お話:大阪城狛犬会 伊関要さん/山橋宏和さん
今年は、天皇制軍国主義による中国侵略戦争の敗北から80年の年です。地上戦で20万人以上の死者を出した沖縄戦、広島、長崎に原子爆弾が投下されてから、80年になります。大阪でも、米軍の空襲で1万以上の人々が犠牲になりました。しかし、同時にわたしたちが心に刻んでおかなければならないことは、日本が中国をはじめアジアに対して行った加害の歴史です。日本が中国で何をしてきたのか?それに対して中国はどう対応したのか? 今、長距離ミサイルの配備や大規模な軍事演習など中国に対する戦争の準備が進む中で、大阪城狛犬会の活動を通じて、市民として日中友好運動を続けておられるお二人からお話をお聞きし敗戦80年の今年を対中戦争ではなく日中友好の年にしていくために私たちができることを共に考えていく機会にしたいと思います。是非ご参加ください。 ※この企画は「アジアから問われる日本の戦争」展2025のプレ企画として開催します。 大阪城狛犬会についてー未来のために過去を忘れずー ■大阪城に中国の明の時代の国宝級の狛犬があります。この狛犬は、中国に対する侵略戦争の過程で、1937年に日本が中国天津から略奪し「戦利品」として持ち帰ったものです。翌年の1938年には、兵庫県西宮市で開かれた「支那事変聖戦博覧会」で展示され戦意高揚に利用されました。1940年には、大阪城山里丸跡に戦争教育のためにつくられた国防館という施設の玄関口に置かれ戦争遂行の宣伝材料に使われました。 ■1983年の調査で「このこま犬が中国から略奪されてきたものだ」とわかりました。日本の市民はこま犬を中国へ返還することを求めて活動を始めました。これに対し、中国は、「返還の申し出は日本人民の友誼の気持ちの表れである。」として、こま犬を改めて「友好の証」として大阪市に寄贈してくれたのです。その脇に建立された記念碑には、変わらぬ中日友好への願いをあらわした「中日友好 萬古長青」の文字が刻まれています。 ■しかし説明板には、「日中戦争の最中に日本へ運ばれ…中国政府により改めて大阪市に寄贈されることとなり…」と記述され、何故中国のこま犬が日本へ運ばれたのか、その歴史的経緯が全く書かれていません。大阪城狛犬会は、侵略戦争を反省して、狛犬が真の意味で「日中友好の象徴」となるように、大阪市に対して説明版に歴史的経緯を記載するよう求め続け、このことを広く市民に伝える活動をおこなっています。 2025年3月25日 |
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