[解説]11/23ベネズエラ統一地方選の結果
州知事の77%、市長の81%でチャベス与党・社会主義統一党が勝利
――大手メディアは「チャベス派敗北」報道で騒乱を煽る――


 11月23日(日)、ベネズエラで統一地方選が行われた。23州のうち、改選時期が異なるアマソネス州を除く22州の知事と、州に準ずる首都区の長官、首都区5区の長、さらに全国328の市長、および233の地方議会の選挙である。
 今回のこの統一地方選は、チャベス大統領を党首とする「社会主義統一党(PSUV)」が今春創立大会を終えて正式に発足した後の初めての全国的選挙である。また、昨年末の憲法改正レファレンダムでのチャベス派敗北後の最初の大きな節目となる選挙でもあった。

 知事選では、22州のうち17州でチャベス政権与党「社会主義統一党(PSUV)」が勝利し、反対派が5州で勝利した。その内訳や前回選挙と比較しての評価は、首都区の状況と市長選も含めてきわめて複雑で、情報が錯綜している。大手メディアでは、反チャベス派の「躍進」とチャベス派の「後退」が過度に強調されて報じられたが、それらは虚偽報道に近い意図的な報じ方であった。これについては、詳しく説明する必要があるので後に詳述する。
 首都区(Greater Caracas)長官は、チャベス派であったのが反対派に奪われた。首都5区の長は、貧民の多い最大の区でチャベス派が勝利したがそれ以外の4区で反対派が勝利し、チャベス派2区、反対派3区から、チャベス派1区、反対派4区となった。
 全国328の市長選では、265の市で「社会主義統一党(PSUV)」が勝利した。市長選の結果については、集計と発表が知事選よりも少し後であったことから大手メディアではまったく報じられなかったが、各地域における参加型民主主義の前進をはっきりと反映した結果となっている。チャベス派の市長は、2000年の114から前回2004年の226を経て、265(81%)にまでさらにいっそう前進したのである。

 なお、投票率は、地方選としては異例の高さで65.45%であった(前回2004年は45%)。また、チャベス派と反対派の得票数については、昨年末の憲法改正レファレンダムでの得票数と比較して、チャベス派はおよそ150万票増加し、反対派はほぼ横ばいであった。(この評価については観点の違いからある程度誤差がある。チャベス派は120万票増加、反対派は20万票減少という評価もある。)

複雑な状況と錯綜した情報
 州知事のチャベス派と反対派との色分けは、大手メディア報道では、前回2004年が20対2であったのが今回17対5になった、したがって「野党躍進」「チャベス派後退」だと報じられた。しかし、これは明らかに意図的な、虚偽報道と言ってもいい報じ方である。その内実を詳しく見てみよう。


 2004年のときにチャベス派が20州を制し、反対派が2州(スリア州、ヌエバ・エスパルタ州)だけであったのは事実である。しかし、このときの「チャベス派」とは、主に「第5共和国運動(MVR)」のことで、これは、腐敗した第4共和国を根本的に改めるためチャベス大統領支持の一点で結集した選挙運動の組織である。「第5共和国運動(MVR)」は、ボリーバル憲法(1999年末)制定後の諸改革や2002年4月の反革命クーデターとその後の闘いなど、大きな闘いを経るごとに離合集散を繰り返してきた。
 チャベス大統領は、2005年はじめごろから「21世紀の社会主義」へ向けて進むことを鮮明にしはじめ、それ以降、明確な政治的プログラムを持った政党の結成をめざしてきた。そして、2006年末の大統領選の後に正式に提唱されてから1年以上かけて準備されてきた「社会主義統一党(PSUV)」が、今年はじめに創立大会をもち、正式の党として発足した。チャベス派のそのような発展の中で「第5共和国運動(MVR)」は解体されていった。そして、社会主義へ進むことを受け入れない部分の多くは、反チャベスに転じていった。
 そういう状況の中で、20州のチャベス派知事の中から5州の知事が、今回の選挙までに反チャベスに転じていたのである。アラグア州、グァリコ州、スクレ州、カラボボ州、トゥルヒジョ州の5州である。したがって、今回の選挙前のチャベス派と反対派の状況は、15対7であって、20対2ではないのである。

