日本について考えさせられた韓国旅行

[この報告は、4月18日のリブインピース@カフェで行った韓国ツアー報告に加筆訂正したものです。]

 3泊4日のフリープランを利用し、4月11日から14日まで西大門刑務所、南北朝鮮分断の地非武装地帯(DMZ)とJAS(共同警備区域)ツアー、日本軍「慰安婦」被害者が生活するナヌムの家、その隣の歴史館などを訪れ、水曜デモに参加しました。

 日本の植民地政策による残虐非道な痕跡が今も尚、残り継続していました。また、南北統一を心から願う思いを聞き切なくなりました。さらに世界情勢の影響で北への差別感情を煽る体制と追随する観光産業を感じて驚きました。そして民族差別と女性差別が公然と行われてきた日本の歴史を知り、愕然としました。

 ちなみに、韓国では不条理に対して訴えいていく市民運動の力も感じました。
 日本人として私たちは日本と向き合って前進していきたいと思いました。

西大門刑務所跡
 そこには、日本人が朝鮮人に対して行ってきた拷問場面を再現した蝋人形がたくさんありました。
 朝鮮烈士は男女問わず出血した姿でも、なお髪を捕まれたり引きずられたり、大の字に手足を固定されたり、気をつけの姿勢でしか入れないロッカーのような箱に閉じ込められたりしていました。
 対照的に犬を扱うような対応をする日帝側は薄ら笑いを浮かべていました。
 日本がこんなにも酷いことをしたなんて…と愕然とし、どう理解していいやらわかりませんでした。

南北朝鮮分断の地――DMZ(非武装地帯)そしてJSA(共同警備区域)ツアー――
 北に友達がいるガイドさんは言いました。
 「韓国に来たら買い物もいいけれど、もう1つ、DMZ・JSAに是非行って欲しい。韓国の現実を知って欲しい。…でも、この地を案内するのは、同じ民族同士が対立しているところを見せるので、とても恥ずかしいことだと思っている。北の政策は失敗した。南ではよくそう言う。でも他の国の人が北は政策に失敗しただとか北はよくないとかいうのを聞くのは嫌な気分になる。」
南北分断の複雑な感情を聞いて切なくなりました。

 また北への差別感情を煽る体制と追随する観光産業を感じ驚きました。

 南北分断の地や現地のガイドさんの話では・・・
・第3トンネルは、北が南を侵攻しようとして作られた…。北は怖い、何をしてくるかわからない!
・北は政策に失敗してエネルギーが不足しているから禿山なんです…!(バス移動中に北を観て)
・私たち(南)は、北とつながる準備は出来ている、あとは北次第!(トラ山駅にて)
・JSA(共同警備区域)では、目つきによる南北兵士のいさかいを防ぐため、南はサングラスをかけることにした…?!…など

北へつながっていた自由への橋

南北統一を願う絵

トラ山駅

第3トンネルのモニュメント

JSA 板門店内部

日本軍「慰安婦」歴史館
 ナヌムの家の隣の歴史館では、日本軍「慰安婦」の事実を村山一兵さんの解説によって理解が深まったと思います。(当然まだまだだとは思いますが)
なぜこんなにも酷いことができたのか?
 そんな問いを投げかけられました。
 民族差別と女性差別が公然と行われてきた実態を表す資料が随所にありました。

「慰安所」にする設計図


「可」「不可」と選別する表

「慰安所」を再現した部屋

 その背景には日帝の政策とその国民の力もありました。
 そして未だ解決していない「慰安婦」問題。
 その言葉にも重い意味がありました。
 被害者問題にすりかわっているのです。
 絶対的に加害者が悪いのに、その存在を覆い隠してしまっているのです。
 また、世界ではこの問題を「性奴隷被害」と呼ばれていました。
 実態をわかりにくくさせる言葉1つとってみても、今の日本に住んでいて、なかなか関心が湧きにくい現状が自分も含めて分かるような気がしました。
 どうすれば、この問題が広がるのだろうか?
 それは1人1人が自分自身に問いかけ、1人1人が自分自身と向き合う作業が必要だとアドバイスされました。
 いかに自分自身の問題と感じてもらえるかを考えながら伝えていきたいと思いました。

 今、日本政府で解決しないと世界からの信頼に関わる問題です。

ナヌムの家
 日本軍「慰安婦」被害女性が、共同生活をしている空間、それが「ナヌムの家」。
 1992年、仏教界を中心に集まった募金をもとに、ソウル市内に「ナヌムの家」が作られた。
 1995年には土地と建物の無償協力により京畿道広州市に移転をした。(ハルモ二が畑仕事をしたい、環境がいいところ、という意味)
 2000年からは社会福祉法人として、韓国政府・女性部と広州市からの助成金、支援者からの後援によって運営されている。
 2009年秋建て替え工事。ハルモ二の高齢化でバリアフリーになった。
 2010年ハルモ二は8名。
 一名は家族のもとへ帰った。
 1人1人の人生を認めて、大事に受け止める雰囲気がよかった。


「責任者を処罰せよ」の絵
 ナヌムの家では、「慰安婦」被害者であること以外に入居条件はありません。
 そこではありのままを受け入れて尊厳を回復し、自己発展へつながるサポートをされています。
 その取り組みの1つが絵を描くことでした。
 印象的なアドバイスは「慰安婦」のくくりではなく、1人1人人間として、個性を大切に付き合うということでした。
 そうして過ごしたハルモニとの貴重な時間もまた、自分自身と向き合ってこの問題を伝える人になりたいという決意を助けてくれました。

 このように、これらの悲劇――日本がしてきた植民地政策の生々しい傷の放置、南北分断やその固定化に――私たちは加担していました。

 歴史の認識不足や現在の世界・日本の情勢に対する関心・認識不足を感じました。

 それは、歴史教育や朝鮮民族を尊重した気持ちや交流、マスコミ報道、ワイドショーの現状からすると、仕方のないこととも思います。
 しかし、現に今被害者が生きていて仕方ないなんて言ってはおれません。
 日本人に生まれて日本の恩恵を受けてきた私たちは、日本がしてきたことへの責任をとらねばならないと思います。
 口コミでもなんでも、知らせていかねばと思います。

水曜デモ
 また、韓国では「慰安婦」問題の解決を日本政府に求める運動の1つ、「水曜デモ」が900回以上も続けられています。

最後に
 そして韓国には祖国統一を心から願う気持ちを表した石碑や汽車、リボンや公園などもありました。

 さらに植民地政策という不条理な押し付けに抵抗する運動を称え、伝え続けています。
 それが3.1独立運動のリリーフや光化門再建、安重根記念館の建て替えなどに現われていました。

 日本に帰り、自分自身が持つ差別感情を意識し打破して、人々を抑圧しないよう、抑圧されている人を解放したいという気持ちが強くなりました。

 日本に生きる私たちの課題を教えられた旅でした。

2010年5月27日
リブ・イン・ピース☆9+25 ok