2009/4/29 T.N. キューバの都市農業三カ所見学・経営者の女性――1300平方メートルを6人で経営―農業協同組合― ・経営者の72歳の共産党員――1700平方メートルを9人で経営 ・日系3世の経営者――5000平方メートルを家族6人で経営 都市農業の特徴 畦の土が流れてこないように畦の四方には囲い 畦の両側に背の高い虫を寄せ付ける花―ひまわりやマリーゴールド―を植える 畦の中に違う作物が植える 黄色を好む虫が多い。花粉は黄色。虫がほしいところには黄色のプレートを置いていた。 いろいろな種類の野菜を栽培している。 タマネギ・ほうれん草・キャベツ・大根・蕪・サツマイモ・薬草・ハーブ等々。 真っ黒なよく肥えた土。 草が一本も無い。 灌漑施設。−畦の真ん中に細い管が通っている。 牛の糞・鶏の糞・収穫したあとの葉・根・茎すべてを発酵させ肥料にしている。 ミミズを養殖している。 農地内の販売所で新鮮な野菜を売っている。 政府に売り上げの30〜15%に支払いあとは労働者の給料やボーナスに。 農地は1.7〜2haぐらいで、6〜9人ぐらいの人が働いている。 土地が狭いわりに働いている人(販売人も含む)の数が多い。 日本の農家一戸あたりの平均耕地面積1.7ha(17ooo平方メートル) 都市農園では1700平方メートル〜1300平方メートルに6人から9人 研究・研修機関がある キューバの都市農業について 1995〜6年頃から始める。 キューバ革命は当初からキューバに住むすべての男女および子どもに充分な食糧を生得権として保証することを目指してきた。さして食糧を」できるだけおおく実際に人が住んでいる場所に近いもっと小規模の農場や協同組合で農薬や化学肥料をできるだけ使われずに生産することを強く望んできた。 ルイス・ガルシア ハバナ農業大学の持続農業研究センター所長 総合的病害虫管理 オーガニック費用およびバイオ肥料 土壌の保全および回復 トラクターに代わって馬や牛などの動物を耕転に活用および代替エネルギー 間作および輪作 作物生産と牧畜を組み合わせた混合農業 代替となる機械化 都市農業および地域の参加 土地の共同利用の促進 農業研究の改善 農業教育の改革 キューバの都市農園を訪ねて〜「持続可能な」社会づくりを見る 『キューバ』。あなたはキューバと聞いて何をイメージしましたか。独裁者カストロが50年近く政権をとっている国、大きなアメリカのすぐ近くで小さな国なのに大いに頑張っている国、ソ連(旧ロシア)が崩壊したときに一緒にだめになると思っていたのに意外と潰れなかった国、等々。 キューバに魅せられて、昨年に引き続き今年もいってきました。きずなの会員の皆様にキューバの魅力の一端でも伝わればと思い重いペンを執りました。 キューバ滞在2日目の夕刻、訪問団の10名と連れ立って ホテルから歩いて数分のスーパーマーケットへお土産を買いに出かけました。もちろんそこには、ラム酒・コーヒーをはじめ様々な食料品や日用品が並べられていました。キューバ産のものをと探してみましたが、加工食品はコーヒーとラム酒のみ。すべてはメイド・イン・スペインやメイド・イン・○○でした。お菓子・お茶・缶詰等の加工食品は輸入されたものばかりでした。 日本では「消費は美徳」「大量生産・大量消費」「内需拡大しないと景気がよくならない」「買う気にさせるようなコマーシャル」「景気を上向かせる為に消費に協力」などとよく言われる消費社会です。消費社会の行く先は、地球環境の悪化や資源の枯渇などといわれ不安で不透明です。キューバはそのような不安で不透明な消費社会とは正反対な「持続可能な」社会でした。自然の摂理にあった循環のサイクルが行われていました。 都市型農園の農業を例にとってみてみましょう。すべて有機物が堆肥として還元されています。例えば牛や鶏の糞や収穫期を逸した野菜・落ち葉など。もちろん化学肥料は使わずミミズを養成し、ミミズで有機物を無機物や微生物に変え、肥料や土壌改良剤として使っていました。また農薬を一切つかわず虫や植物の生態を研究したうえでの(研究しながらの)農業でした。虫が数匹ではその植物にとっては害にはならないが、それが大量発生すると植物にとっては病気や枯れの原因となります。しかし虫がいないと受粉しないので困ります。虫がきてほしい植物のところには黄色い良く目立つプレートが畝にさしてありました。黄色の色を識別し好む虫が多いので虫を一箇所に寄せ付けるために長い畝の両端にひまわりやマリーゴールドの花を植えていました。1つの畝に二種類の野菜を育てています。それはお互いに生長を助け、互いを虫の害から守るためにとられている方法だそうです。また、機械といえば灌漑用のポンプがあるだけで耕運機は見当たりませんでした。どの農園にも、敷地内に販売所が設置され新鮮な野菜を売っていました。 キューバは以前から地球環境を考慮した農業を行っていたのでしょうか。答えは『NO』です。環境の観点から有機農業には関心があったそうですが完全に転換できていなかったそうです。なぜ、このように都市型農園ができ、そこで有機農業が行われてきたのかというと、それはソ連崩壊のお陰だそうです。ソ連の崩壊によって、一挙に石油・農薬・化学肥料が入ってこなくなったそうです。さらにアメリカの経済封鎖が追い討ちをかけました(バートン法)。そこで、キューバの人口の五分の一を占める200万都市のハバナ市民を飢餓から救うためにハバナ市内に農園を作りそこで野菜を栽培し市民に供給する政策をとったそうです。何が幸いするかわかりません。世界で一番新鮮でおいしい安全な無農薬有機野菜を食しているのはハバナの市民なのかもしれません。うらやましい限りです。(T.N.) (阪南中央病院『きずなの会だより』第19号投稿原稿より) |