12月11日、12日大阪府堺市立文化館ギャラリーで、山本英夫さん写真展 「今ココにある普天間・辺野古を開催し、100人以上の方に観覧していただきました。ありがとうございました。フォトグラファー山本英夫さんには、多くのアドバイスをいただき、12日には来場して、写真の解説や自らの思いまで語っていただきました。感謝申し上げます。 山本英夫さんの20枚の写真そのものが「普天間・辺野古、闘い続ける沖縄、問われる私達」を訴えていました。観覧に来られた方は一つ一つの写真にじっくりと見入っていました。 特に多くの人の目を引いたのが、普天間基地のフェンスの中の亀甲墓の写真でした。それは、戦後65年も経つのに時間が止まったままになっている厳しい現実を示しています。山本さんはこの光景を見た時に、胸が震えてしばらく写真を撮れなかったそうです。また、キャンプシュワブでの演習で海兵隊員の銃口がこちらに向いている写真は、私達や沖縄県民に向かっているようでドキリとさせるものでした。辺野古の海に船を浮かべる海人(ウミンチュ)の写真は表情がとても自然で、撮る人と撮られる人との親密な人間関係を示すものとして、たいへん印象的でした。 12日に来館された山本英夫さんは、写真の解説に加えて、県知事選などでの沖縄の状況について、次のような話をされました。 昨年9月の鳩山政権は沖縄に期待を持たせながら、違ったものになった。仲井真氏が『県外移設』を公約した時、県民は沖縄県知事選ではどちらが知事になっても基地問題に変わりはないという意識を持たせられてしまった。さらに民主党がもたらした政治不信の影響が投票率の低下につながった。 沖縄では社民党に21%の支持があり、本土の数%の支持とは雲泥の差がある。政府は毎年6000億円を米軍駐留経費として予算をつけている。米軍地位協定は米軍の勝手放題を許している。 2004年8月13日沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事件では、米軍が何十ヵ所も現場を9日間にわたって支配した。この沖国大事件を、本土のマスコミは小さな記事でしか扱わなかった。米軍の起こす事件は、統計的に見て過去から2倍の発生率に達している。米軍基地は海外に27ヵ所あるが、普天間基地は最もひどく危険な状況に置かれている。 11月の沖縄知事選の取材に行った時、オバアから『ウチナンチューの心をちゃんと伝えてくださいね』と言われたことが印象に残っている。問われるのは私達であることを再確認した。 こうした山本さんのお話を聞いて、大阪・関西の人にもっと写真やパネルを見てほしいという思いを強くしました。 備え付けたノートの中に山本英夫さんから以下のメッセージをいただました。 堺市で私の写真展を開催いただき、誠にありがとうございます。大勢の人々に見ていただき、考える機会になればなによりです。 沖縄は遠いと思われるかもしれませんが、沖縄を通じて、アメリカ、イラクやアフガニスタン、片や中国や東南アジアとのつながりを垣間見れる場所にあることを考えれば、案外遠くない存在なのです。 もちろんそこにはプラスとマイナスの両面がありますが…。 沖縄は1944年あたりから日本軍が基地をつくりだし、1944年10月10日の那覇大空襲から1945年の夏の終わり頃まで戦禍にまみれました。その後今日まで65年間も米軍の占領下におかれているような状態を日米政府がつくっています。私たち日本国民はこうした現実を沖縄に強いている(日米安保体制により)ことを自覚しなければなりません。 先日の沖縄知事選の結果も、民主党政権が沖縄の人々にもたせた「期待」とその後の裏切りが政治不信をもたらしたことが大きく作用しています。 いずれにしてもじっくり見ていただければ幸いです。 また何らかの形で行動にもつながることを希望します。 2010年12月23日
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