【書籍紹介】ロー・ダニエル『竹島密約』
「日本固有の領土」論の空々しさ、「領土は政治の延長」と改めて知る


 ロー・ダニエル『竹島密約』(草思社)を読みました。この本は韓国政府が日韓国交正常化過程の史料を公開したことを受け、また関係者の証言を駆使して、「竹島・独島密約」がどう成立したのかをリアルに暴き出しています。政治力学の奇妙さは(それは政治の世界が人の心を反映したものではないということの証でもありましたが)とてもスリリングで、最後まで楽しく読めました。

 サンフランシスコ講和条約では「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州(チェジ)島、巨文(コムン)島及び鬱陵(ウルルン)島を含む朝鮮に対する全ての権利、権原及び請求権を放棄する」とされ、ここに竹島日本領論者の根拠の一つがあるのですが、連合国側の戦後処理過程の当初からそうだったわけではありません。アメリカの対日政策優先の都合と、日本の外交戦略が、文面から竹島・独島を除外させることに成功したのです。
 これに反発した李承晩(イスンマン)政権が採った対抗策が、「平和線=李承晩ライン」でした。東端北緯38度、北緯132.5度を韓国の排他的主権領域とする李承晩の宣言は、竹島・独島という小さな無人島を巡る問題というよりは、成立したばかりの反共親米を国是とする大韓民国の危機感のあらわれでした。植民地支配されていた当事国抜きでのサンフランシスコ講和条約の欺瞞が、このような形で噴出したのです。これ以後、韓国は竹島・独島を実効支配し、この李承晩ラインをどう扱うかが、交渉の一つの鍵となっていきます。

 李承晩ラインとは異なり、国交正常化の交渉過程で竹島・独島の領有権が主要な議題とはなりませんでした。最終的な交渉当事者となる河野一郎は「国交が正常化すれば互いに譲ろうとしても、貰おうとしないくらいの島」と言い、実務レベルの交渉当事者は「竹島はさほど価値のない島、爆破してしまえば問題がなくなる」とまで言っています。それでもこの島が小さな棘であることには変わりありませんでした。お互いの国がこの問題で譲れば、国内の政敵の格好の攻撃材料となってしまうことが明らかだったからです。(それが日本の国内では社会党だったというのに皮肉を感じるのは私だけでしょうか。仮に大韓民国ではなく統一された朝鮮であれば、このような経過を辿ったでしょうか。)
 朴正熙(パクチョンヒ)政権は経済成長のための資金として日本からの賠償をアテにしていて、歴史認識が全くなっていない日本政府を相手に日韓基本条約締結を急ぎました。また大韓民国を朝鮮半島唯一の合法政府と認めさせることは、朴正熙政権にとって至上命題でもありました。日本政府はアジアの反共体制の構築と安定化を求めるアメリカに、東アジア反共の橋頭堡である韓国との国交正常化をせっつかれていましたし、自民党にとっても反共政権を支えることは重要課題でした。
 結局李承晩ラインは、日本に賠償請求権を認めさせるというバーター取引で撤廃されました。他にも数々のマジックが駆使されました。私にとって一番興味深いのは日韓条約の第2条「1910年8月22日以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結されたすべての条約及び協定は、もはや無効であることが確認される」という下りです。この条文が、日本政府にとっては「韓国併合条約は正当だった」の根拠となり、韓国政府にとっては「締結当初から無効だった」という根拠となるのですが、意図的に同床異夢の状況を作り出した「もはや」という言葉は河野一郎の、まさにマジックでした。朴正熙はこの策に「さすがは河野先生だ」と感嘆したといいます。

 竹島・独島密約も、まさに河野一郎のマジックでした。密約はこの問題の根幹なので、あえて全文を引用します。

 「竹島・独島問題は、解決せざるをもって、解決したものとみなす。したがって、条約では触れない。
 (イ)両国とも自国の領土であると主張することを認め、同時にそれに反論することに異論はない。
 (ロ)しかし、将来、漁業区域を設定する場合、双方とも竹島・独島を自国領として線引きし、重なった部分は共同水域とする。
 (ハ)韓国は現状を維持し、整備員の増強や施設の新設、増設を行わない。
 (ニ)この合意は以後も引き継いでいく。」

 「解決せざるをもって解決したものとみなす」とは言い得て妙な言葉です。玉虫色といえばそうですが、外向け(国民向け)には自国領と言いながら、「どうでもいい」という本心がよく分かる文言です。
 また日韓基本条約の成立にむけた実務者レベルのツメで、日本側はこう提案しています。
 「臭いものには蓋、という日本のことわざがあります。日本の竹島領有権の主張を韓国側が認めないことと同様、日本も国民感情の上で、韓国の主張に承服できない。したがって日本の外務省が竹島に関連した要請文書を毎年一回韓国側に伝えますから、それを韓国側がそのまま黙殺すればいいんじゃないですか。」

 あえて言うまでもないかもしれませんが、私は日韓基本条約を認めているわけではありません。自民党政権と朴正熙軍事独裁政権の合意は、植民地支配や戦争で苦しめられた韓国の人々の請求権を奪う根拠の一つとされているからです。(もちろん個人の請求権まで失うものではないと私は思っていますが。)日本からの賠償金は軍事独裁政権を支え、また賠償金ビジネスは日本の商社を肥え太らせました。条約は韓国だけを朝鮮半島唯一の合法政府と認めたばかりか、国内では民団系の在日朝鮮人にだけ協定永住を与え、国内の南北分断を推し進めました。本当に苦しんだ人々に何の解決ももたらさなかった日韓基本条約を認めるわけにはいきません。

 それでも、竹島・独島の領有権を棚あげした密約までも認めない――ということにはなりません。密約を基礎に日韓両国の平和と友好が築かれたのであれば、それはとても意味のあるものです。「貰おうとしないくらいの島」「爆破すれば問題が解決する島」の領有権を主張し争うのは、結局戦争のための理屈です。他に大事なことはたくさんあるのに、なぜ今、日本政府は竹島・独島にこだわり、教科書に記述させ子どもに教育するのでしょうか。竹島・独島が日本固有の領土というのは空虚な幻想で、実際は政治に翻弄される道具でしかないのに。(私は「慰安婦」問題に対してこだわりがあるので、あえて言いますが)日本軍「慰安婦」被害者の苦しみに比べれば、本当にどうでもいいことです。
 ロー・ダニエルは本書の最後をこう締めくくっています。

 「『日比谷公園の広さの岩の塊』である竹島・独島には物理的には何の変化もない。変化するのは、『国民国家』という共同体に生まれ、限られた人生を過ごして去る人間が作り上げる不協和音である。竹島密約を作った人々は、その不協和音を鎮め得たと思っていたのではないか。」
 密約を作った人々をそこまで持ち上げる気にはなれませんが、おおむね同感。岩の塊に罪はありません。岩の塊に領土という意味を付与し、争いを見出そうとする「国民国家」の為政者に問題があるのです。
 なんどでも繰り返しますが、日本軍「慰安婦」被害者の苦しみに比べれば、本当にどうでもいいことです。今なお「慰安婦」被害者に対して真の謝罪を放棄し、「日韓基本条約で解決済み」として被害者に賠償を行わない日本政府に、韓国が実効支配する「日比谷公園の広さの岩の塊」に対して領有権を主張し、国民にその思想を植え付けようとする道理があるとは、到底思えません。

2011年2月14日
リブ・イン・ピース☆9+25 D
(リブインピースだより15号より転載)