4/23〜4/25 沖縄行動参加報告(その二)
4/25県民大会9万人参加 新基地NO!県内移設NO!の声に、鳩山首相は応えるべき

宿舎にも広がっていた黄色いリボン(イエローカード)
 4月25日沖縄県民大会当日、宿舎で、私が県民大会に参加する事を話すとその食堂のおばさんが黄色いリボンを見せ、「参加出来ないけど、このリボンをつけ応援します」と話しました。テレビのニュースでは、鳩山首相に「イエローカード」を示すということで、那覇市長や名護市長が黄色いリボンを配ったりして、県民大会の参加と支持を呼びかけていました。それらは広範に広がっていました。
 宿舎を8時半出発し、読谷村運動広場に10時頃到着しました。この運動広場は米軍読谷飛行場の返還場所で、運動広場の他に、村役場や農地が造られていました。旧2000b滑走路2本は、大会の駐車場にあてられていました。私は読谷村役場の駐車場に車を止めました。読谷村役場には「日米地位協定抜本改正せよ」の看板が掲げられていました。会場入り口には「とお、なまやさ」という横断幕が掛けてありました。係の方に聞くと、「さあ、今こそ」という意味だそうです。さあ、今こそ基地返還をということだそうです。会場では、うるま市民協議会というグループが、勝連沖の現状を写真と地図で、新基地反対を訴えていました。全国のもずくの半分を収穫しているとのことで、珊瑚が美しく、自然の宝庫であることがわかりました。本土のマスコミが流している「珊瑚が死滅している。漁協も基地を受け入れようとしている」ということが全くのデマであることがよく分かりました。市民協の方が「マスコミが来ても、追い詰められた鳩山政権をどう思うかなどばかり聞いてきて、勝連沖の現状は報道しようとしていない」とマスコミを批判していました。
 舞台では、県民大会の午後1時からのオープニングイベントに備えて、リハーサルが繰り返されていました。子ども達が揃って、踊りを練習していました。会場に塀には、各グループの横断幕が貼り付けてありました。午後1時からオープニングが始まりました。
 歌あり、踊りありで、参加者が拍手喝采でした。会場に参加者が次々に入り、会場は徐々に一杯になっていきました。午後3時には会場は一杯になりました。

読谷村役場の看板

県民大会、午後1時から始まったオープニングイベントの練習風景

県民大会会場通路に展示された勝連沖案反対の掲示板

大会会場の子どもたち

大会会場ののぼり

大会会場の横断幕

保守層をも県民大会に集結させた沖縄の世論と運動の力
 いよいよ県民大会が始まりました。開会挨拶として、市町村代表・那覇市長の翁長雄志氏が「普天間基地の早期閉鎖を求める。この大会には県内各地から参加している。大会にこられなかった人も黄色いリボンをつけ、イエローカードを示している。県内41市町村の首長と仲井真知事も参加し、沖縄県民の心が1つになった。基地は私たちが望んであるのではない。旧政権時代のものだ。みんなの自立、沖縄の自立、日本の自立もない。その解決無くしては成り立たない。鳩山政権には普天間の危険性除去に大きな期待を寄せていた。県外の検証もこれからになっている。政権交代は目的であっても手段であってはならない。鳩山政権に、国外・県外移設を訴えたい。今日が正念場だ。声を大にして発信したい」と、沖縄の全市町村が一致して、県内移設反対を訴えていることが発言されました。
 続いて、実行委員会事務局池間氏が「鳩山総理にイエローカードを突きつけたい。5月にレッドカードにならないようにしたい。これから運動をやっていくためのカンパを要請したい」と会場カンパを要請しました。
 主催者挨拶として、共同代表の高嶺善伸沖縄県議会議長が「仲井真知事の参加で県民が1つになった。県議会の総意が1つになった。これまでに米軍の5634件の刑法犯罪、2日か3日に1件起きている。県民が被害に巻き込まれている。SACO合意で、米軍の70%が沖縄に集中している。普天間返還すら実現していない。きちんと精査し、県内移設されないように要望したい。県議会全力で取り組みたい。基地のない沖縄をつくりたい」と、県知事を巻き込んで、県内移設反対を訴えていることが発言されました。
 知事挨拶として、仲井真知事が「すごい集まりですね。初めて実感しました。2点に絞って意見したい。1点目は普天間の危険性を除去せよ。2点目は基地負担を軽減せよ。固定化あるべしは絶対に許してはならない。普天間基地返還を公約してもらいたい。ネバーギブアップ。行政の責任者として全力をつくしたい。過剰な基地負担を除去したい。不公平は差別に近い。政府に素早く解消してほしい。沖縄だけの問題ではない。全国の問題だ。日米両政府を動かしたい。作成した21世紀のビジョンのなかのその基本に、21世紀基地のない日本をうたっている」と発言しました。県内移設反対を言わない曖昧な態度でしたが、仲井真知事が県民大会に出席した背景には、「基地は国外・県外の県民世論が73%を占め、138万人県民の実に100万人が要求していることにあることや11月の県知事選を意識してのことだ」と大会が始まる前に県会議員が話していました。

県民大会は午後3時頃には一杯になった

 

高嶺県議会議長

 

