[投稿]−読書メモ−
孫崎享著「日米同盟の正体 迷走する安全保障」
日本政府は対米一辺倒からいまこそ脱却すべき

 鳩山民主党政権がとりわけ軍事外交政策を巡って混迷を深める中、孫崎享著「日米同盟の正体 迷走する安全保障」に関する読書メモの投稿があった。自民党政権の末期、麻生政権末期に出版されたこの本の眼目は、従来より日本が軍事外交戦略というものをもたず、いわば米国に付き従うことだけが唯一の戦略であり続けたということを外交文書や発言記録などを使って明らかにした上で、米国と距離を置いて独自外交を進めていくべきと説くことにある。日米安保条約についても、「共同宣言」や事務的な合意文書だけで、条約改定に匹敵する変更を加えながら、国民にまともな説明もせず詭弁に終始する日本政府を指弾している。
 著者の孫崎享氏は執筆当時防衛大学の教授であり、その前は外務省職員として英国、ソ連、米国、イラク、カナダで勤務し、駐ズベキスタン大使、国際情報局長、駐イラン大使を歴任。国際情報局長時代は各国情報機関と交流、2002年から防衛大学校教授として公共政策学科、人文社会学科を歴任し2009年3月退官、という経歴を持つ。支配層の中の軍事外交政策の最先端にいた人物だ。したがって「アメリカ一辺倒では国益を損なう大きな理由」と帯にもあるように、「日本の国益」の立場から発言している点は私たちとは違う。あくまでも人民の立場からの批判であるべきだ。
 しかしながら、発足後の鳩山政権の迷走ぶりは、まさに著者が指摘した自民党外交の継承、戦略なき日本外交、対米従属を唯一の「戦略」とする日本外交の惨めさを表しているのではないか。とりわけ沖縄普天間基地問題では、基地の撤去が沖縄県民の切なる願いであるのが明らかであるにもかかわらず、米国とオバマ大統領の顔色をうかがい右往左往し、いたずらに結論を先延ばししている。鳩山民主党は「対等な日米関係」を掲げて登場し「東アジア共同体構想」などとぶちあげているものの、本質的なところでは何も変わっていない。その様は、自民・民主を問わずいったい日本政府は誰のための政府であるのかという根本的な問いを発していると考えるべきだろう。
 オバマ大統領が11月13日から来日するが、日本政府は普天間の膠着状態をなんとか取り繕うためにアフガンへの50億ドルもの巨額の支援を「土産」とし、「新安保宣言」の策定さえ題目にのぼる有様である。これでは孫崎氏が指摘した対米一辺倒の戦略無き軍事外交政策そのものである。アフガンへの50億ドル支援とは、米軍を後ろ盾とするカルザイ傀儡政権への支援金であり、米軍とアフガン警察、NATO軍への支援なのだ。 
アフガン支援:軍を財政支援 数十億円、NATO基金に−−政府方針(毎日新聞)
日米首脳会談:安保50年へ政府協議、合意へ(毎日新聞)

 メディアの責任は重大である。オバマがこう言った、ゲーツがこう言った、米政府のスポークスマンがこう言ったなどと媚びへつらい、「米国筋」の発言と意向が、あたかも日本の軍事外交政策の最重要の判断基準であるかのように報道している。真っ先に批判的立場を取るべきメディアがそのような思考にどっぷりと漬かってしまっているのである。
米、日本のアフガン支援策を評価 大統領報道官声明(朝日新聞)

 10月22日の東京での普天間閉鎖要求緊急集会では、「沖縄県民の意思を尊重するならアメリカとケンカするしかない!」と叫ばれた。11月8日の沖縄県民大会では、「新政権は米側の圧力に屈せず、対等な日米交渉で県民の声を堂々と主張すべきだ」という決議が挙がった。鳩山政権は、「戦後行政の大掃除」というのであれば、そして「国民主導、生活第一」というのであれば、徹底して日本の国民の立場に立ち、人民の利益を守り、米国追随一辺倒の軍事外交政策こそまず一掃すべきである。立場は違えど、孫崎氏の著書から学ぶべき教訓である。
[速報]11月8日辺野古への新基地建設と県内移設に反対する県民大会 21000人が結集し、普天間即時閉鎖、辺野古移設反対を突きつける(リブ・イン・ピース☆9+25)

2009年11月12日
リブ・イン・ピース☆9+25


[投稿]−読書メモ−
孫崎享著「日米同盟の正体 迷走する安全保障」
(講談社現代新書2009年3月20日発行)

(1)変質させられた日米安保条約
 日米安保条約は、2005年10月29日の日本の外務大臣、防衛庁長官と米の国務長官、国防長官との間の合意文書「日米同盟:未来のための変革と再編」によってとって代わられた。これまでの日米安保条約での極東条項は破棄され、米戦略に従って世界中に自衛隊を派遣することに合意した。しかし日本政府は、国民に対しては、何も変わっていない、これからも変わらないといい続けている。

