当ホームページで、11月22日に行われる予定の元東京都立高校校長土肥信雄さんの講演会(主催:「日の丸・君が代による人権侵害」市民オンブズパーソン)を紹介したところ、この元校長の闘いを描いたテレビ朝日系の番組についての紹介メールを複数の方から頂きました。テレビ朝日では、6月22日放送の「テレメンタリー2009」と6月29日放送の「報道発ドキュメンタリ宣言」でほぼ同様の内容を報道しました。特に「報道発ドキュメンタリ宣言」はゴールデンタイムであることから、全国の多くの人々に観られ、感動と勇気を与えたことが分かりました。土肥元校長は現在、都教育委員会を相手に裁判闘争を闘っており、それは教員や子ども達を統制し、支配しようという石原都政の教育行政との闘いでもあります。ここで送られてきた紹介メールをそのまま転載すると共に、多くの皆さんが講演会へ参加される事を呼びかけたいと思います。
2009年11月9日 まずこの番組の題を見て驚きました。校長先生が「反乱」? 私が学校時代の校長先生といえば、朝礼の時に眠たい話をする以外は校長室に閉じこもって何をしているのかわからない人というイメージでした。でもこの学校の校長先生は校長室にじっとすることなくいつも生徒たちとふれあっている。しかも生徒たちがそれを心底楽しそうにしている。こんな校長先生がどうして教育委員会に反乱を起こしたのかと言えば、教育委員会が職員会議はただ決まったことを伝達するだけの会議にせよと命令をしたからでした。それでは表現の自由が侵されると思ったので、教育委員会に対して抗議したのでした。 考えてみたらいや考えてみなくても表現の自由が大切だと言うことは当たり前のことです。それを主張しただけで再就職ができなくなるなんてまるで戦前です。校長先生を見張りにやってきた教育委員会の人たちがまるで特高警察のように見えました。校長先生としての最後の卒業式もカメラ撮影が禁じられるなんてひどすぎます。 でもすごくうらやましいと思ったのは最後の離任式のときに生徒から手作りの卒業証書をもらった場面でした。校長先生と生徒たちが本当に信頼しあってるなと思いました。それにしてもこんな校長先生をいじめる教育委員会には本当に腹が立ちました。 (じゃりん子) ホームページで紹介されている11月22日の講演会を知って驚きました。この土肥信雄さんって、あの「ドキュメンタリー宣言」に出ていた校長先生のことでは?やっぱりそうでした。校長先生らしくない校長。生徒全員の名前やキャラを覚えていて、生徒達に「この高校がこんなに自由でいられるのはあの方のお陰」と言われています。土肥校長が反乱したのは、職員会議で一般教員の発言をさせてはならないという通達に対してでした。都教育委員会の数々の横暴からすれば、小さなことだったのかもしれません。しかし、そこには、校長を通じて学校を支配しようという教育委員会の意図が集約されていたのです。土肥さんは、子ども達に身近に接している現場の教師の意見を聞かずに子ども達のことを知ることはできないと、子ども達のために立ち上がったのでした。最後に、土肥校長が生徒達から「卒業証書」を渡される場面は感動的です。その卒業証書は、土肥校長が教育委員会の弾圧に屈しなかった事を賞賛していました。 子ども達にとって学校教育がどうあるべきかを問いかけるすばらしい番組だと思いました。 (ロットン) 土肥信雄校長は、「変な」校長である。世間一般的な“校長”とは随分かけ離れた人物であると言わざるを得ない。学校に言論の自由が必要だと宣言して憚らず、毎朝フレンドリーに生徒に挨拶し、休み時間には教室訪問、クラブ活動にも積極的に参加する。そして何よりも、生徒に慕われている。これは教育委員会にとっては邪魔で邪魔で仕方ない存在であるだろうし、我々にとっては椅子から立ち上がって拍手喝采すべき人物であると言える。 生徒は、「あまり校長室にいるの(を)見ない」と言う。これこそが彼のスタイルであり、その意味するところは、「生徒と直に触れ合うことなくして現場のことはわからない」という素朴で力強い信念である。口にするだけでなく自ら実践しているところが高く評価できる。 毎朝校門の前で挨拶をするとか、教室訪問や部活動参加は、行っている教員も珍しくはない(校長ではこれでも珍しいが)。