シリーズ 「新冷戦」に反対する ~中国バッシングに抗して
(No.29) 「台湾有事」プロパガンダと日本軍国主義の新段階(2)
なぜ米国は台湾に対する介入と中国への国家分裂策動を続けるのか

「92コンセンサス」と「一つの中国」「平和的統一」論
 鄧小平の「改革開放」以来、今日まで中国共産党と国家は「平和的統一」政策で一貫しています。ところが、日本の政府・メディアは一切これを報道しません。さも「武力統一」があるかのように信じ込ませようとしています。中国当局者から時々発せられる「武力統一を放棄しない」は、「西側が武力独立させれば、黙っていない」という意味です。それをねじ曲げているのです。「中国は台湾統一が最優先だ」とメディアが書き立てますが、そもそも「改革開放」以来、台湾との統一は中国共産党の最優先課題ではありません。党大会の方針などでは「中国の経済発展」とそのための「平和的な環境」が最優先課題であり大前提なのです。だから台湾問題については協力関係拡大による長期の平和的統一の模索が基本政策になっています。このような報道も一切されません。

 中台「一つの中国」論、「平和統一」論の基盤は1992年の「92コンセンサス」(九二共識)にあります。それは李登輝政権時代に双方の代表団によってなされたガラス細工のような口頭合意です。中国側の確認は「海峡両岸は共に国家統一を求める努力をする過程で、双方が一つの中国という原則を堅持する」であり、台湾側は同じ表現の後に、「しかし一つの中国の定義について、認識はそれぞれ異なり」、「口頭声明の方式で表明する」が加わります。2008年以降、馬英九政権はこのコンセンサスをベースに中台関係を促進すると表明しました。
 ところが、2016年に誕生した蔡英文政権は「92コンセンサス」否定を具体化し始めます。さらに2017年、トランプ政権が誕生し、台湾への内政干渉を本格化します。米高官を相次いで訪台させる。米艦を台湾海峡に頻繁に航行させ米台共同軍事演習を行う。攻撃性の高い武器を含め大量の武器を繰り返し売却する、等々。台湾を使って中国の神経を逆なでしたのです。さらに、香港で親米英勢力が「香港独立」を掲げて大暴れする中で、台湾でも独立論が勢いを増します。
 それでも習近平国家主席は「平和的統一」を堅持しています。2019年1月の台湾政策に関する重要講和での「習五点」は、トランプ大統領の挑発に対する基本方針を打ち出したものです。建国百年の2049年までの統一を前に出していますが、①平和統一を強調し、それを中華民族の復興とした、②「一国二制度」による統一について「台湾の実情を十分考慮」した台湾方式を提唱、③「武力行使の放棄は約束しない」が、それは「台湾独立勢力と外部勢力の干渉」、つまり民進党の独立派と米国の介入阻止が眼目です。時間がかかっても平和統一をめざすことが中国の基本路線なのです。
「九二共識」(92コンセンサス)はウィキペディアおよび下記の岡田充氏の記事参照。
「虚構の「台湾有事」切迫論 武力行使は一党支配揺るがす」(岡田充、海峡両岸論 第126号 2021.05.10発行)
「習五点」については同じ岡田充氏の「30年内の統一目指すが急がない~習近平の新台湾政策を読む」(海峡両岸論 第99号 2019.02.14発行)参照。

 重要なのは、蔡英文政権が誕生して以降も、台湾当局は公式の「独立宣言」や、公式の「一つの中国否定宣言」を出していないことです。明文化するか否かに関わりなく、このコンセンサスをベースにしなければ「両岸関係は安定しない」ことを民進党も暗に認めているのです。その意味で、この合意は、激動を経た中台関係の重要な到達点に他なりません。
 ところがバイデン政権は、中台戦争への介入を明言しない従来の「戦略的曖昧さ」政策(前提として「一つの中国」の承認がある)を堅持すると言いながら、実際には、「一つの中国」原則を公然と掘り崩し始めました。最近では、ワクチンをわざわざ軍用機で運ぶという挑発も行いました。台湾に貿易関係強化を申し入れました。微妙な中台関係に乱暴に手を突っ込み、「独立」を唆し、公然と軍事挑発と内政干渉を始めたのです。