(2)米国に従うことが、日本の戦略
 従来から日米は「同盟関係」といっても、実態は「米国が重要な案件を一方的に決めているだけ」(守屋元防衛次官)であり、それに日本が従ってきただけの関係である。日本政府が「独自の国際貢献策」として進めてきた自衛隊のPKO、人道支援、災害援助活動への派遣ですら、
 「・・・(1990年代初期、日米安全保障面の責任者である国防省日本部長 の任にあった)ポール・ジアラは論文『新しい日米同盟の処方箋』(1999年) で次の説明を行なった。
 『PKOや人道援助、災害援助などの分野は政治的に受け入れやすいこともあり、共同で行なうことは同盟の結束を促す上でよい機会である。人道支援などで作戦を日常的に行なうことは、はるかに緊張度の高い有事への作戦の準備としても絶好の訓練になる。このような活動で求めるものは有事と共通である・・・』」
 米国は、イラク戦争への協力から、アフガニスタンへの自衛隊派遣の模索に見られるように、日本に海外派兵に必要な軍事力とそのための政治環境を整えさせたうえで、これを積極的に米国戦略の中で活用していくという姿勢が明確である。そしてこの傾向は間違いなくオバマ政権に継承される。自民・民主いずれも程度の差はあれ、この傾向に従っている。
 実に、自衛隊を使った「人道援助」すら、米国によって仕組まれたというのである。

(3)「国益のため」という日本政府の説明さえ、米国の戦略に付き従うための方便
 日本人は安全保障問題を軍事的、戦略的に考える事ができないので、経済を絡ませて説得すればいい、と米国は考えている。「シーレーン防衛構想」やイラク派兵で、石油に依存する日本は中東問題に貢献しなければならない、などというキャンペーンがその好例。
・日本では国際政治の神様のように見ていたキッシンジャーは、1974年にケ小平に次のように述べた。
 「日本はいまだに戦略的な思考をしません。経済的な観点からものを考えます」
・また別の機会では、側近に対してこう言っていた。
 「日本人は論理的でなく、長期的視野もなく、彼らと関係を持つのは難しい。日本人は単調で、頭が鈍く、自分が関心を払うに値する連中ではない。ソニーのセールスマンのようなものだ」
・著者がハーバードで学んでいたとき米国学者はこう言った。
 「日本人は安全保障論の本質はまったく理解できない。この議論では猿みたいなものだ。」
・日本のある自衛隊幹部もこういっている。
 「ワシントンのある大学院のセミナーで第一次・第二次大戦で主要国がいかに効果的に戦争を遂行したかを点数付けした。日本は、作戦・戦術レベルでは高いものの、軍政(ポリティコ・ミリタリー)・戦略的レベルでは極めてお粗末だった。今日でもその傾向はまったく変わっていない。自衛隊の軍政的センスについても国際的に高いと言えない。…単純に言えばただ訓練のみをしていれば、冷戦時代は済んでいたのである。しかし陸で匍匐前進の訓練ばかりを、海で面舵、取舵ばかりを、空でドッグファイトばかりをやってきた自衛官に、諸外国の防衛交流の場で英語の討論に加われと言われても無理な話である」
・対日工作は米にとって難しい作業ではなかった。戦前では真珠湾、戦後も吉田内閣など、さまざまな形で政権に影響力を行使してきた。

(4)80年代、日本の軍事力の積極利用への米戦略の転換
 第二次大戦以降、米国は、@日本の負担で米軍基地を日本に置く、A日本は西側陣営につく、B日本には自立した攻撃能力を持たせない、ということを基本にしてきた。
 この流れを変えたのは80年代からの「シーレーン防衛構想」による対ソ核戦略への自衛隊の組み込みである。レーガン時代、対ソ核戦略で優位に立ちたかった米は、オホーツク海でのソ連ミサイル原潜を封じ込めるために、日本の軍事力を積極的に利用するという方向転換を開始した。この口実に、石油タンカーへのソ連潜水艦の攻撃を阻止するという時代錯誤の荒唐無稽なシナリオを示したら、経済問題に弱い日本は簡単に信じた。統幕議長ですら真の意図を理解できなかった。米国は内心冷笑していただろう。
(※:著者は触れていないが、「大韓航空機撃墜事件」もこの海域での制空権確保上喉から手が出るほど欲しかったソ連の迎撃態勢の情報を得るために米が仕組んだ謀略だと言われている。)

(5)謀略は米国の外交戦略
 米国の重要な外交は謀略でつくりだされてきた。南北戦争も真珠湾攻撃も9・11も、それをきっかけに国民を戦争に駆り立てる謀略だった。トンキン湾事件、ノースウッド作戦。「北方領土問題」でも米はみずからの立場をわざと曖昧にし、最初はソ連に対日参戦を促す手段に使い、戦後は日本とソ連・ロシアを永久に争わせる手段とした。それが米国の戦略だった。しかし謀略は悪ではない。謀略に引っ掛かる方が悪い。

