はじめに 中国テレビ★大富チャンネルの番組「国家記憶」が、昨年「台湾海峡の記録」シリーズを取り上げました。平和的統一に向けて動き出した「台湾同胞に告げる書」(1979年)の発表から40周年を迎えることを記念して2018年12月に放送された番組の再放送です。中国と台湾が相互交流と信頼関係の醸成によって平和的統一にむけて努力してきたことがよくわかる内容です。現在、あたかも中国が台湾に武力侵攻するかのような宣伝が米国や西側メディアによってなされていますが、番組自体が説得的な反論になっています。私たちは、このような中台間の平和的統一の動きを見るにあたって、以下の点をあらかじめ押さえておく必要があると思います。 第一に、台湾と経済・文化・人的交流等を進め「平和的統一」を目指してきた中国にとって、わざわざその関係を台無しにするような武力侵攻をする意図も利益も存在しないということです。言うまでもなく、武力侵攻すれば、台湾の島は破壊され、人々は住む家を追われ、インフラも経済・商業施設なども壊されてしまいます。社会活動は大混乱し経済関係もマヒします。多くの人々の血が流れ、怨嗟を残します。そのようなリスクを冒して武力侵攻することなどありえません。 第二に、1971年の国連総会において中国が国連の唯一の代表国であり、台湾は中国の一地域であることが確認されています。それに基づき米国も、中国との上海コミュニケ(1972年)において「中華人民共和国を中国の唯一の合法的政府」と承認し、「台湾は中国の一部である」と確認しています。同じく日本も日中共同声明(72年)で同様の立場を表明しています。台湾を独立国として扱ったり、それと準ずるような関係を結ぶことは、この基本的立場に反することです。 第三に、従って台湾との統一をどのようなやり方で、どのようなテンポで進めるかというのは、中国の国内問題であり、他国が干渉すべき事ではありません。中国においては、侵略戦争と植民地支配によって略奪された台湾を中国に取り戻すことが歴史的使命とされています。それが「核心的利益」と言われる理由です。ちょうど英国の植民地であった香港を返還させたことと同じです。中国が台湾を統一することに反対することは、植民地支配や侵略戦争を認めることになります。 第四に、たしかに中国は「武力行使を放棄しない」としています。この部分だけが独り歩きし、中国が今にも武力行使するかのように報じられています。しかしそれは、他国からの介入や強行的な分離独立の動きに対しては、断固たる措置を執るという意味であり、外からの侵略戦争を許さないという意味なのです。あくまで中国の基本政策は「平和的統一と一国二制度」です。一つの国家の中に、大陸の社会主義と台湾の資本主義の二つの制度が共存していくというもので“統一したら強権的に中国の制度に従わせる”というのではありません。 両岸の人々の自然な感情は「平和的統一」 番組は、1949年10月1日に毛沢東が、中華人民共和国の成立を宣言するところから始まります。続いて、蒋介石の台湾への敗退、38年間の中台断交、大陸と分断され望郷の念を持つ老兵たちの帰郷運動、大陸と台湾との対話の開始、台湾独立の動きに対抗して和平統一政策、大陸と台湾の「双方関係の平和的発展」への自信を表明する2018年7月13日の習近平発言まで、両岸(大陸と台湾)の激動を映像で描いています。 国務院台湾事務弁公室交流局局長・黄文涛(ホァンウェンタオ)は、台湾住民の大陸への親族訪問が可能となった1987年からの30年間を総括して次のように語っています。「1987年から1991年が第一期ですが、この時期は主に台湾の老兵が大陸の親族を訪問していました。次の第二期は1992年から2007年の15年間です。ここでは、双方の交流が実現しました。第三期は2008年から2016年5月です。往来規模が著しく増加しました。これまでにないほど活発化し、交流分野は一層拡大しました。第三期にいわゆる全面的で広域、多層的な双方交流の基本的な構造が作られました」。 この番組を見れば、両岸の人々の自然な感情、歴史的な流れは平和的統一であることが分かります。この流れに逆らっているのが、「台湾独立派」へテコ入れし挑発や内政干渉を繰り返す米国なのです。「一つの中国」は両岸の対話と交流を通じて平和的に実現できることを確信することができます。 大義と情感に訴え中台の対立打開
1979年元旦「台湾同胞に告げる書」が発表され、中国本土と台湾を平和的に統一する方針が公表されました。この発表後、訪米中の鄧小平はワシントンで、「今後、台湾を解放すると言わない」「台湾が祖国に戻ってくれれば、現行の制度を尊重する」と明言しています。 蒋介石の息子・蒋経国は、三不(さんふ)政策(交渉しない、談判しない、妥協しない)を強調していました。中国政府は、蒋経国の心情を変え、大陸との対話に向かわせるため、蒋家の墓を整備し蒋経国の孝心に訴えました。蒋経国の心情に変化が現れました。1982年4月、蒋経国は香港と台湾の新聞に父親を追悼する文章を掲載しました。「父の魂は故郷へ戻り、先祖と共にいると祈る」「親孝行の心を民族と国への愛に拡大しよう」と書きました。 帰郷を願う老兵たちが中台交流の扉を開く