台湾問題の歴史的起原――中国革命直後の米国の台湾軍事介入と「祖国統一」阻止
 「台湾有事」の侵略的本質は、歴史を振り返ることによってより鮮明になります。それは、中国共産党・国家、人民が、なぜ「台湾の解放」「台湾との統一」を「核心的利益」と呼ぶかを、われわれがどこまで理解するかによるのです。一言でいえば、それは戦前から戦後の今日まで、台湾が帝国主義列強による屈辱的な植民地支配の足場、玩弄物にされてきたからです。香港がアヘン戦争以来のイギリス帝国主義の割譲の対象になってきたのと同様に、1895年に天皇制日本軍国主義が日清戦争で台湾を植民地化したことに始まります。
 第2次大戦後、日本に代わって今度は米国が台湾に介入します。この後、米国による台湾への介入は何度も繰り返し続きます。
 まず、中華人民共和国の建国まで、米国は、表向きは「調停」を装いながら、「降伏した」はずの日本軍125万人、400万以上(正規軍200万)の蒋介石(国民党)軍を使って国内戦の後ろ盾となって介入しました。しかし、勢いは共産党と人民解放軍、民族解放と人民戦線の側にありました。ナチス・ドイツと天皇制日本軍国主義に対するソ連と反ファッショ戦争の勝利を背景に、ヨーロッパでもアジアでも社会主義革命の機運が急拡大していたのです。
 米国は恐怖し、流れを押しとどめようと軍事介入を開始します。1950年春には、蒋介石軍は国共内戦で殺戮と蛮行、略奪のやりたい放題で人民から完全に見放されていました。米国は蒋介石を台湾に逃亡させました。中国共産党と中央軍事委員会は、逃亡した蒋介石軍を撃破し、祖国統一を実現するために台湾に進撃する計画でした。ところが、トルーマン大統領が同年6月26日、朝鮮戦争に介入したのです。朝鮮戦争は植民地から解放された後の朝鮮の内戦でしたが、これに「国連軍」の名を装った米軍が介入し侵略したのです。
 1950年6月27日のトルーマン声明を、中国の共産党指導部は直ちに「三路向心迂回」(三方向からの中国侵攻)戦略だと察知しました。現に6月28日には、同年1月のトルーマン自らの不干渉声明を覆して、米国は第七艦隊の武力を背景に「台湾海峡中立化」=人民解放軍渡海阻止を一方的に宣言し、台湾解放を阻止しました。南の方からは、戦後ベトナムに舞い戻ってきたフランス軍が米軍と連携して、中国の南の国境付近を脅かしていました。中国は中越国境付近からフランス軍を駆逐すべく、ホーチミンの要請でベトナム革命に支援に入ったのです。それは朝鮮戦争での国連軍へのフランス軍投入を阻止するためでもありました。
 中国革命、朝鮮革命、ベトナム革命は直接、相互支援し、連帯し合っていました。全てが中国共産党と中国人民が多大な犠牲を払って勝利した1949年10月1日の中国革命からわずか半年後のことでした。朝鮮への米軍の侵略も、台湾への軍事介入も、南部ベトナム方面からの軍事的脅威も、中国革命を叩き潰す米国を中心とする西側の反革命的な野望だったのです。
『アヘン戦争から解放まで』(エプスタイン、新読書社)最終章「解放戦争とその勝利(1946~1949年)」p193~208 参照。
「三路向心迂回」戦略、米国の介入過程の詳細については、朱建栄『毛沢東の朝鮮戦争』(岩波現代文庫)第2章「アメリカの介入に対する分析」第2節「最大のわな」p63~68参照。
中国の解放とベトナムの解放との関係については、『ベトナム民族解放運動史』(小沼新、法律文化社)第2章参照。
今年4月19日のBSフジ「プライムニュース」で、朱建栄氏は、「台湾は中国の近現代史における屈辱の象徴のひとつであり、ここに手を突っ込まれることは断じて看過できない。その意味で中国にとって台湾はまさに『核心的利益』だ」と述べた。その大要は次の通り。
 ――台湾は、中国の屈辱的な近現代史の最後の残存だ。台湾は1895年、日清戦争で日本に奪われ植民地化された。半世紀の植民地支配の後、日本の領有権は放棄されたが(カイロ宣言)、朝鮮戦争時に米によって分裂した台湾が固定化された。
 ――米は、朝鮮戦争勃発3日後の1950年6月28日、第7艦隊を送り込んで台湾海峡中立化宣言を発した。「中立化」といって米は台湾を守り、台湾=国民党政府を固定化した。要するに中国本土と切り離された台湾とは、米国が作り出したもので、これで台湾の分裂が決定的となった。したがって、台湾の統一なしに中国の近現代史は終わらないというのが中国の認識だ。
 ――今回の日米共同声明は、1972年の国交正常化と日中共同声明における台湾の取り決めを転換するものだ。日中国交正常化交渉で、最大のネックとなったは1969年のニクソン・佐藤による共同声明。暗礁に乗り上げたが、最後に日本側が譲歩案としてポツダム宣言第8項(カイロ宣言)を提示し、台湾が中国の一部と認めることでようやく合意した。
 ――最近日米両政府が使う「台湾海峡の平和と安定」とは、台湾を中国から「独立」させる、台湾統一を阻止しようという米と帝国主義の目的を前提にした言葉である。
 ――中国が長期的に経済力を強化することで台湾統一の条件はおのずと出てくる。無理やりに軍事力で台湾統一する必要はない。そうすれば制裁受けて中国経済は崩壊する。だがその前に台湾が独立すれば話は違ってくる。その動きを抑えるための中国の防衛力強化は当然で、中国にとっては台湾問題の将来の問題解決に向けた時間稼ぎだ。

