「気持ち悪い教科書」
〜東大阪市が育鵬社版公民教科書を採択
  
私の住む町、東大阪には
多くの在日韓国朝鮮人の人たちが住む。
また、世界各国から新渡日の外国籍住民の人たちを含めると
50カ国、2万人余の人たち(ほぼ4%)、
いや、日本国籍を取得した人たちを含めると
もっともっと多くの外国(特に朝鮮半島)にルーツを持つ人たちが暮らす。

夜間中学が2つもあり
ある時期には、毎晩200人を超える在日一世の朝鮮人のハルモニが通っていた。
公立の小中学校にも民族学級を持つところも多く
そこで子どもたちは、自分たちの民族の文化や言葉や歴史を学ぶ。
また、朝鮮学校も
初級学校、高級学校とあり
朝高運動場明け渡し問題では
民族教育を守ろうという地域からの取り組みが司法の良識ある判断を引き出し
さらにこの運動場から花園ラグビー場での全国大会出場をめざした朝高ラグビー部の今年の活躍は記憶に新しい。

毎年秋に開かれる国際交流フェスティバルは
〜私の街はアジアの街、私の街は世界の街〜というキャッチコピーをもち
人と文化の多様な交流をすすめてきた。

そんな東大阪で
中学の公民の教科書に「つくる会」育鵬社のものが採択されてしまった。

地方の小さな保守的な町ではなく
「多文化多民族共生のまち」をうたって来たこの東大阪で。

翌日、市の「教育センター」なるところへ行って
例の教科書を見て来た。

普段、教科書問題に何ら関わって来ていない私が2時間ほどの間に
他社の教科書との違いをどれだけつかめたかは自信がないが
とにかく
「気持ち悪い教科書」だと思った。

巻頭の写真から気分が悪くなった。

「横田めぐみ」さんやその両親の悲痛な表情
北方領土
尖閣諸島
独島(竹島)の美しい風景
そしてテポドンの打ち上げの光景や・・・

これは、やしき何とかの劣悪なテレビ番組と同じ臭いがした。

そしてこの教科書が悪質なのは
本文は勿論の事
その周辺のコラム的な、子どもたちがちょっと息抜きに読んでみたくなるところや
写真に
その国家主義的なエッセンスをしっかりとちりばめているところだ。

例えば
国旗・国歌に関して
本文では
「国旗・国歌はその国を象徴するもので、それぞれの国の歴史や国民の理想がこめられています。
それぞれの国の人が、時刻の国旗・国歌に愛着をもつのは当然のことです。国歌・国旗に経緯をはらうということは、その国そのものに対して敬意を払うことになる・・・」

そしてコラムではラモスがこんなことを言っている
「日の丸_最高だ。こんなに美しい国旗、ほかにないよ。
 どんなに苦しくても、膝が痛くても、日の丸をつけていると思うと頑張れる。
・・・
 日の丸をつけて、君が代を聞く。最高だ。武者震いがするもの。体中にパワーがみなぎってくる。でも、日本の選手の中にはそうでないヤツもいる。不思議でしょうがない・・・」

他にも昔の水泳選手が同じようなことを言っているかと思えば
女子バレーで日の丸を囲む選手達の写真。

拉致問題では
またコラムでどこかのテレビ局の番組からの記事なのか
報道スペシャル「めぐみ、きっと助けてあげる」というタイトルで
めぐみさんが拉致された前後のことが1ページすべてを使って記されており
その隣のページには、めぐみさんが幼く幸せだった時の一家の写真。

多方面から物事を考えることはできなくても
心情的に深く思いをはせる事が出来る中学生がこれを読んだら
どのような思いを抱くのか、想像することは容易だ。

憲法改正のことについても
現行の憲法では
集団的自衛権が行使できないので
PKOなど多国軍との共同の活動に支障をきたす、というようなことを本文で述べて

欄外の表で
先進国がどれだけ憲法を改正しているかを載せ
日本は無改正と。
そして説明として
「各国では比較的ひんぱんに憲法の改正を行っています」

また、ドイツ、スイス、韓国、アゼルバイジャン、イタリアの憲法の中から
いずれも
「平和主義を守る」という部分と
「国防の義務を負う」という部分を抜き出したものを並べ
二つのことは決して矛盾しないと、静かに強く訴える。

そしてイージス艦の「かっこいい」姿の写真も勿論掲載されている。

そして、小泉の靖国参拝の写真の横には
「政教分離とのかかわりについて議論されている」と述べながらも
「アメリカ大統領の就任式に聖書が用いられるように
現実的には政治と宗教を分けることはむずかしい」という。

外国人の人権については
「国際化の進展や、日本が朝鮮半島や台湾を領土としていた歴史的な経緯から、日本には在日韓国・朝鮮人など多くの外国人が住んでいますが、言葉や習慣のちがいなどから外国人に対する差別が生じています。
 外国人にも人権は保障されますが、権利の性質上、日本国民のみに与えられた権利は・・・・・・・・しかし、公務員になる権利は、今では一部で制約がとかれています。」

私は、この東大阪で韓国籍で本名で教師になった若者たちを知っている。
彼、彼女たちはどんな気持ちでこの部分を教えるのだろうか?と思う。

自分たちが今日本にいるのは、国際化の進展と、過去に領地としていたから。
侵略、支配といわず、曖昧な領地とするという言葉へのすり替え。
そして差別の原因が、言葉習慣の違い・・・
また、4世、これからは5世にもなるその授業を受ける子どもたちは
このことをどんな風に感じるのだろう?

それから、これは私の過敏な反応なのだろうか?

「ただし、外国人であっても日本国籍を取得すれば、日本国民として選挙権をはじめとするすべての権利が保障されます」

私の朝鮮人の友人が言う
「生きていくために国籍は日本に変えたけど、そんなもん、私は朝鮮人や!」の言葉には
思いは重ねられるけれど
上記の言葉には
『権利が欲しければ、帰化しろ!』という高圧的な姿勢や
もっと言えば
『日本国籍をとっても外国人は外国人』という排斥の臭いをすら感じる。

東京書籍ではこう記されている。
「『在日韓国・朝鮮人への差別撤廃をめざして』
2009年現在、日本には58万人の在日韓国・朝鮮人の人たちが暮らしています。この中には1910年の日本の韓国併合による植民地統治の時代に、日本への移住を余儀なくされた人たちや、意志に反して日本に連れてこられて働かされた人たちとその子孫も多くいます。これらの人たちは、民族の誇りを守り、さまざまな分野で活躍しています。しかし、就職や結婚などでその差別がなくなっていません。また、日本国籍を持たないため、選挙権や公務員になることなども制限されています。日本で生まれ生活していることやその歴史的事情に配慮して、人権保障を推進していくことが求められています。」

そして
2010年全国高校ラグビー大会の準決勝の大阪朝鮮高級学校の写真や
秋に毎年大阪城で開かれる「ワンコリア」の写真。

(比較している教科書と部分が少な過ぎていささか強引かもしれないが)
どちらの教科書で育てられる子どもが
将来この国の中でも
アジアの中でも
そして世界の中でも
幸せに、平和に、自分にもそして他者にも優しく生きて行けるかは明白だ。

もちろん、この教科書に初めからそんな子どもを育てる気持ちが微塵もないことは
わかっている。
コラムの中で曾野綾子が
「人は一つの国家にきっちりと帰属しないと「人間」にもならない。「地球市民」など現実的にあり得ない」
と言っている。

2011年8月10日
リブ・イン・ピース☆9+25 N(東大阪市民)