蒋経国は、形勢の変化を悟りました。1987年10月14日、蒋経国は国民党中央委員会で、親族訪問の決議案を可決しました。台湾当局内政部門責任者の呉伯雄(ウーボーシヨン)は言います。「これは重大な決定です。この門は開いたが最後、もう閉じることはありません。必然の結果だったのです。同じ種族、文化を持つ両者を分けてしまうなど、正常なことではなかったのです」。 老兵の多くは、結婚することもなく、故郷に帰れる日を待っていました。いつか故郷に戻りたい。それが彼らの終生の願いでした。老兵の一人、高秉涵(ガオビンハン)は語っています。「台湾に来たときはまだ子どもでした。とにかく母親が恋しくて、手紙を書きました」「生まれ故郷は老兵にとって、命の源と言えます。彼らは母を慕うように故郷を思うのです。どの老兵にとってもその思いは同じです。ただ、故郷にもどりたい、それだけなのです」。 中台で合意した「一つの中国」の原則=「92年コンセンサス」 38年間に及ぶ断交は終わりを告げました。数万人の老兵は次々と親族訪問を計画しました。海を越えたこの再会劇は、大陸と台湾の人、経済、文化の交流の扉を開いたのです。
※92年コンセンサスは、1992年に中台双方の代表団によってなされた合意で、中国側の確認は「海峡両岸は共に国家統一を求める努力をする過程で、双方が一つの中国という原則を堅持する」とし、台湾側は同じ表現の後に、「一つの中国の定義について、認識はそれぞれ異なり」「口頭声明の方式で表明する」が加わる。 皇民化教育に毒された李登輝の「台湾独立」の野望 1988年1月13日、蒋経国の死去によって両岸関係は危機に直面します。蒋経国の後を継いだ李登輝が「一つの中国」の原則破棄を画策したからです。中華全国台湾同胞協会副会長・楊毅周(ヤンイージヨウ)が言います。「皇民化教育が李登輝に悪影響を与えました。彼は偏った思想に毒され、『台湾独立』の野望を持ちます。彼の『台湾独立』の信条やその画策は両岸関係に破壊的な影響をもたらしました」。李登輝は、安倍元首相や産経新聞や旧日本軍関係者、日本会議を含む日本の極右戦力と強力な人脈を持っていました。 李登輝は就任当初、表向きは蒋経国の政策順守をアピールしました。1990年10月、台湾当局は国家統一委員会を設立し、翌年2月、国家統一綱領を提出しました。この時期、大陸と台湾は同じ目標の下に、人材、貿易、教育といった様々な交流を拡大していったのです。しかし、李登輝は徐々に正体を現し、国民党内の「一つの中国」の有力な同調者を次々と党の指導部から排除していきました。 2000年の台湾の総統選で李登輝は国民党を分断し、民進党の陳水扁(チェンシユイビエン)当選に手を貸しました。台湾独立を掲げた陳は、台湾の独立を進めます。 中国政府は、「反国家分裂法」で対台湾方針を法律で固め、平和統一の実現を求めました。そのため、中台交流を奨励し交渉と談判を図りました。同時に、台湾を中国から分離させない決意を示しました。 2015年の中台首脳会談と「平和的統一」の流れ
2015年11月、両岸首脳の習近平と馬英九が1949年以来初めての首脳会談を行いました。会談では、92年コンセンサスを改めて確認し、両岸の平和的発展を進めるとの認識で一致しました。習近平は、「66年に及ぶ関係が証明している。どんな困難に見舞われようと長い断絶があろうと我々を引き離せはしない。なぜなら我々は同胞であるからだ。水より濃い血を分けた兄弟だ」と語りました。
2016年に民主進歩党の蔡英文氏が総統に選ばれ、台湾で分離独立派が勢いを増したかのように宣伝されています。米国はそれを後押しし、昨年8月にはペロシ議長が台湾を訪問して独立を煽るような動きを見せました。しかし台湾世論の多数は「現状維持」を支持しており、対立をあおる動きには反対です。それが昨年11月の統一地方選での民進党の大敗北と蔡英文党主席の辞任となって現れました。 私たちは、「台湾有事」を煽る米国の介入と戦争準備に反対し、「平和的統一」にむけた両岸の動きを支持します。 ※「国家記憶」台湾海峡シリーズは、CCTVのホームページやユーチューブなどで視聴することができます(中国語の字幕のみ)。 「国家記憶」台湾海峡シリーズ (1)親族をつなぐための誠実な呼びかけ他 2023年2月14日 関連記事 (No.30)「台湾有事」プロパガンダと日本軍国主義の新段階(3) (No.29)「台湾有事」プロパガンダと日本軍国主義の新段階(2) (No.28)「台湾有事」プロパガンダと日本軍国主義の新段階(1) |
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