[転載] 2/19新勤評反対訴訟の不当判決への抗議声明

 私たちも注目していた新勤評反対訴訟の控訴審判決が、2月19日大阪高裁でありました。大法廷は満員でした。判決は請求をことごとく棄却するもので許し難い不当判決でした。判決理由さえ述べない裁判長の態度に傍聴席から次々に抗議の声が起こりました。
 その後行われた集会では、弁護士や事務局長などから、一審では全く無視された原告側の証拠に言及され、「学校教育目標が・・・適切なものであるといえるか疑問を持たざるを得ないようなケースも存在する」(これはたとえば、○○大学に○○名を入学させるというような学校教育目標を念頭においているものと思われます)などと認め、「現に多くの教職員の士気を低下させ、協働性を損なわせている事実」が「教職員評価育成システム」を問題にする上で重要なポイントである事を認めざるを得ないなど、一審判決と違ったものになっており、判決をもとにこのシステムの問題を広く知らせていく事ができるという発言がありました。また、教職員へのアンケートから、評価システムに対して教職員の9割近くが廃止か改善を求めており、殆どの教職員が苦痛を感じながらも渋々自己申告票を出しているという実態も明らかにされました。請求は棄却されましたが、今後のさらなる運動への大きな決意を感じるものでした。
 以下に抗議声明を転載します。

2010年2月22日
リブ・イン・ピース☆9+25

新勤評反対訴訟ホームページ
抗議声明(新勤評反対訴訟団事務局)

(声明)
「新勤評反対訴訟」大阪高裁不当判決に抗議する
〜私たちは「新勤評制度」の廃止を求める闘いを継続し拡大する〜

 大阪高等裁判所第4民事部(一宮和夫裁判長)は、新勤評反対訴訟控訴審において1審の判断を追認し、私たちの請求を棄却する判決を下した。
 私たちは、不当判決に強く抗議する。新勤評反対訴訟原告団は、上告を決意し、最高裁判所でも闘いを継続することを決定した。私たちは、大阪の「教職員評価・育成システム」とその評価結果の給与反映制度=新勤評制度の違憲・違法性を訴え、あくまでも本件システムの廃止のために裁判と反対運動を結合した取り組みを継続する。
 一審判決(吉田徹裁判長)は、「公権力による裁量権」を口実に、システムが憲法、教育基本法、学校教育法の制限を逸脱しているとまでは「断定」できなかったから、「違法性が認められない」と判示した。訴訟団は、控訴審において、この論理を覆すのに十分な反論と証拠を積み上げてきた。とりわけ本件システムが子どもの学ぶ権利を侵害する制度であること、教育の協働性を現実に破壊し「学校の活性化」に逆行する制度であることを、中田康彦(一橋大学)鑑定意見書及び控訴理由書と2回にわたる準備書面による論理と証拠、そして何より、小・中・高校・支援学校等様々な校種に所属する原告自身や卒業生等の意見陳述による現場の具体的事実と「検証アンケート」(09年10月〜11月府立高校教職員対象)に基づく実態分析をもって、次から次への証拠を突きつけてきた。
 一宮判決は、一審判決の結論を追認した。しかし、システムが現にもたらしている以下の具体的な事実を認めざるを得なかった。「学校教育目標について、教職員間での十分な議論や意見交換、前年度までの総括や意見集約等がなされた結果の、個々の児童生徒や地域の実情等に即した適切な学校教育目標であるといえるか、疑問を持たざるを得ないようなケースも存在する。」また、「本件システムを原因として、現に多くの教職員の士気を低下させ、協働性を損なわせている事実を認めることはできない。」と、私たちが立証した事実を「現に」「多くの」という形容を付けなければ否定できなかった。したがって判決は、「目標設定、面談、評価、苦情審査、給与への反映などのそれぞれの段階で、より効果的に制度目的を達成すべく、制度のあり方等をさらに議論し、改善をはかっていくことが必要」であることを確認しなければならなかった。
 それにも関わらず、一宮判決は、「疑問を持たざるを得ないようなケース」が存在しても、「検討改善すべき点があっても、いずれも運用の問題にすぎず」「制度そのものを否定するのは相当でない」等々を繰り返して、結局全部の事実について大阪府の「裁量権の範囲」(濫用とまでは言えない)であるとして、一審の不当判決を支持した。
 判決が、大阪府の措置をすべて「裁量権」で容認するのは極めて重大な問題である。私たちは評価・育成システムが、教職員を支配し教育の自由を侵害するだけでなく、それを通じて子どもの学習権を侵害していることを事実を含めて立証してきた。学習権侵害は自由権に対する侵害であり、放置すれば子どもたちに取り返しのつかない損害を与える。大阪高裁は、「疑問を持たざるを得ないようなケース」を認めた。しかし、どのケースが「疑問」の対象であるのか、またそれがどの程度一般的であると認定できるのか等の判断を回避し、その被害とシステムとの関連をあいまいにし切り離した。個々の事実を認めざるを得ないのに、「行政裁量」で容認する高裁の判断が正しいとするなら、子どもたちや保護者、教職員がシステムによってさらに広範で深刻な被害を受ける事態になるまで、法律は訴えがあってもその被害を無視するということである。
 このような判決を受け入れることはできない。私たちは、教職員や保護者、市民に呼びかける運動をさらに拡大し、本件システム廃止のための闘いを継続する。

2010年2月19日
新勤評反対訴訟団事務局