Y.T. 1 キューバ社会主義キューバは他のラテンアメリカ諸国と同様、数百年にわたる植民地主義的・新植民地主義的搾取と抑圧を受け続けてきた発展途上の国である。しかも今なお、米帝国主義による、そして日本帝国主義も加担する恐ろしく厳しい50年にも及ぶ経済封鎖を受けている。キューバとキューバ人民は、軍事的政治的介入による転覆の恐怖に加えて、飢えと失業、極度の物不足の危機に絶えずさらされている。 しかしキューバは、ソ連と社会主義世界体制の崩壊の下でも、グローバル独占資本主義のバブル的「繁栄」、格差の異常なまでの拡大と貧困の増大に抗して、その対極にあるものとして生き抜いてきた。ごくごくわずかな食糧、財政、資源を可能な限り平等に分配し、最底辺に配慮して困難を人民全体で乗り切ってきた。その重点は生活必需品の配給制、医療、都市型農業(「消費者を生産者に」)=有機農業、それらのすべてと密接に結びついた教育の死守であった。そして今、資本主義の全般的な危機の中で、このキューバの社会主義的生き方に世界中の人民の、心ある人の関心が集中しつつあるのである。 人民ペソだけで生活している人々の生活は先進国の中間層の水準から見れば、まさに最低限度の生活である。しかしそれでも、最低生活、医療、教育は確保され、この点では今日本で進行している派遣切り・非正規切りによる、生活保護からの排除によるホームレス化や飢え、自殺というようなことはない。だからと言って、もちろん、それで満足できるというような状態ではとてもない。したがって物乞いや売春婦、窃盗は存在する。だが最低限度の生活ではあっても、それを国民全体が権利として獲得しているという事実は根本的に重要なことである。キューバ社会主義の神髄は、国家と国民経済全体がギリギリの状態にありながら、それにもかかわらず最底辺の人々に対する配慮を第一にやっているということの中にあるのである。 2 独立と革命の精神 社会主義的経済政策のすばらしさと密接に結合して、キューバ人民の最も輝かしいところは独立の精神、誇り高き魂である。どのような危機に瀕しても「独立か死か」「革命か死か」「勝利のために」である。 *対照的なのは東欧諸国である。ハンガリーは現在深刻な破たん状態にある。彼らは「西側に裏切られた」「西側は単にわれわれを市場として利用しただけだ」「社会主義は甘い水ではなかったがみな同じ水だった」と、自分たちの選択を棚に上げて恨み辛みを言っている。 私たちが滞在したホテルは私の基準では最高に思えた。しかし上には上があるそうである。通訳のスサーナさんによればジャマイカのホテルは米資本でサービスは完璧なそうだ。しかし利益はすべて米に持っていかれ自国には何も残らない。キューバ人は決してそんな選択はしない、と言って彼女は胸を張る。誇り高いキューバ人、ヴィヴァ・キューバだ。 またキューバのコーヒーはとてもうまい。キューバ人はデミタスカップのエスプレッソに砂糖を3〜4杯も入れて飲んでいる。時々ははじめから砂糖が入っている。私は苦いコーヒーが好きでブラックで味わった。だが多くのコーヒー原産国、たとえばコーヒー発祥の地でモカコーヒーのエチオピアやブルーマウンテンのジャマイカでは、コーヒー豆はほとんどが先進国に輸出されている。そのような国でコーヒーを注文してもインスタントが出てくるそうだ。キューバは米の経済封鎖もあって自国で消費している。有機農業でもある。だからキューバにおけるコーヒーのうまさは独立と社会主義の誇りで満たされているのである。 しかしなんといっても最も感動的なのはゲバラの精神が生きていることである。生粋のハバナっ娘で、1960年生まれの通訳のスサーナさんは、アンゴラが南ア・アパルトヘイト政権の介入によって崩壊の危機に瀕しキューバに救援を求めたとき17歳であったが、「ぜひ行きたい」「何かしたい」と切実に思ったそうである。