(6)現在の米軍事戦略は、ソ連崩壊後90年代に作られたものを踏襲
 ソ連崩壊後、米は強大な軍事力を維持する口実を探していた。イラン・イラク・北朝鮮がその「脅威」にあげられた。同時に2正面で大規模作戦を展開する能力を保持する基本戦略が作られた。唯一の超大国としての米国の地位を保持し、このために集団的国際主義は排除する。さらにクリントンの時代に「ボトムアップレビュー」が出されて、その後の米の戦略の中心になっていく。軍事戦略では政権の違いは無関係。イラク攻撃は91年から戦略課題になっていた。
 日本に対してはこの体制に沿ったように防衛大綱を作らせる。細川政権時代にスタートした防衛問題懇話会の「樋口レポート」は多国間枠組みの安全保障政策。中心になったのは西広整輝元防衛事務次官だが、これをジョセフ・ナイが中心になってつぶし、そのかわりに95年に「新防衛大綱」を作らせる。武村官房長官を切ったのも米の圧力。この「新防衛大綱」が10年後に「日米同盟」合意に行きついた。米は長期戦略で対日政策をすすめている。

(7)オバマはブッシュの政策を踏襲
 日米安保では米軍基地の取り扱いが最大の焦点だった。しかし日米同盟では、自衛隊がどう動くかが焦点になっている。そしていまの米国の安全保障政策の要は中東政策である。オバマはブッシュの政策を継続している。その米国と軍事的一体化を進める日米同盟強化が、国益になるのか。日本国民のためなのか。日米関係を変えるカギは中国の存在。日本にとっても米にとっても中国の存在、それとの戦略的関係が今後大きな要素となってくる。

(8)大義もないまま、アフガニスタン戦争を継続・拡大
 イラクに大量破壊兵器がないことをブッシュは知っていながら戦争を始めた。そしてそれが明らかになってからも戦争は継続された。なぜか。一つは軍事力を維持するため。もうひとつは米議会でのイスラエル・ロビーの影響力。後者がイランへの絶えざる攻撃計画の源泉になっている。
 オサマ・ビン・ラディンとの戦争は終わっている。ビン・ラディンはサウジへの米軍駐留に反対して対米戦争を呼びかけた。2003年米軍はサウジから撤退を完了した。しかし米はテロとの戦いの対象をアルカイダではなくハマスやヒズボラ、タリバン等を対象にすることに切り替え、それらを支援するイランへの戦争準備、アフガニスタンへの戦争拡大につき進んでいる。

(9)米核戦略にある差別的本質
 米の核戦略の論理はジョセフ・ナイの論理に見られる。
 「日本軍と米軍の死傷者の比率は当初南方で10対1、硫黄島で5対1、沖縄で3対1。本土上陸では2対1が予測された。…2対1は許せない。この論理が原爆投下の最有力の口実だった」
 トルーマンの発言
 「相手が獣だったら、獣としてあつかったらいい」人間なら核攻撃での相手の被害を考慮すべきだが、悪の枢軸国への攻撃は検討すべき。これが米の論理。対イラン・北朝鮮への核攻撃計画もこの論理で作成され、ブッシュのもとで態勢が作られた。

(10)著者の結論は時代錯誤のグローバリズム万能論
 著者は、日本の進むべき道として、核武装にもミサイル防衛にも否定的で、敵基地攻撃論も否定する。北朝鮮だけを相手にした軍事手段を国の防衛の中核にすべきではないとして、安全保障という全体を見ずに部分だけの効用を論じてはならないと主張する。日本は戦争をしてはならない国であり、日本には近隣諸国からの攻撃を封じ込める強い抑止力がある。それは非軍事の分野、日本の経済力である。そして日本は以前のような全方位外交に戻るべきと説く。安保は維持しても極東中心にし、米との距離を置いて、国連や、NATOのような多様性のある西側の同盟国との関係を強化すべきと主張する。もちろんこのような帝国主義的軍事同盟を容認する観点は私たちは同意できない。

 また著者は結論としてはグローバリズム万能論で、その力で中国、ロシア、北朝鮮を囲い込むべきと主張する。時代錯誤も甚だしい。本が出版されたのは2009年3月だが、おそらくこの文章が作られたのは、08年秋のリーマンショック以前であろう。このような見解は事実によって破綻している。
 しかし、本書で紹介されている歴史的事実と安全保障論はきわめて面白い。こうした文書が出版されるようになったのも、米の歴史的な没落の始まりと関連しているのだろう。末尾の参考文献リストも面白い。ぜひ多くの人が読んで批判・検証してほしい。

2009年11月 K.F