 今回の知事選の結果は複雑である。まず、知事が反チャベスに転じた5州については、4州で「社会主義統一党(PSUV)」が勝利しチャベス派が取り返した。残る1つのカラボボ州は、PSUV候補と反対派候補、近々に反チャベスに転じた前知事との三つ巴の闘いになり、反対派候補が勝利した。前回2004年にも反対派が勝利したスリア州とヌエバ・エスパルタ州の2州は、今回も反対派が制した。さらに、チャベス派知事であった2州(ミランダ州とタチラ州)で、今回PSUV候補が反対派に敗れた。このうちミランダ州は首都カラカスのある人口最大の州なので、大きな衝撃を与えた。
 これに加えて、州に準ずる首都区(Greater Caracas)の長官でもPSUV候補が敗れ、いっそう衝撃が広がった。首都5区の区長でも、チャベス派は前回の2区から1区に後退した。首都5区でチャベス派が唯一勝利したのは、最大で最貧のリベルタドール区である。ここは前副大統領のホルヘ・ロドリゲスが圧勝して、首都圏での2つの敗北の衝撃をある程度緩和した。
 少し遅れて明らかになった市長選では328のうち265市でチャベス派が勝利して前回よりいっそう前進し、ボリーバル革命が全国の地域共同体で着実な前進をとげていることがはっきりと印象づけられた。反チャベス派が知事選で勝利した州でも、スリア州以外の4つの州でチャベス派市長のほうが多いという状況になっている。

 当初出された諸結果から生じた一定の衝撃は、反対派と米国による大々的な情報戦によって極度に増幅された。州知事についての結果をあらためて要約すれば、チャベス派と反チャベス派の対比は、15対7からプラス4マイナス2で17対5になったということになる。しかし、これを4年前の20対2を基準に報じることでチャベス派が後退したと印象づけ、同時に首都カラカスを含む人口稠密のミランダ州と首都区でチャベス派が敗北したことを一面的に強調して報じることで、米国大手メディアは“チャベス派敗北”とまで報じた。日本の大手メディアは、それに追従した。
 ベネズエラ国内でも、首都区とミランダ州での敗北を中心に当初チャベス派内にも動揺が広がった。しかし、市長選も含めて諸結果が詳しく報じられるにつれて、次第に冷静な評価が行われるようになっていった。

※ 参考:「ベネズエラの2008年地方選」(by Venezuela Information Office)
※ 参考:「ベネズエラの政治的指導者たちは地方選の結果に前向きに対応する」(by Tamara Pearson - Venezuelanalysis.com)

チャベス派内の「内生的右翼」に対する人民の反感
 今回の選挙結果を評価する際に最も重要なことは、主に2つある。
 ひとつは、全体としてのチャベス政権に対する人民の支持は揺るがず、むしろ一定の前進をとげさえしたということである。それは、「21世紀の社会主義」を鮮明に掲げた新党「社会主義統一党(PSUV)」のもとで、州知事の77%、市長の81%で勝利したということに現れている。
 もうひとつは、その反面で、「チャベス派内の非チャベス的部分」または「内生的右翼」といえる人々に対する人民の不満と反発が昂じてきていることである。とくに、一定の地位にあってそれを保持するためだけにチャベス派内にとどまっているような人々である。チャベス派を標榜してはいても、社会主義に向かって前進するつもりなど全くないような部分が、これまでにも広範に存在していたし、「社会主義統一党(PSUV)」の内部にもまだかなり存在している。それが人民の反感の的となって今回の選挙結果にもくっきりと現われ、チャベスを支持している中の最も革命的な人々の間で大きな問題として意識されるようになってきているのである。

 今回の選挙で最大の注目点となったミランダ州と首都区での状況について、詳しい分析と議論が行われはじめている。そこでは、チャベス派の前職のもとで住民の間に不満が蓄積していたこと、そのために全体の投票率との比較で5〜10%棄権率が高かったこと、および反対派内での新しい動向などが焦点となっている。

