日本政府は、個人請求権問題は「完全かつ最終的に解決した」と繰り返します。しかし、その根拠である「日韓基本関係条約」「日韓請求権協定」は、米日両政府の圧力で強制的に締結させられたものであり、虚構に満ちたものであり、それゆえ様々な問題を積み残したものでした。「決着した」はあくまでも日本政府の一方的な主張なのです。 日韓国交正常化交渉の第1次会談は、1952年2月に始まり、1965年の第7次会談になってようやく妥結にこぎつけました。その間、対立・紛糾、中断、再開の連続でした。様々な対立点がありましたが、その中心は日本政府が「韓国併合」(1910年)の不法であり無効であることと、個人の損害賠償請求権を認めるか否かの問題でした。 日本政府は戦後一貫して日韓会談開始に反対でした。その際には必ず、日本の朝鮮植民化の非を明らかにし、謝罪と損害賠償を求められるからです。しかし、朝鮮戦争と東西冷戦の中で、米政府は日米韓の緊密な連携と日本による対韓経済援助の肩代わりを求め、日韓両国の交渉を開始するよう圧力をかけました。 交渉が開始されると予測通り、韓国は「1910年8月22日以前に旧大韓帝国と日本国との間に締結されたすべての条約が無効であることを確認せよ」と迫ります。同時に、対日請求権問題が解決しない限り会談続行は無効として、会談は中断しました。 第3次会談では日本代表団主席代表の久保田貫一郎が重大な発言を行いました。韓国代表が久保田に、日本の韓国統治は韓国に恩恵を与えたと考えているのか、と質問したことに対して、「プラスの面もある」と答えたのです。そこで会談は頓挫しました。第7次会談でも高杉晋一・首席代表が、「日本は朝鮮を支配したというが、わが国はいいことをしようとした」「創氏改名も朝鮮人同化政策もよかった」などと外務省記者クラブで発言しました。日本側は、植民地支配を全く反省しない言動を繰り返したのです。 韓国では当初から、米日両国や韓国政府が強引に推し進める日韓会談に対して反対の声が圧倒的でした。特に、学生運動が日韓会談・条約反対の先頭に立ちました。1960年の韓国学生革命の結果、李承晩(イスンマン)政権が打倒されました。第5次日韓会談で、日本は経済援助方式を提案しましたが、韓国野党の猛反対に直面しました。そして第5次会談は、朴正煕(パクチョンヒ)の軍事クーデタ(1962年)によって中断。同大統領は、経済発展5カ年計画及び軍事力強化のため、外貨獲得の必要に迫られ、日韓会談に積極的に譲歩する姿勢を示しました。しかし、1964年頃から韓国において学生を中心とする猛烈な日韓会談反対の運動がおこり、会談は中断を余儀なくされました。 第6次会談も行き詰まっていましたが、佐藤首相が1965年1月に訪米し、米の対韓援助を肩代わりする代わりに、沖縄の返還問題を有利にしようと画策し、ジョンソン大統領に対して日韓会談の早期妥結を誓いました。一方、朴正煕軍事政権は、国内の「日韓関係基本条約」反対運動を力づくで抑え込み、1965年6月、強引に条約・協定を締結しました。 背景には、米ソ冷戦とベトナム戦争の激化がありました。米国は、ソ連のみならず、中国やベトナムや朝鮮民主主義人民共和国などアジアの社会主義陣営への「反共の砦」「出撃基地」として日本や韓国を位置づけていました。米国は、日本の側に立ち、日米韓軍事同盟を最優先するために、韓国の人々の願いを踏みにじったのです。 しかし、米日の圧力で無理やり締結させたため、日韓基本条約・請求権協定には2つの重要問題が残されました。これが今日に至るまで解決されないのです。第1に「韓国併合」の合法性の問題、第2に個人賠償請求権の問題です。 第1の問題は、「1910年8月22日以前に日本帝国主義と大韓帝国との間で締結されたすべての条約および協約はもはや無効(already null and void)であることが確認される」(「日韓基本関係条約」第2条)としたことです。この「もはや無効」という表現によって、韓国側は「韓国併合ニ関スル条約」とそれ以前の条約・協約のすべてが無効であると解釈し、日本側は「日韓基本関係条約」が締結された時点で無効であり、それまでは有効=合法であったと解釈する。これでお互いに折り合いをつけることに合意しました。このようなトリックで、日韓双方の政府は自国民をだましたのです。 第2の問題は、無償3億ドル、有償2億ドル供与、民間借款3億ドルで、補償ではなく植民地化とは何の関係もない「経済協力金」とすることで妥協が成立しました。当時、日本政府は、韓国側が繰り返し要求した過去の植民地支配が不法・無効であると認めることを一切拒み、それによって、不法・無効な植民地支配がもたらした「損害及び苦痛」に対する「賠償請求権(慰謝料請求権を含む)」を否定し、単なる「財産上の債権・債務関係の返済請求」(債権・債務請求権)だけに切り縮めました。しかも、その「債権・債務請求権」とさえ関係のない「経済協力金」を出すことにし、責任を全くあいまいにした形で締結したのです。植民地支配がもたらした被害の賠償は未解決のまま残されたのです。つまり日韓条約・請求権協定が確認したのは、あくまでも「経済協力」であり、「賠償請求権」はおろか「債権・債務請求権」でさえありません。ところが日本政府は意図的に「経済協力」を「賠償請求権」や「債権・債務請求権」と読み替えてきたのです。 要するに、今回の韓国大法院の判断は、日韓条約・協定で、実質的に未解決のまま残されたこの2つの問題を、歴代韓国政府と同様、「韓国併合条約」不法・無効論を宣言する立場から、明確に回答を与えたのです。 まず第1の問題については、日韓双方が自分に都合のよいように解釈してきた「もはや無効」論のトリックを、韓国側の解釈通りに打ち出し、はっきりと「韓国併合条約」そのものの不法・無効を宣言しました。そのことは日本政府の植民地支配は合法だという厚顔無恥な居直りに強烈な一撃を加えることになりました。 第2の問題、朴正煕政権が外貨欲しさに「賠償」を貫けず、「債権・債務請求権」からも後退し、「経済協力金」で妥協した点については、「経済協力金」は賠償ではないのだから、個人の賠償請求権は依然として存続している、という当然の結論を打ち出したのです。 (シリーズ終) シリーズ 韓国・徴用工判決 安倍政権の「嫌韓キャンペーン」を批判する (1)韓国大法院が新日鉄住金・三菱重工業に賠償命令 日本政府と企業は判決を受け入れよ (2)韓国大法院判決が明らかにしたこと(その1)――日本による植民地支配の違法性 (3)韓国大法院判決が明らかにしたこと(その2)――個人請求権の認定。日韓条約で解決済みは暴論 (4)朝鮮植民地支配の実態と強制動員の過酷な実態 (5)「解決済み」でない理由――日韓条約・請求権協定はどうのようにして締結されたか |
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