安倍首相は、4月28日「主権回復の日」式典を中止せよ
「主権を失った」のは侵略戦争の結果だということをごまかすな
1952・4・28は、沖縄だけでなく、日本全体にとっての「屈辱の日」
  
 安倍政権は、4月28日に、天皇皇后の出席する「主権回復の日」式典を開こうとしています。これは、アジア・太平洋戦争(第2次世界大戦)に敗戦し、米国など連合国の占領下に置かれた日本が、1952年4月28日、サンフランシスコ平和条約の発効によって「主権を回復」したことを記念するとされています。

沖縄にとっては「屈辱の日」
 これに対し、沖縄県民・出身者などから激しい反発の声が上がっています。これは当然のことです。同条約では、沖縄、奄美、小笠原が日本から切り離され、米国の施政下に残されました。日本政府は、これらの地域を、米による信託統治=植民地支配に委ねたのです。沖縄はその後20年にわたって米に統治されました。「銃剣とブルドーザー」によって土地を取り上げられ、沖縄全島が米の軍事基地として継続使用され、ベトナム戦争をはじめ多くの侵略戦争の出撃基地とされました。また、米軍関係者による事件・事故の脅威にさらされた上、罪を犯した者を裁くこともできませんでした。この苦しみは、1972年の本土復帰後も続き、日米両政府は今また、名護市辺野古への新基地建設、オスプレイの配備など、新たな負担を押しつけようとしています。1952年4月28日は、その出発点となった日であり、沖縄では「屈辱の日」と呼ばれてきました。
サンフランシスコ平和条約(東京大学東洋文化研究所)
 独立した主権国家に米国の軍隊が自由に駐留する権利を有し、さらにその国の一部である島々を軍事植民地として保持し続けるというような提案は認められるはずがなかった。それを米国は、“国連の信託統治が行われるまでの暫定的措置として米国が信託統治をする”という虚構を作り出して正当化したのである。しかしそもそも「非独立国」を対象とする信託統治が日本・沖縄に適用されたこと自体が根本的な矛盾であった。

 このような日を盛大に祝おうとする「主権回復の日」式典に対し、沖縄県議会は3月29日、反対決議を可決しました。4月28日当日には、式典と同時刻に、沖縄県議会の自民・公明以外の会派が抗議大会を行うことが決定されました。那覇市役所は、その日、深い悲しみを表す紺色で市役所を飾るとしています。仲井真知事も式典の欠席を決めました。代わりに副知事が出席予定ですが、沖縄タイムスと琉球朝日放送の世論調査では、沖縄県民の59.6%が「県からは誰も出席すべきでない」と答えています。同調査では、「主権回復の日」式典開催を「評価しない」との回答が、県民の69.9%に上っています。
4・28「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」に対する抗議決議(沖縄県議会)
式典「評価しない」7割 「屈辱の日」理由最多(沖縄タイムス)

 しかも、沖縄がサンフランシスコ平和条約後も米の施政下に置かれた経緯には、昭和天皇も関与していたことが、いわゆる「天皇メッセージ」として知られています。1947年9月、宮内庁御用掛の寺崎英成が、昭和天皇が米軍による琉球列島の25〜50年間の占領継続を希望していると、シーボルト連合軍最高司令官政治顧問に伝えたのです。昭和天皇は、沖縄をアメリカの植民地支配に委ねた当事者だったのです。天皇出席の下にこの式典を行うことは、象徴天皇制に反する政治利用であることはもちろん、こうした歴史からも許されることではありません。
"天皇メッセージ"(沖縄公文書館)
 いわゆる「天皇メッセージ」は、1947年9月22日付「対日占領軍総司令部政治顧問シーボルトから国務長官マーシャル宛書簡」に添付されたシーボルトの「マッカーサー元帥のための覚え書き」に記されている。それには、天皇の顧問、宮内庁御用掛寺崎英成がシーボルトを訪ねて、天皇の考えを伝えた内容が記されている。「米軍が沖縄その他琉球諸島の軍事占領を継続するよう天皇が希望している」、「そのような占領は米国に役立ち、また日本に保護を与えることになる」、「沖縄(及び必要とされる島々)に対する米国の軍事占領は、日本に主権を残したままで長期租借―25年ないし50年あるいはそれ以上の擬制にもとづくものである」など。

「主権回復の日」式典の目的は?
 こうした沖縄の強い反対にもかかわらず、安倍首相はなぜ、「主権回復の日」式典を強行しようとしているのでしょうか? 首相は、「日本がかつて主権を失い、7年間占領されていたということを 知らない若者が増えている」と言っています。日本が主権を失い占領されていたことを若者に知らしめ、主権を「回復」した日を盛大に祝うことによって、若者たちの愛国心をかき立てることが、一つの狙いです。安倍政権はもともと、「領土問題」などを通じて民族排外主義をあおり、中国、韓国、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)などへの強硬姿勢を打ち出すことによって、政権を獲得しました。式典開催で愛国心をあおることによって、さらに政権への支持を固めようと意図していることは、間違いありません。
 また、安倍首相は、「今の憲法はアメリカに押しつけられた憲法」として、「憲法改正」を主張しています。7月の参議院選挙では、改憲を大きな争点にしようとしています。今の日本国憲法は、日本が占領されていた1946〜7年に制定・施行されました。安倍首相は「主権回復の日」式典によって、憲法が占領下で押しつけられたものであることを強調し、改憲と「自主憲法の制定」に勢いをつけようとしているのです。自民党の「憲法改正草案」が昨年の4月28日に発表されたのは偶然ではありません。