 反対派の中では、若い情熱的な活動家を中心とする極右的な新党「正義第一(Primero Justicia)党」が台頭してきていた。それを旧支配層オリガーキーと米国とが強力にバックアップしている。この反対派の新党が精力的な活動を行い、その情熱的な宣伝が中産階級にかなり浸透し、また貧民層の一部にもある程度まで浸透していたようである。住民の間には、ごみ処理問題や犯罪の多発、官僚の腐敗、住宅問題などでの不満が蓄積していた。それらがあいまって、首都圏を中心とする今回の選挙結果となってあらわれたのである。
 首都カラカスとその周辺は、西部の貧民層地区と東部の富裕層地区とに鮮明に分かれている。首都5区のうち東部3州は、人口が少なく、伝統的に旧支配層の牙城である。西部のリベルタドール区は、最大の人口をもつ貧民地区である。その中間に位置するスクレ区が、ミドルクラスの居住地域とスラム街が混在している地区で、今回チャベス派から反対派に移った区である。この区のチャベス派の候補は前内相ヘッセ・チャコンであったが、8%差で敗北した。首都区長官は、前教育相のチャベス派に対して前カラカス市長を押し立てた反対派が勝利した。
 敗北したミランダ州知事は、チャベス大統領の古くからの同志で1992年の失敗に終わった軍事蜂起のときから行動をともにしていた人物であるが、チャベス派内の「内生的右翼」を代表するようになっていた。権力を手にした後、革命過程を穏健化し権力に安住する傾向を強めていたのである。そのような状況の下で、不満をつのらせた人々がかなりな程度棄権したことが、反対派勝利の重要な要因となった。
 これは、昨年末の憲法改正レファレンダムでの敗北と同じシチュエーションである。反対派は精力的な活動を展開したが、大きく票を伸ばしたわけではなく、チャベス派内でのとりくみの不十分さから、人民の不満の増大とそれによる棄権率の高まりのために敗北したのである。

 以上のような分析と反省がチャベス派内で即座に行われはじめ、首都圏を中心とした一定の敗北と後退を重要な教訓として、革命過程をいっそう前進させるための議論が開始されている。否定的な諸結果を前進の糧とする努力が、最も革命的な人々の間で精力的に行われているのである。

※ 参考:「粘土の足かアキレスの踵か?」(by George Ciccariello-Maher)
※ 参考:「コミュニスト党とソーシャリスト党の分裂:ベネズエラ共産党市長候補へのインタヴュー」(by James Suggett - Venezuelanalysisi.com)

反対派と米国の策動を封じて
 旧支配層オリガーキーと米国は、チャベス政権が成立して以来、一貫してチャベス政権を転覆する策動を追求し続けてきた。それは、2002年4月の反革命クーデターが失敗して以降もずっと続いている。政治的対立が激化する節目には、いつも新たな反革命クーデターへ向けた策動が表面化してきた。昨年末の憲法改正レファレンダムで反対派が勝利して以来、今回の統一地方選に焦点を当てたとりくみが系統的に行われてきた。反対派のなかから、折に触れて、地方選を機にチャベス政権を転覆する策動が語られてきた。

 今回の選挙結果についての全国選挙委員会(CNE)の速報が出る前から、反対派の大躍進とチャベス派の敗北についての予測が、ベネズエラ国内でも国際的にも大手メディアから流されはじめた。それは、国内的にはオリガーキーが依然として掌握している私的メディアが、そして国際的には米国メディアが主導した。投票終了直後の報道では、知事選で反対派が22州のうち12〜15州で勝利するとさえ報じられた。そういう意図的な情報操作によって、選挙後に混迷した情勢をつくり出し反革命クーデターへ向けた諸条件をつくり出そうと、準備が整えられていたものと思われる。

 しかし、チャベス派の一定の後退があって、それが過度に強調されて報じられはしたものの、出てきた諸結果は、反対派と米国が想定し準備してきたような策動が功を奏するほどのものではなかった。だが、選挙後の情勢は微妙に揺れ動いている。直後には(選挙当日11月23日の深夜から翌24日にかけて)、「チャベス派敗北」が前面に押し出された宣伝活動が行われたが、選挙結果がはっきりしてきた段階(25日以降)ではそれは後退し、当選した反対派候補も穏やかな姿勢を前に出した。しかし、その後ふたたび、反対派が勝利した州を中心に極右的な部分の暴力が顕著に現れはじめ、社会不安が煽られている。今のところ、大きな事件にはなっていないが、反対派の一定の巻き返し策動が行われているのは間違いない。しかしながら、今回の選挙の客観的な諸結果は、そのような策動を封じ込めることができるような内実と重みをもっている。予断を許さない状況ではあるが、基本的に反革命クーデターへ向かう策動は封じられたといえるのではないか。

 今回の選挙は、大きな意味では、ベネズエラの今後の方向性に関する重大な国民投票という意味をもっていた。その意味するところは、「21世紀の社会主義」へ向かって前進することを、国民が民主的な選挙で肯定的に意思表示したということである。チャベス大統領を中心に、そのことが強調され、社会主義へ向けて前進する諸過程が加速される局面を迎えようとしている。それはまた、反革命との正面からの対決が再び前面に押し出されるときを迎えようとしているということをも意味している。

※ 参考:「ベネズエラの選挙結果の意味と新たな闘争」(F.フエンテス/Green Left Weekly)

2008年12月5日
リブ・イン・ピース☆9+25

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