とりわけ光った伊波宜野湾市長と稲嶺名護市長の決意表明
 決意表明では、伊波洋一宜野湾市長が「14年前に普天間飛行場の全面返還合意が発表された時全宜野湾市民が喜んだ。しかし、県内移設の条件が付き、今日まで14年間も普天間基地の危険性は放置されてきた。沖縄国際大学に米軍ヘリの墜落炎上する大惨事や、今でも住宅上空を早朝から深夜11時まで米軍機とヘリが飛び交っており、市民の悲鳴に近い苦情が市役所に寄せられている。沖縄県民が求めているのは、普天間基地の閉鎖だ。すべての米軍を撤退しろとは、まだ言っていない。しかし、あくまで米国が普天間飛行場の代替え施設を県内につくれと言い続けるなら、私たちは沖縄から米軍の撤退を求めていかなければならない」と発言しました。会場から、大きな拍手と歓声が上がりました。
 続いて、稲嶺進名護市長が「『少なくとも県外』と言ってきた政府の軸足は、未だ定まらず、迷走をくり返している。名護市長選挙の結果を斟酌する必要はないと公言したり、最近になって辺野古案回帰論が出てくるなど、場当たり的で節操のないやり方には、県民を愚弄するものであり、とても許せるものではない。いまこそ我々は、声を大にして県内移設に反対し、国外・県外移設を求める県民の肝心(ちむぐくる)を一つにして、日米両政府に強く意思を示すべき時だ。それは同時に、我々国民の民主主義を取り戻し、沖縄県民の人権を取り戻す闘いだ。我々の子や孫たちに、二度と苦難の歴史を歩ませるようなことがあってはならない。いまこそ沖縄は、変わるべき時だ。変わるためには私たち県民一人ひとりが、自らの行動を起こし、声を上げることが大切だ。私は名護市民に約束してきたことを、最後まで信念を持って貫き通していく。そのことを今日改めて、この会場の皆さんの前で、新基地NO!県内移設NO!の不退転の決意を表し、連帯のあいさつといたします。皆さん、ともに頑張りましょう」と発言し、会場から大きな拍手と歓声が上がりました。続いて、島袋俊夫うるま市長が勝連沖新基地建設反対を訴えました。

宜野湾市伊波市長

 

高校生たちの「未来は私たちの手の中に」のアピールに地鳴りのような拍手と歓声
 赤嶺博之勝連漁協組合長が漁民代表として、「本日は地元漁業者がもずく漁を休んで参加している。鳩山政権は普天間飛行場の県内移設はありませんと発言され、3/4辺野古キャンプシュワブ沖案を米側に断念するという旨の報道にはさすがに感心した。しかし、その同日に12年前に地元住民が反対で頓挫したホワイトビーチ勝連沖案が再浮上、なんたることなのか、失望と怒りが入り交じった感情がわき起った。県内移設はありませんと言いながら,キャンプシュワブ沖がダメなら、ホワイトビーチ勝連沖案、今日の朝刊にもあったこの県民大会をあざ笑うような辺野古案の修正案、くい打ち工法が報道されている。許し難い事案だ」と怒りと憤りを発言しました。
 高校生代表として、普天間高校岡本かなさんが「厚さ6aの窓、その窓一杯に見える飛行機の胴体、これが私たち普天間高校の日常の光景です。私は2年前あこがれの普天間高校に入学しました。しかしグラウンドに出ると低く黒い影、授業中でもテスト中でも、容赦なくすべてを中断させる音。低空飛行する機体に向かって、思わず私はうるさい!と叫んだこともあります。学校までの通学路は長い基地のフェンスが続いています。校舎から基地の星条旗が見えます。ここって、日本だよね、一体フェンスで囲まれているのは基地なの、私たちなの、私は一瞬考え込んでしまいました。仕方がないとか考えて、考えなくなっている自分と向き合いたい。基地問題に、1人1人が向き合えば、すべては変わると考えて私はここに立っています」とアピールしました。続いて、同高校志喜屋成美さんが「沖縄には基地は必要ないと思うのです。普天間高校でも県民大会を機会に基地問題について1人1人が考え始めている。県内外でも、基地問題を何とかしたいと思い、この瞬間もこの問題を考えている。基地問題は現場だけでなく、沖縄県民だけでなく、すべての人が自分の問題として考えてほしい。多くの人にこの思いが届くことを願っています」とアピールし、岡本さんと志喜屋さんが「未来は私たちの手の中に」とお互いに声を上げ、宣言しました。
 会場から地鳴りのような大喝采、拍手と、歓声が鳴り響きました。
 大会の最後に大会スローガンと県民大会決議案が採択され、9万人が心を1つにした「団結ガンバロー」で、県民大会が締めくくられました。大成功の大会でした。
 この大会は、沖縄独特の大きな墓の前で親族が食事をするシーミー(清明祭)の最終日にあたり、参加出来ない人も多かったと報道されていました。大会終了後も、大会会場へ向かう車で、道路は大渋滞していました。シーミーの時期でなかったら、参加者は9万人をはるかに超えていたことが想像できました。大会の盛り上がりは想像を絶するものでした。

2010年5月10日
リブ・イン・ピース☆9+25 KB