シリーズ 韓国・徴用工判決 安倍政権の「嫌韓キャンペーン」を批判する
(2)韓国大法院判決が明らかにしたこと(その1)
――日本による植民地支配の違法性

 戦後、日韓外交関係における歴史認識と戦争責任問題の最大の対立点は、天皇制日本軍国主義による1910年の「韓国併合」と36年に及ぶ植民地支配が、国際法違反であり不法・無効であることを日本政府が認めるか否かでした。今回の大法院判決は「日本政府の韓半島に対する不法的な植民支配および侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的な不法行為」を断罪し、日帝の植民地支配そのものの不法・無効性を明記しました。

 今回の大法院判決の核心は、日韓条約で積み残された50年以上未解決の日帝の植民地支配の不法・無効性について法的に決着を付けたことです。日本の政府・メディアは、極右勢力と歩調を合わせて、「いつまで謝罪させるのか、いくらカネを払えば気が済むのか」と反論しますが、日本政府は過去の植民地支配そのものの違法・無効性を認めたことは一度もありません。安倍政権もメディアも、この点については口をつぐみます。

 日韓関係の根本的な改善、真の未来志向を実現するには、「韓国併合」と36年に及ぶ過酷な植民地支配の違法性を、日本政府が認めなければなりません。それこそが本当の反省の第一歩となるものです。これまで日本政府は、河野談話(1993年)や村山談話(1995年)で、「心身にわたり癒しがたい傷」「多大の損害と苦痛」など植民地下で起こった個々の被害は認めたこともあります。しかし、「韓国併合」そのものについては「当時は合法」だと言い張り、真の謝罪と賠償を一切拒否してきました。見舞金を支払ったり、形式的な「遺憾」表明は行っても、植民地支配の不法・無効性については一度も認めず、その上に立って謝罪したことも賠償したこともないのです。
大法院判決は、この日本政府の「戦後責任の取り方」を糾弾し、「不法な植民地支配を前提とする強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権」として、賠償請求を認めたのです。

 日本による植民地支配の不法・無効性はどこにあるのでしょうか? 「韓国併合」とそれに至る歴史過程すべてが、天皇の命令による日本軍・憲兵・警察の暴力的な支配でした。「韓国併合」の過程は、直接的には、1904年の第一次日韓協約に始まります。翌05年の乙(ウル)巳(サ)条約(第二次日韓協約)によって、大韓帝国は外交権をほぼ失いました。乙巳条約は、高(コ)宗(ヂヨン)皇帝と民衆の強力な反対にもかかわらず、日本兵が王宮を制圧し、皇帝と閣僚を軍事的に威嚇・脅迫することによって強制的に締結させたものです。これにより大韓帝国の外交権を剥奪し、統監府を設置し内政権も強奪したのです。大規模な日本軍を派兵し、国際世論に日本の不当な支配を訴えようとした(ハーグ密使事件)高宗皇帝を強制的に退位させ、その子純宗(スンジョン)を即位させました。そして1907年7月、ついに皇帝の同意なしに強制的に丁(チヨン)未(ミ)七条約(第三次日韓協約)を締結させ、韓国軍を解散させ、防衛力を奪いました。その後燃え上がった民族独立闘争を鎮圧する口実で司法権・警察権をも強奪しました。

 そしてこれら国家機構と組織的抵抗手段を全て奪い尽くす総仕上げが「韓国併合」だったのです。これによって日本帝国主義は、植民地統治機関として朝鮮総督府を置き、敗戦まで36年もの長期にわたり、政治的・軍事的支配と経済的搾取・収奪の限りを尽くしました。「義兵蜂起」(1907~9年)、伊藤博文射殺、3.1独立運動、「義兵蜂起」の生き残りによる独立軍の蜂起(1920年代)、朝鮮共産党結成と(1925年)パルチザン闘争、元山労働者ゼネストと大規模な学生運動(1928年)に対して徹底的な弾圧を行いました。
 国家の代表者個人に対する強制によって締結された条約は国際法上、違法・無効です。まさに「韓国併合」とそれに至るすべての日韓諸条約はこれに該当するのです。

2019年1月25日
リブ・イン・ピース☆9+25


シリーズ 韓国・徴用工判決 安倍政権の「嫌韓キャンペーン」を批判する
(1)韓国大法院が新日鉄住金・三菱重工業に賠償命令 日本政府と企業は判決を受け入れよ
(2)韓国大法院判決が明らかにしたこと(その1)――日本による植民地支配の違法性
(3)韓国大法院判決が明らかにしたこと(その2)――個人請求権の認定。日韓条約で解決済みは暴論
(4)朝鮮植民地支配の実態と強制動員の過酷な実態
(5)「解決済み」でない理由――日韓条約・請求権協定はどうのようにして締結されたか