69年前、ここ大阪港におよそ1250人の中国人が強制連行され、わずか1年足らずの間に86人が死亡しています。食べるものも満足に与えず、衰弱する中国人を虐待、暴行の末死に至らしめた結果です。これは政府の命令で行った中国人強制連行の罪悪であり、戦時の軍部と財界が行った犯罪です。 1948年占領軍による大阪築港BC級戦争犯罪裁判の記録における「起訴事実詳細」には、動かしようがない事実を次のように語っています。 (1)1944年10月1日から1945年8月31日の間に、大阪の八幡屋北国民学校分教場の収容所およびその周辺において、その時その場で監督という権限を行使した被告人竹内実は、故意にかつ不法に、約268人のすべての中国籍の捕虜労工、市民の非抑留者、その他の一般市民を虐待酷使したこと。彼らのうち約40人は病気のため収容所に閉じ込められており、268人全員が、食料や他の必需品の支給不足により、栄養失調に陥っていた。その結果46人の死をもたらした。 (2)次のような残虐行為や攻撃に関与することによって虐待酷使したこと。 (a)収容所内で病気の患者に対して、竹刀や木刀・金属棒によって数えきれないほど不法に虐待し殴打したこと。 (b)1945年1月ごろ、楊老合を含む中国人を、数度にわたって虐待拷問し、あごひげを焼き、重大な火傷を負わせたこと。 (c)1945年2月ごろ、中隊長顔孔仁の顔や腹部をひどく殴る蹴るという、不法な虐待暴行を行ったこと。その結果彼は約10日後に死亡した。 (d)1945年4月ごろ、段美の手首を金属の手錠を使って吊し上げ殴打するという、不法な虐待暴行を行ったこと。暴行があまりにも激しかったため、彼は約10日後に死亡した。 (e)1945年5月ごろ、斎双印を激しく殴打し、骨折およびその他の障害を与えるという不法な虐待暴行を行ったこと。その結果彼は数時間後に死亡した。 (以下省略) 主催者は、「この過去の動かしがたい証拠は、現在我国で進行しようとしている戦争準備行為ともいうべき政治の動き全体に対し強い抗議の声を表しています。私達は、強制連行された受難者の尊い犠牲を追悼することにより、中国民衆と揺るぎない友好を末永く築き上げ、かつ、日中両国の平和を守り抜きたいと考えています」と特定秘密保護法案に強く反対する姿勢を示しました。 2013年11月18日 |
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