[紹介]ガザ封鎖の中でも屈しない人々の魂を描く
封鎖された街に生きて 〜ガザ ウンム・アシュラフ一家の闘い〜
NHK BS世界のドキュメンタリー“シリーズ パレスチナとイスラエル”
(2008年10月12日放送  2009年2月9日再放送)

 昨年10月に放送され、今回の事態を受け2月9日に再放送された番組だ。全長62キロという延々と続く分離壁の映像で始まる。。イスラエルによって一方的に爆撃・虐殺・破壊され、経済封鎖が今も続くパレスチナ・ガザ地区。そのガザに暮らす女性、ウンム・アシャラフ(60歳)さん一家をビデオ・ジャーナリストの古居みずえさんは、長年撮り続けてきた。封鎖された町に暮らすとはどういうことか。古居さんは2008年3月、アシュラフさんが住むリーチ難民キャンプを訪れ、二ヶ月間、アシュラフさんの家に泊めてもらい、封鎖の町に暮らす普通の人々の日常生活を撮影した。
 それは丁度、ガザ地区が1967年のイスラエルによる占領以来、最悪の環境に置かれているとアムネスティ・インターナショナルなどの国際的人道・援助団体が告発した時期である。ガザは、ガスや電気、水の供給がイスラエルによって制限され、食糧など生活必需品が欠乏し、半飢餓状態に人々は苦しめられていた。
 ウンム・アシュラフさん一家は夫、息子や娘たちとその家族で30人を越える大家族。イスラエルが経済封鎖を強化してすでに10カ月。それは一家の生活を一変させた。「小麦も水も質が悪いのよ」小麦をこねてもビチョビチョでまともなパンを子供に食べさせることができない情けなさ。「洗う水もない」台所は洗い物が山積みだ。水道からたまに出る水はまるで海水みたいなもの。わずかな水での兄弟ケンカ。その台所で大の男が体を洗わねばならない。息子たちがガスを求めて朝の五時から並んでも長蛇の列。イライラが募る。
 三男のムハンマドは、家族のゴタゴタから逃れて海辺に行く。そこではかつて兄弟そろって漁をし生計をたてていた。しかし、イスラエル海軍が海上封鎖をしているため、船すら出せない。コンクリート壁だけではない。イスラエルは海もまた完全封鎖し、生活手段を奪っているのである。封鎖が強化されて以来、アシュラフさんの夫や6人の息子も仕事を失った。アシュラフさんは、鳩をくずパンで育て売りに行って食糧に換えるなど、何とかその日の暮らしを乗り切っていくたくましさを見せる。
 アシュラフさんが生まれたのは1948年、第一次中東戦争の最中だった。以来60年間、パレスチナ難民として生きてきたアシュラフさんは一度も故郷に帰ったことがない。「イスラエルは何が欲しいの? まだ足りないの? 私たちは何も持っていないし、食べ物を欲しがって座っているだけなのに。いつか良い日が来ると思ってがんばって生きるしかないよ。」
 アシュラフさんのように国を追われ、土地を奪われ、水も食糧も満足にない生活を強いられているパレスチナ難民。イスラエルは追い打ちをかけるようにパレスチナ難民の生活の場を爆撃し、虐殺し、破壊した。こんな理不尽が許されるだろうか。
 それにしても男たちが封鎖を嘆き、ときどき弱音を吐くのに対して、女たちが「闘わなければ」「イスラエルに依存しないだけましだ」などと力強く語るのは印象的だ。アシュラフさんはカメラに向かって語る「もし誰かが急に来てあんたの土地を取り上げたらそれを許すかい?それともあきらめて降伏する?・・・奪われるのは嫌だし許せないだろう?・・・自分の国ならなおさらだ。かけがえがないんだよ。」古居さんのカメラは、ハマスの勝利とそれへの制裁としての封鎖戦略、ガザの窮状とそれでも屈することのない人々の魂を見事に捉えている。

2009年2月17日
リブ・イン・ピース☆9+25 T.K.