5月4日、鳩山首相は沖縄を訪問し、「県内移設」を伝達し「県民に負担をお願いしたい」を発言しました。対米協力と日米安保最優先、「少なくとも県外」の公約を公然と破棄する無責任で沖縄県民を愚弄した対応に、100人が集まった対話集会では「沖縄の怒りのマグマが噴出することもある」等の激しい怒りの声が上がりました。「県民大会の意義を伝える有志」は、この4月25日の県民大会の意義を鳩山首相や全国に伝えようと、4日に各地で集会を開きました。 ※首相、県内移設表明 普天間の「公約」破棄(沖縄タイムス) ※謝罪行脚に怒号 宜野湾の叫び悲痛(沖縄タイムス) ※切れた期待の糸 名護市民、失望深く 首相「県内」表明(沖縄タイムス) ※首相来県 民意傾聴し「県内」断念を 新基地建設しては禍根残す(琉球新報) ※鳩山首相「県内」を表明 辺野古沖くい打ち案軸(琉球新報) ※あす総理沖縄入り “沖縄の思い伝えよう”と呼びかけ(琉球朝日放送) 4月25日に読谷村運動広場で開催された県民大会には9万人が結集し、普天間基地閉鎖、新基地反対の民意が決定的な形で示されています。集会では高校生が司会をし、オジイ、オバアから若い世代までが集まりました。集会そのものは午後3時からでしたが、午前中から沖縄の歌や踊り、三線の演奏などが行われました。沖縄の全政党が主催者の側に回り、沖縄のすべて世代が参加し、そして沖縄の文化や芸術までもが沖縄の平和を求めて結集したのです。 このような集会の直後に鳩山首相がさらなる基地負担を押しつけるために沖縄を訪問したことは決して許すことができません。5月16日には、普天間の包囲行動が予定されています。私は4月23日から4月25日にかけ、辺野古と高江の座り込み、そして沖縄県民大会に参加し、改めて沖縄の基地移設を阻止する意志を強くしました。以下シリーズでお伝えします。 4月23日、辺野古座り込み行動 4月23日、関空発の始発飛行機で那覇に向かいました。天気が悪く雲海を飛んだために,辺野古や勝連沖の写真は撮れませんでした。那覇空港に着いたとたん自衛隊機がたくさんいました。那覇空港からレンタカーで辺野古へ行きました。午後12時半ごろ到着しました。 @カフェでみんなで書いた寄せ書きを渡しました。何と88枚目で、縁起がよいと喜ばれました。記念写真も撮りました。毎週金曜日早朝のキャンプシュワブへの抗議行動で使用してもらえるとのことです。持って行って本当に良かったです。 4月23日は平日なので、米軍キャンプシュワブでの射撃訓練と弾薬処理(使用期限の過ぎた弾薬の処理)の音が、ガガガと雷のようにこだましていました。今日は米軍と陸上自衛隊が射撃や地雷除去の共同演習を基地内でしていることでした。 また辺野古で座り込んでいる方から今朝強襲上陸挺が7台上陸演習していたと聞くことが出来ました。 ヘリ基地反対協共同代表の安次富浩さんに、「シュワブ陸上案」とはどういうものなのかを聞くことが出来ました。 「国道329号線より北側になりそうだが、まだ正式には何も決まっていないようだ。すぐ近くに辺野古弾薬庫や射撃場があるので、1500b滑走路と並存できるかどうか。オスプレイ配備との関係でどうなのか。弾薬庫への墜落の危険性は大きくなると思われるが」。 私が、「ヤンバルの森あり、谷ありで、どうやって平坦にするんでしょうか」と訊きました。安次富さんは「米軍には工兵隊がいて、巨大なブルトーザーで早急に平地にしてしまうことが出来ると言われている」と答えてもらえた。さらに他の参加者の方から「米軍はベトナム戦争でのソンミ村の大虐殺でも痕跡を残さないように1日で村を平地にしてしまったことを何人もの証言者がいる」と答えてもらえました。 キャンプシュワブの先端の見えるゲストハウスを望遠で撮ることができました。キャンプシュワブの金網のリボンや寄せ書きも増えていました。辺野古テント村の前を米軍のヘリが遠くを飛んでいました。撮影できました。さらに防衛省のボートが環境アセスの追加活動をやっているところの写真も撮れました。 平日は米軍や自衛隊・防衛省が動き回っていることがよく分かりました。
4月24日、高江座り込み行動 4月24日、高江ヘリパット反対座り込み行動に参加しました。朝8時半に那覇の宿舎を出発し、高江ヘリパット反対座り込みテントには午前11時半に着きました。 途中で米軍のワゴン車に遭遇し、その車を追いかけるように走行しました。ワゴン車は北部訓練場(ジャングル訓練センター)に向かっているようでした。写真撮影できました。 高江ヘリパット反対座り込み本部テントには、すぐ横に沖縄防衛局が2月26日に強行して立てたフェンスがありました。巨大なコンクリートのブロックも置かれ、やり方のひどさに怒りがわき起こりました。 さらに沖縄防衛局は、フェンスから先を米軍提供施設区域にしてしまっていたのです。国・県・村の土地を勝手に米軍にくれてやるとは、どこまで米軍の犬なのかと頭にきました。住民のフェンスにしがみつくなどした抵抗運動で、なんとか扉は作らせなかったそうです。すごい抵抗闘争だと感心しました。ここでも、@カフェで書いた寄せ書きを渡すことが出来ました。大変喜ばれました。 N-1ゲートで、佐久間務さんとも交流できました。2月26日早朝防衛省が30人も来て、フェンスを作っていったとのことで、反対住民は6人で抵抗したとのことでした。コンクリートブロックはトラックから降ろさせなかったとのことでした。 4月24日から、「高江区住民への起訴を取り下げ、高江区周辺への新たなヘリパッド建設中止してください」署名に取り組まれていますので、全力で協力したいと思いました。 沖縄防衛局は3月1日から6月末までは、野鳥の繁殖時期なので、工事はしないと公言していますので、7月1日から総攻撃してくるとのことでした。時間がありません。 私が受け付けテントにいたときも、沖縄中部の高校生が6人くらい見学に来ていました。 4月24日午後4時頃に辺野古テントに、遠菜穂子さんとファルージャのイラクの人が来るという情報を聞いていたので、辺野古へ向かいました。 3時半頃に着いて、遠さんとファルージャのイラクの人と嘉陽のオジイとの会談が始まりました。嘉陽のオジイは88才の長老です。沖縄戦も経験しています。嘉陽のオジイは「地獄から来たんですね」と話しました。ファルージャと沖縄戦が同じように感じたのだろうと思います。イラクの人も感銘したようです。 そこで、徳之島から沖縄県民大会に参加するために来ていた女性から話を聞くことが出来ました。「沖縄と徳之島は琉球弧でつながっています。米国の支配下でも、日本の支配下でも小さな島はいつもひどい目に遭わされてきました」と話されました。徳之島集会のプログラムと決議をいただきました。辺野古へ来て、徳之島の方と連帯できたことも良かったです。
2010年5月6日 |