危険な普天間基地の即時閉鎖・返還を!
沖縄に連帯する6・12京都集会に1200人参加
名護市辺野古などでの新たな米軍基地の建設に反対を!基地のない平和な沖縄・日本を!
  
 6月12日午後、京都・みやこめっせにて、危険な普天間基地の即時閉鎖・返還を!沖縄に連帯する6・12京都集会(主催 6/12沖縄連帯集会実行委員会)が行われた。1200人が参加した。主催者の開会のあいさつ後、伊波洋一宜野湾市長が講演した。以下はその要旨である。

・沖縄戦で米兵が1万3千人が亡くなった。米軍はその意識で占領した。
・1945年から、新しい占領地を銃剣とブルトーザーで拡大した。伊佐地区では住民は銃剣で排除させられ、家はブルドーザーで壊された。
・27年間米軍の統治下だった。復帰しても、基地付きで、沖縄本島の20%が基地で占められ、その内宜野湾市は32%、嘉手納町58%も基地が占めている。
・復帰後38年間沖縄基地問題として矮小化され取り扱われている。
・私は宜野湾市職労委員長から中部地区労専従として,1995年現地闘争に取り組んだ。
・1995年少女暴行事件が日米両政府を突き動かし、SACOが締結。2002年に米軍11施設が返還の対象にされたが、14年間経つが普天間は返還されていない。
・普天間基地機能の強化。2003年、これまで航空機の年間離発着回数15000回が、3万回に増大。2004年3月1日には1日で300回離発着する事態もあった。ヘリが1分30秒で空中給油機KC130 が5分で1回離発着する。
・2004年8月13日、沖縄国際大学本館西側に墜落した。基地の管理権が米軍にあるのは世界でも珍しい。日本政府に航空計画を出していない。NATOなら飛行許可を出さないだろう。他国でも米でも基地被害出したら、基地は存在できないものだ。視察で訪問した米ペンドルトン市は、基地はあるが、戦闘機が市内上空を飛ぶことはない。政府が迷惑施設は作らないからだという。
・1978年米カーター大統領が米軍に対しても、環境を守るようにと、1990年GAOを制定し、1996年には域外(米国外)環境基準を設定し、守るべきだと言っている。日本とはJEMSを締結した。ラムズフェルド当時の国防長官が沖縄に来て、普天間基地を見て、「何でそんな所に基地があるのか」と言った。
・岡田外相は辺野古新基地が出来なければ普天間は固定化すると言っている。日本政府がきっちり交渉すべきだ。新基地つくらなければ基地をなくさないとはどう考えてもおかしい。
・鳩山首相が辞めて済む問題ではない。日米共同声明は許さない。

 集会後、主催者と伊波市長が先頭になりデモに出発した。、こぶしを上げ、シュプレヒコールし、四条河原町まで、繁華街の市民に訴えた。

2010年6月20日
リブ・イン・ピース☆9+25