08.10.5 浪速人権文化センター ▲ 「慰安婦」問題との出会い1990.12 尹貞玉講演会 1991.11 従軍慰安婦問題ウリヨソンネットワーク結成 1991.12 金学順さん証言集会 1992.4 韓国初訪問 尹順萬さん、金順徳さんとの出会い (『朝鮮人女性から見た慰安婦問題』三一新書) 1992.8 宋神道さん宅、初訪問 1993.1 在日の慰安婦裁判を支える会結成 1993.4 宋神道さん提訴 ▲ ジュディス・L・ハーマンがDSM−Wに加えることを主張する「複雑性外傷後ストレス障害」の診断基準 1.全体主義的な支配下に長期間(月から年の単位)服属した生活史、実例には人質、戦時捕虜、強制収容所生存者、一部の宗教カルトの生存者を含む。実例にはまた、性生活および家庭内生活における全体主義的システムへの服属者をも含み、その実例として家庭内殴打、児童の身体的および性的虐待の被害者および組織による性的搾取を含む。 2.感情制御変化であって以下のものを含むもの ・持続的不機嫌 ・自殺念慮への慢性的没頭 ・自傷 ・爆発的あるいは極度に抑止された憤怒(両者は交代して現れることがあってよい) ・脅迫的あるいは極度に抑止された性衝動(両者は交代して現れることがあってよい) 3.意識変化であって以下を含むもの ・外傷的事件の健忘あるいは過剰記憶 ・一過性の解離エピソード ・離人症/非現実感 ・再体験であって、侵入性外傷後ストレス障害の症状あるいは反芻的没頭のいずれか の形態をとるもの 4.自己感覚変化であって以下を含むもの ・孤立無援感あるいはイニシアティヴ(主動性)の麻痺 ・恥辱、罪業、自己避難 ・汚辱感あるいはスティグマ感 ・他者とは完全に違った人間であるという感覚(特殊感、全くの孤在感、わかってく れる人はいないという自己規定が含まれる) 5.加害者への感覚の変化であって以下を含むもの ・加害者との関係への没頭(復讐への没頭を含む) ・加害者への全能性の非現実的付与(ただし被害者の力関係のアセスメントの現実性 は臨床家よりも高いことがありうるのに注意) ・理想化あるいは逆説的感謝 ・特別あるいは超自然的関係の感覚 ・信条体系の受容あるいは加害者を合理化すること 6.他者との関係の変化で以下を含むもの ・孤立と引きこもり ・親密な対人関係を打ち切ること ・反復的な救助者探索(孤立・引きこもりと交代して現れることがあってよい) ・持続的不信 ・反復的な自己防衛失敗 7.意味体系の変化 ・維持していた信仰の喪失 ・希望喪失と絶望の感覚 (ジュディス・L・ハーマン著 『心的外傷と回復』 中井久夫訳、みすず書房、1996.11より) ▲ 「オレの心は負けてない」製作と上映 「人の心の一寸先は闇だから。人の心が信じられずに生きてきたんだよねえ。騙されてばかりいたからさあ。でも、裁判かけて、体験を話してから、ちっとは安心した。オレも少しは人間らしくなったよ。すっかりあか抜けたババアになっちまった。」 「おれはどっちにしても、第一線の弾の中から生きてきた人間だから、おっかないことなんか何もないよ。おまえらがね、支える会始めて、中途半端に疲れたからやめるとか、言わない度胸があるのであれば続けるし、やめたければ裁判もやめるし、これはおまえたちの問題だ」 「今一番幸せだ。支える会のおなごたちが守ってくれてるから、幸せなもんだ。いま繰り返ししゃべったって元のようになるわけじゃないし、どうにもならねえ。だけど、分かってくれる人はわかってくれるからさ。」 ▲ 「戦争と女性人権博物館」建設決定の経緯 1990. 11.16 女性団体37団体と個人で韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)結成 <7大要求> 日本軍「慰安婦」犯罪の認定/真相究明/国会決議による謝罪/法的賠償/歴史教科書への記録/慰霊塔と史料館の建設/責任者の処罰 <博物館建設 活動年表> 姜徳景「いくら体が病んでも、生きていけるし、死ぬ日まで、最後まで闘うから…。全世界の人たちに私たちの問題を知って欲しい」 黄錦周「解放された後、飲み屋と食堂を25年もやったよ。人が酒やたばこをやってる時に、私は口にもつけないで、酒1瓶の代金、たばこ1箱の代金を甕に入れて集めたら、今年で1億ウォンになったよ。この金を挺対協で博物館を建てるのに使って欲しいと言って、あげたんだ。そしたら安心して、本当に気持ちがいいんだよ。私のような人間も、何十年もかけて金を貯めたんだよ。だから、この朝鮮の地で、みんな一緒に少しずつ手伝ってください。私よりも頭のいい人たちじゃないの。生きている間に、この記念館が建てられて、私の人生が無駄じゃなかったということを知って死ぬことができれば悔いがないよ」 吉元玉「私たちは、本当に厳しい時代に生まれてこんな目に遭いました。この世に生まれて子どもも産めず、このまま生きていても何も残せず、このまま死んでしまったらどうしようって、本当に虚しく、自分の人生が可愛そうでなりませんでしたが、こんな風に挺対協で、私たちの記念館をつくってくれるというんですから、本当に何よりも嬉しいです。私が死んでも、私が犠牲になったこと、それを忘れずにいてくれると言うんですから、あんな苦労をしながらも、今まで生きてきて本当に良かったと思います。どうぞ、記念館で、後世が私たちの歴史を見て、学び、私たちのように騙されたり、私たちのような被害に遭ったり、あんな厳しく辛い歳月を送ったりすることがないようにして欲しいと思います」 ▲ 進捗状況 |