しかし、その中には生徒を監視し、束縛し、思い通りにならないと生徒に対して文句を垂れるような者もいることはよく知られている通りだろう。そのような教員は、土肥校長のように生徒から慕われることはない。 では、そのような教員と土肥校長の違いはどこにあるのか。それは、「言論の自由を主張してるかどうか」であり、「一本筋を通しているかどうか」である。都教委の弾圧に対しての闘いを通じて、彼の「筋を通す」行いを見ていこう。 発端となったのは、都教委からの通達であった。その内容は、職員会議において現場教員の挙手及び発言を禁止するというもの。これをやられると校長の独断で全てが決まってしまう。土肥校長のような人物であればともかく、大多数のケースでは、校長は全ての学校教員の中で最も現場を知らない位置にいる。これまでの自由な発言と多数決による議決は全て無視されるとなると、学校運営において大きな支障が出るのは間違いない。都教委に問い合わせてみると、「職員会議は決定事項を通達する場である」との返答があった。これではとても「会議」とは言えない。 土肥校長は、この通達に異議を申し立てた。公開討論を要請し、都教委に真っ向から立ち向かったのだ。このような「変わり者」がいかにして校長という職に就き、そして何故権力に歯向かうことが出来たのか。そのルーツは数十年前の大学紛争にまで遡る。 当時、東大農学部の学生であった彼は、東大卒という肩書き欲しさに闘争には加わらなかった。そのことを彼は長らく負い目として感じていたのである。これが第一のベースとなった。その後、商社に努めた彼は、カルテル(談合)が行われていることで上司に逆らった。これが第二のベースである。その後どのような経緯で校長になったかは番組を見る限りでは推測するしかないが、心の内に誠実さと闘争心を保持しつつ校長という学校の最高権力者にまでなったのは奇跡的なことであろう。 大概のことは我慢するが、譲れない一線がある。もしもここで権力に屈服してしまうと、生徒に対して示しがつかないというのが彼の「筋」であった。敵に“心を折られる”よりも自分で“自分の心を折ってしまう”方がダメージは大きい。彼に対して都教委はマスコミを使って攻撃したり、定年退職後の就職を潰したりと様々な方法で心を折ろうとしてきた。しかし土肥校長は屈服しない。そんな彼が離任式の日に生徒たちから最高の励ましをもらったのは当然であった。 教員生活の最後を締めくくる離任式の日。土肥校長は短くわかりやすいスピーチを述べた。やっぱり最後まで「変な」校長だった。「普通」の校長は長々とくだらない話をするものと相場が決まっている。土肥校長は生徒の心をよくわかっている。そして生徒たちが壇上に上がり、校長への「卒業証書」を授与した。「教育委員会の弾圧にも負けず・・・」という文章が示すとおり、生徒たちは何よりも、筋を通して戦う彼に惹かれたのだ。 定年退職という言葉通り、彼は60歳を迎えた。しかしとてもそんな年齢には見えないくらい若々しい。それも当然のことであると頷ける内容だった。 ただ、引っかかる点が無かったわけでもない。 まずは土肥校長の言葉で「(生徒以外には)失うものは何もない」との決意表明。これに対して妻は「私がいるじゃない」と思ったという。この夫婦については、そうそう深い亀裂がはしっているようには感じられなかったが、「闘争を理由に家庭を犠牲にする」ということについて、土肥校長だけでなく我々もよく考えなければならない。 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)をやり玉に挙げていたのも気になった。確かに言論統制が敷かれているのは周知の通りだが、「北朝鮮では」という物言いには、政府と人民を分けて考える発想が必要なように思う。 そして「言論の自由」だが、番組を見た限りにおいては、土肥校長は「自由であれば全て良し」と考えているように思えた。実際には自由だけでは困ったことになる。弁術に長けた者が幅を利かし、口下手な者は自分の意思を表明することも出来ずに縮こまっているしかない。これは私の実体験に基づくものである。 (2009/10/28 維澄) |