張は真実か
(その3)日本は、敗戦で尖閣諸島を放棄しなかったのか
(その4)「棚上げ」合意のもう一つの重大な意味