中国テレビ(CCTV)は昨年10月29に、ニュース番組「深度国際」「中国人民志願軍 正義の戦い」で、「中国人民志願軍抗米援朝出国作戦70年」を迎えて記念番組を放送した。大要は以下の通り。
 ――1950年6月25日、アメリカとソ連が引いた後、朝鮮内戦が勃発した。1950年6月27日、トルーマン米大統領は、朝鮮への出兵を発表。同時に第7艦隊を台湾海峡に展開。
 7月7日、アメリカの働きかけで、国連安保理はアメリカが率いる国連軍の創立を決定し、10月上旬に38度線を越え、戦線を中国と朝鮮の国境まで広げ、中国東北部の国境地帯を空爆。アメリカの侵略を受け、1950年10月19日、中国人民志願軍が朝鮮に向かって出発。25日は朝鮮入国後の初めての戦闘。朝鮮戦争は1953年7月27日の停戦合意まで2年9ヶ月続いた。
 ――1950年10月19日、中国人民志願軍の計20万人あまりが中国と朝鮮の国境地帯の鴨緑江を渡って、秘密裏に北朝鮮に入国。アメリカと戦うことは、熟慮して決定された。毛沢東は「これほど苦慮したことはなかった」と打ち明けている。
 なぜなら米中の国力の格差が圧倒的だったから。1950年当時の中国とアメリカの経済力、例えば農業と工業の総生産は100億ドルでアメリカの4%にもならない。鉄鋼の生産量は60万トンでアメリカの1%未満。
 軍事力は、アメリカは原爆など最新鋭の武器を保有し、圧倒的な制空権と制海権の上、機械化と自動車化は地上部隊全体で進んでいた。1師団あたり戦車140両、火砲1500機、自動車3800台。一方、中国人民志願軍全体が所有する火砲36機、自動車は100台に過ぎない。蒋介石軍との激しい戦後の国共内戦を経て人民軍兵士は疲弊し、中華人民共和国の建国からわずか8ヶ月しか経っていなかった。
 ――1950年8月27日から米軍の戦闘機は相次いで、中国東北部の国境地帯の領空に侵犯し、町と村を偵察し空爆した。鴨緑江を越え、中国の安全保障を脅かしてくるとなれば、中国は座視できない。建国した新中国の存在そのものが脅威にさらされた。
 現に、朝鮮で内戦が起こるとアメリカはすぐに中国を念頭に軍事的配備を進めた。朝鮮で内戦勃発の2日後の、1950年6月27日、トルーマン大統領は朝鮮内戦に介入する上、台湾にも出兵すると発表し、ベトナムに軍事顧問団を送って、ベトナム独立運動と戦うフランスを支援する。朝鮮内戦につけ込んで、アメリカは朝鮮、台湾、ベトナム、3つの方向から中国を包囲し、武力侵攻を企てる考えた。毛沢東:「3本の矢が中国に向けられている。」


