9月9日から9月12日にかけて、「韓国ソウル水曜デモと歴史紀行」(日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク主催)のツアーに参加した。9日は初めて聞く町であった群山、翌日は群山にある米軍基地と日本軍「慰安婦」ハルモニたちが暮らすナヌムの家を訪れ、11日には水曜デモに参加した。 9/9 群山(クンサン)
ここは、1910年日韓併合後日本政府が日本人を移住させ、日本の食糧不足をうために重要な役割を果たした場所で、米を輸出する港町として中心的な場所であったことを知った。(お昼に食べた群山のお米はとても美味しかった。買って帰りたいほどだった)。 1910年代は日本人782人、朝鮮人420人。 1940年以降は日本人6800人 朝鮮6500人と 約半分が日本人で、群山市内に建てられた日本家屋は全体の20%。 1933年朝鮮半島で米1630万石のうち870万石を日本が持って行っていた。 長崎十八銀行群山支店 韓国では7番目の支店として1907年にオープンし、日本の産業資金を調達した。 韓国人にお金を貸して返せない場合は土地を取り上げており、そのため土地は日本人のものとなった。 小作人は50〜70%のお米を地主に渡していたため 飢餓状態だった。(自分でつくったお米を食べられないなんて…) 群山港 第6番目に開港された。 日本に群山のお米を運ぶ大きな役割をはたした。 「朝鮮産米増殖計画」土地・農業改良事業と称して土地を日本人のものにし、土地を無くした人を労働力にしてこき使い、労働力としては弱い女性を遊郭で働かせた。 9/10 群山米軍基地 基地村=アメリカタウン(米兵向けの歓楽街) 1969年ベトナム戦争中にアメリカタウンをつくった。 米軍基地のために独立した歓楽街(=基地村)をつくったのは韓国が唯一だった。 また、アメリカタウンだけが米軍基地から4km離れたところにある。当初は周辺にあったが住民の反対にあって離れたところとなった。 アメリカタウンは1969年〜2010年の間はアメリカタウン株式会社と言われたが、現在は国際文化村 "International Culture Ville"と呼ばれている。 現在アメリカタウンには女子従業員が24名、米軍相手のバー19ヶ所、カクテルバー8ヶ所、飲食8ヶ所、生活用品売場15ヶ所あるとのこと。 第5〜9代大統領(在任1963〜79)の 朴正煕(パクチヨンヒ)は、国の輸出の10%を稼ぐことから、ここで働く韓国の女性を「民間外交官」と呼んだそうだ。(ひどい!) 国家が公営として性売買を指導。現在は韓国女性は減って20人位のフィリピン人がダンサーとして入っている。
1934年、日本支配下のもと群山に大刀洗(たちあらい)陸軍分教所がつくられ、ここで訓練を受けた人は金浦(キンポ)(軍事空港)で訓練をうけ太平洋戦争のときはここから神風特攻隊が出発した。 1945年敗戦の10月5日に米国が入る。米機械部隊が駐屯、今は陸軍。 アメリカ、北朝鮮との緊張激化のため2007年アパッチヘリ部隊の拡張計画が実施されはじめ、囲いも広げられたが、実際には計画が棚上げにされている。(使わないのなら返せ!) 油庫からの油流出事故が起こり、周辺の農地が汚染されたが責任は取られていない。そのため市が調査して浄化。韓国政府が負担。 日本と同じく韓国が在韓米軍の基地調査は出来ない。 (人の土地をかりてるのに…) 現在10人のハルモニたちが暮らすナヌムの家 被害者と名乗り出たハルモニ237名のうち、現在56人のハルモニが存命。平均年齢80代後半。
9/11 1091回毎週水曜日に日本大使館前で行っているデモに参加
この日は、吉元玉ハルモニお一人の参加であった。 (ハルモニたちが入退院を繰り返している現状、高齢化しており、時間が残されていないことを感じた。)
9/12「戦争と女性の人権博物館」見学
平日でもあり館内は日本語の説明テープ付でゆっくり見学ができた。 有意義なツアーであった。私たちが知らされていない歴史、それを辿るツアーにまた参加したい。 2013年10月13日 |
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