[投稿]「奪われた人生〜グアンタナモ収容所の真実を語る〜」
不当拘束と拷問の、想像を絶する体験を証言

 11月1日(日)、大阪市内で行われたアムネスティ・インタナショナル日本の企画「奪われた人生〜グアンタナモ収容所の真実を語る〜」に行き、グアンタナモ収容所で5年もの過酷な獄中生活を送った末に釈放されたムラット・クルナズさんのお話を聞いてきました。
スピーキング・ツアー 2009 奪われた人生 〜グアンタナモ収容所の真実を語る〜(アムネスティ・インタナショナル日本)

 グアンタナモ収容所と言えば人権侵害がおこなわれてきた悪名高い施設として知られています。しかし、当事者の語る体験は、これまでニュース等で知り得たものとは比べものにならない、きわめて生々しいものでした。

 ドイツに生まれ育ったムラット・クルナズさん(トルコ人の両親から生まれたので国籍はトルコ)が2001年12月にパキスタンで拘束されたのは19歳の時でした。数ヶ月前に結婚したばかりで、パキスタンに行ったのもイスラム教を勉強したいという思いからでした。ところが、空港に向かう途中の検問所で突然パキスタン当局によって拘束されてしまいました。
 「オサマ・ビンラディンを知っているか?」
 「ドイツに住んでいるのでテレビでしか知らない。」
 そんな受け答えにもかかわらず、クルナズさんは手かせ・足かせをされ、頭に袋をかぶせられ、「テロリスト」とののしられながら殴られ、そして米軍に引き渡されてしまいました。
 米軍でも同じような扱いがなされました。米軍はクルナズさんが誰なのかに全く関心が無く、「私はタリバンもしくはアルカイダであったが、もう戦わないことを誓う」と書かれた用紙に署名をすることだけを強要してきました。もちろん、クルナズさんはタリバンでもアルカイダでもありませんから、そんなものに署名をすることを拒絶しました。すると米軍は電気ショックや水責めによって署名を強要してきたのです。後ろ手に縛り水の中に頭を突っ込ませ、さらに腹を殴って水を飲ませる。こんなことが“拷問”ではなく“water treatmennt(水処置)”と呼ばれているのです。
 どんな拷問にも屈せず署名を拒否し続けたクルナズさんを米軍は頭に袋をかぶせ体を拘束したまま飛行機に乗せました。水も食事も与えられずトイレにも行けないままの長時間のフライトの末、到着した先がグアンタナモでした。
 そこでクルナズさんはごく小さな檻に入れられました。他の収容施設に送られるまでの一時的なものと考えたそこが、クルナズさんが5年間を過ごす場所となったのです。バケツが2つあり、ひとつは水がはいっており、もうひとつは空でした。それが飲み水とトイレだというのです。
 グアンタナモでも激しい拷問が続きました。クルナズさんはドイツ語とトルコ語しかできないのに米軍は英語でひたすら例の用紙に署名をすることばかりを迫ってくるのです。クルナズさんは最後までそれを拒絶し続けましたが、拷問の苦しさから署名をしてしまった人もいました。現在、その人は行方不明だといいます。
 拘束されてから1年たってようやくドイツ語のわかる尋問官がやってきました。しかし、それもクルナズさんの解放にはつながりませんでした。
 「ヒトラーがユダヤ人に何をしたか知っているか?」と尋問官。
 「ドイツの歴史は知っている。」
 「君たちにも同じ事をしてやる。」
 そしてまた署名の強要です。独房に入れられたり、30時間も立つことも座ることもできない同じ姿勢を取らされたりといった拷問が続いたのです。
 収容者の中には子どもも何人もいました。一番幼い少年が9歳で、12歳、14歳の子どもがいました。当時19歳のクルナズさんは自分のことよりも彼らのことを心配しました。当局の目的は自分たちを肉体的・精神的に破壊することだと彼は確信しました。実際、同じ収容所にいた人で、解放されても家族の顔も自分が誰だかもわからなくなってしまった人もいたということです。

 ところが、後になってわかったことですが、2002年にはドイツ政府も米国政府もクルナズさんが無実だということがわかっていたのです。それなのに、釈放されたのは2006年のことでした。その間クルナズさんはまったくといっていいほど外界とシャットアウトされ、自分がどうしてこんな目にあっているのかも、家族がどうしているのかもわからないままでした。
 そしてある日突然、ジーンズを出してきてこれに着替えろと指示され、また頭に袋をかぶせられて飛行機に乗せられました。またどこかに輸送されるのだと思いこんでいたら、ドイツの空港に到着したのです。そこでドイツの私服警官に引き渡され、それからようやく家族と再会することができました。しかし、5年の歳月は重く、妻からは2年前に離婚されていました。
 クルナズさんの話が終わった後、米政府を訴えようと思っていますかという質問がありました。これに対してクルナズさんは「グアンタナモに収容されていた者は米国政府を訴えることができないという法律が制定されている」と答えました。何と理不尽なことでしょう! ドイツ政府の対応も冷たいものでした。ドイツ政府はクルナズさんの無実を知っていたのに4年半も放置したのです。しかし、当時のシュタインマイヤー外相はこの件で謝罪することはないと言い放ったのです。
 グアンタナモ収容所が閉鎖されたとしても(まだそれは実現していませんが)、他にこのような収容所が存在する限り、私は自分の体験を語っていきたいと、クルナズさんは話を終えました。

 そもそもクルナズさんが拘束されたのは、米軍が「テロリスト」を通報した者に懸賞金を出すというビラを大量にまいたために、懸賞金目で“売られた”のだということでした。通報者は3000ドルを手に入れたそうです。パキスタンではとてつもない大金です。外国人やホームレスの人がそのターゲットにされることが多く、グアンタナモに収容された人の95パーセントがそうやって“売られた”のだということでした。
 これは「冬の兵士」証言集会でアフガニスタンに派遣された体験を語ったリック・レイズさんの話ともぴったり符合します。「テロリスト」だという通報に従って拘束した人々の中に「アルカイダ」など一人もいなかったと。
 米軍が「テロとの戦い」でいったい何をしてきたのか、何をし続けているのか、そのことをあらためて感じさせられました。

(この記事はリブ・イン・ピース☆9+25ブログより一部加筆して転載しています)

2009年11月1日
リブ・イン・ピース☆9+25 鈴

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