 米による介入の危機はまだまだ続きます。朝鮮戦争休戦後の1954から55年にかけて第一次台湾危機が、58年には第二次台湾危機が勃発しました。蒋介石軍は占領していた浙江省・大陳列島や福建省・金門島などを足掛かりに、米軍と共に中国大陸への再介入を画策していました。62年には中国の「大躍進」政策の失敗の混乱に乗じて反攻を目論みました。台湾は、中国大陸への軍事攻撃の拠点であり続けたのです。最近、ダニエル・エルズバーグが機密文書を公開し、第二次台湾危機の際に、アイゼンハワー大統領が中国本土への戦術核を使った先制核攻撃を真剣に検討したことを暴露しました。朝鮮戦争の時も米は核兵器の中国に対する使用を検討していました。米ソの核戦争に発展し、台湾や沖縄が灰燼に帰しても構わないと考えていたのです。つまり当時も今も、米国の侵略的好戦的本質は変わりません。
 米の対中封じ込めは、1972年のニクソン大統領の電撃的訪中、79年からの米中外交関係樹立宣言=台湾との断交で一変するまで続きました。「台湾決議」は72年に米議会で全会一致で廃棄され、在台米軍は73年に引き揚げ、79年には米軍防衛司令部・軍事顧問団も撤収し、米華防衛条約も廃棄されました。ただし、台湾に対して軍事的関与を行う「台湾関係法」が同時に採択されたのです。
 このように複数回にわたる台湾への米国の介入が、台湾を巡る米中対立の歴史的な起源です。だから中国の共産党・国家と中国人民にとって、台湾との祖国統一なしに、屈辱に満ちた中国の現代史は終わらないのです。
戦後の米国の対中政策および台湾政策、台湾海峡危機などについては、岩波講座『現代中国』第6巻『中国をめぐる国際環境』「Ⅳ 米中関係の基本構造」(高木誠一郎)、同「Ⅶ 中台関係四十年略史」(若林正丈)参照。

 それから40年が経ち、米国は再び台湾をテコに対中戦争挑発に乗りだしました。米国は、「中台祖国統一」の悲願を弱点と見なし、再び攻撃を開始したのです。しかし、中国人民にとって米欧日連合軍の中国近海への大集結は、朝鮮戦争や台湾海峡危機を想起させるものでしかありません。第二次世界大戦前は中国分割と半植民地化のために、戦後は中国をはじめアジアの社会主義化を阻止するために。そして今回は、叩き潰せず強大化した社会主義中国と国際的力関係の勢いを逆転させるために。いずれも、帝国主義的な植民地支配体制維持が根底にあるのです。
 私たちは、台湾海峡危機には在日米軍基地が絡んでいたはずなのに、ほとんど知りません。朝鮮戦争については、日本の戦前・戦後の侵略と植民地化の歴史との関係でしか捉えて来ませんでした。日本で活動する私たちこそが、もう一度、アジアの近現代史を米国・欧州・日本の侵略的本質、植民地主義的本質を批判・暴露する観点から学び直さねばならないと考えます。過去のことで済ますことは許されません。

2021年6月23日
リブ・イン・ピース☆9+25

シリーズ 「新冷戦」に反対する ~中国バッシングに抗して 「はじめに」と記事一覧

関連記事
(No.30)「台湾有事」プロパガンダと日本軍国主義の新段階(3)
(No.28)「台湾有事」プロパガンダと日本軍国主義の新段階(1)