安倍首相が触れない「日本が主権を失った」理由
 安倍首相は、「日本が主権を失い」1952年4月28日に「回復した」と言いますが、主権を失った理由については全く触れません。その理由とは、天皇制軍国主義日本が朝鮮、中国をはじめとするアジア諸国への植民地支配と侵略戦争を行い、2千万人以上にも及ぶ人々を殺害するなど筆舌に尽くしがたい被害を与えたあげく、これらの国々の人々による抗日闘争と世界の反ファシズム勢力に敗れたことです。こうした歴史的事実に全く触れず、「主権回復」だけを取り上げて祝うことは、歴史の真実をゆがめ、侵略戦争と植民地支配に対する日本の責任を否定することに他なりません。これも、「主権回復の日」式典の目的です。
 しかも、サンフランシスコ平和条約発効と同時に、侵略戦争の被害者である旧植民地(韓国・朝鮮・台湾)出身者は、突然それまでの日本国籍を剥奪され、法的保護から除外されました。こうした措置は、これらの人々への社会的、経済的、政治的差別を助長するものであり、差別は今に至るまで解消されていません。1952年4月28日とは、そのような日であることも忘れることはできません。

本当に「主権回復」したと言えるのか?
 ところで、1952年4月28日をもって、日本は本当に「主権を回復した」と言えるのでしょうか? 確かに、連合国による日本占領は、形式上はこの日をもって終わったことになります。だからといって、日本は本当に米国から独立したと言えるのでしょうか?
 1952年4月28日は、サンフランシスコ平和条約とともに、旧日米安全保障条約が発効した日でもあります。米国が日本国内に軍を駐留させ、日本全土を自由に基地として使用できるという条約です。
旧日米安全保障条約(1952年)
日米安全保障条約(1960年改訂)

 さらに、日米行政協定の発効も同じ日です。行政協定は、安保条約に基づいて、在日米軍の日本国内と周辺における権利などを定めた協定です。この行政協定には、例えば次のような規定があります。「合衆国の軍事裁判所及び当局は、合衆国軍隊の構成員及び軍属並びにそれらの家族(中略)が日本国内で犯すすべての罪について、専属的裁判権を日本国内で行使する権利を有する」。すなわち、米軍人・軍属やその家族が日本国内で犯罪を犯しても、それを裁くのは米国であって、日本にはその権利はないということです。これは、「治外法権」そのものです。
日米行政協定(1952年)
日米地位協定(1960年)
※吉田 茂 日本国憲法 サンフランシスコ平和条約(動画)
 http://www.youtube.com/watch?v=utc-UlYX_Lc(1)
 http://www.youtube.com/watch?NR=1&feature=fvwp&v=L_MCeGSrZ80(2)
 サンフランシスコ平和条約調印は米国のオペラハウスで華々しく行われたが、9月8日の調印の日までの会議席上で、最大の戦争被害国である中国代表が招かれていないことから会議の無効をソ連代表が訴える。ポーランドやチェコスロバキアは調印をしないよう主張し、被害国フィリピン代表は日本が戦時賠償を行っていないことを厳しく指弾した。講和会議自体が激しい批判にさらされた。
 9月8日、オペラハウスで平和条約の調印をすませた日本代表団から吉田茂首相1人がまるで米軍に連行されるかのように米第6兵団駐屯地の1室に連れて行かれ、アチソン国務長官、ダレス国務省顧問、ワイリー上院議員、ブリッジス上院議員らに取り囲まれるかのように旧安保条約に調印している。サンフランシスコ平和条約の陰で旧安保条約はひそかに調印され日本国民には知らされなかった。吉田茂は、同行した池田勇人蔵相に旧安保に署名させなかった理由として「君の経歴に傷が付くといけないので、私だけが署名する」と語ったという逸話が残る。9月8日は吉田茂にとっても「屈辱の日」だったのではないか。

「主権回復の日」式典を中止せよ! 「主権回復」を言うのなら、米軍基地を撤去させ日米安保・地位協定を廃棄すべき
 安保条約は60年に改訂され、行政協定は日米地位協定に移行されましたが、米軍が日本国内の広大な基地を我が物顔で使い、米軍関係者が犯罪を侵しても、優先的な裁判権は米国にある、という本質は変わりません。この日米安保体制の下で、米軍の日本への核持ち込み、第一次裁判権を日本が放棄、米軍の基地自由使用、日本から米への財政援助など、数々の密約が結ばれ、日本が米に便宜を図ることが当たり前になっています。多くの密約の舞台となった「日米合同委員会」は、日米地位協定で設置が定められ、今も原則2週間に1度開かれ、日本側から外務省北米局長や防衛省地方協力局長、米国側から在日米軍副司令官や駐日公使らが出席し、密室で協議を行っています。
日米間の密約について(リブ・イン・ピース☆9+25)

 このような現実を見れば、日本は今でも「主権回復」などとはほど遠い、というのが真実ではないでしょうか? 1952年4月28日は、こうした日米安保体制のまさに出発点だったのです。このような日を祝うことはできるでしょうか? 1952年4月28日は、沖縄にとってだけでなく、日本全体にとって「屈辱の日」ではないでしょうか? 本当に「主権回復」を実現するためには、米軍基地を撤去させ日米安保・地位協定を廃棄させなければなりません。
 安倍首相は、「民主党政権で揺らいだ日米同盟を復活させた」と誇りますが、その「同盟」の実情は以上のように、日本が米国の意向に従う体制でしかありません。日本を米国に従属させることに最も熱心な安倍首相が、その米から「主権を回復」したと祝うことは実に奇妙なことであり、まやかしでしかありません。
 戦争責任を覆い隠し、愛国心をあおり、改憲への弾みを狙う「主権回復の日」式典開催は許せません。中止すべきです。

2013年4月23日
リブ・イン・ピース☆9+25