またICAP(諸国民友好協会)の是永さんの話では「キューバ人はボランティア精神が旺盛である」「自分のためでなく人のために働きたがる」「よその国で困っていると血が騒ぐ。それも難しければ難しいほど血が騒ぐ」ということである。まさにインターナショナリズムが、革命的精神が染みついているようである。 革命博物館では、通訳はそれまでとも打って変って熱烈に説明してくれた。アメリカ帝国主義に対して怒りをこめ、カストロやゲバラの活動に対しては親近感いっぱいに、カミロ・シェンフェゴスについては陽気で冗談好きな「本当のキューバ人」として、4人の女性革命家リーダーを「革命の華」「革命の中の革命」として熱弁をふるってくれた。サンタクララでのゲバラの最後の激戦はバチスタ軍の精鋭400人に対したったの28人であった。バチスタはここからサンチャゴ・デ・クーパへの反撃の構想を建てていた。しかし住民全体が革命側にあり、列車の欠陥が製造した人からもたらされたことによって劇的に勝利した。ゲバラは兵士をできるだけ殺さないという方針で戦ったということである。博物館の最後は「感謝のコーナー」であった。なんと「一位はバチスタ、二位はレーガン、三位がブッシュ」であった。おかげでキューバ人はより統一できた。「バカよありがとう」、別名「バカのコーナー」ということであった。キューバ人の革命性と明るさの結合の象徴のようなコーナーであった。 3 陽気さ、人間性、直接民主主義 キューバの人々は明るく元気、そしてエネルギッシュだ。われわれが歩いているとだれもが、子供から老人まで好奇の目を注ぐ。手を上げたり、笑みを返したり、挨拶したりすると、満面の笑みで、親指を立てたり、手を振ったり、次々と声をかけてくる。「チノ(中国人)?」「ハポン(日本人)?」。「ハポン」と答えると、「ヴィヴァ・ハポン」「チャンピオン」と叫んで、親指を立て、両手を振ってくれる。 この陽気さはラテンアメリカ特有のものであろう。しかし同時に彼らの生活が根底において社会主義によって支えられ、豊ではないが、生涯、病気・事故によっても失業によっても脅かされることはない、ということに基礎をおいているのも間違いないであろう。 さらにもう一つ重要な要素がある。平等と直接民主主義である。ありとあらゆるところで自主的な活動、自治が当たり前のように基本になっているのである。 たとえば医療では、ファミリードクター――ポリクリニコ――病院――研究所というシステムがあって、患者と人々の必要にこたえられるようになっているが、それと並んで重要なことは、各地に住民のコミュニティーがあり、そこでたえず議論がなされてそこでの意向や不満がファミリードクターやポリクリニコに常時的に伝えられるということである。 老人たちは健康のために運動をしているということであるが、自分たちで道路を閉鎖してやっているということであった。 また職場では上下関係は厳しくなく、上司も「アイツ」と言ったり、怒鳴ったりすることはできないということである。だいたいキューバ人は思ったことをそのまま言うし、下も言われれば言い返すそうである。当然だが、不満や要求は労組が取り上げているとのことである。 一般にキューバ人は誰でも(「その辺の物売りまで」)、野球から、医療、教育、そして政治問題まで、はっきりと意見を言うそうである。この点では教育の充実が重要な役割を果たしていると思われる。 老人クラブを訪問した時も、施設の人が案内したり紹介したりするのではなく、すべてを老人たち自身の委員会が完全に仕切っていた。老人たちは非常に陽気で元気で、自分たちの企画の中に私たちを包み込んでくれるような形で大歓迎してくれた。彼ら彼女らは、介護される対象とか弱者というような状態とはまったく無縁で、社会の自主的な一員であった。 4 まだ健在な革命世代 今年はキューバ革命50周年であるが、印象的なのは革命を経験した世代がまだ健在だということであった。 ある都市農園を訪れたとき、そこでの経営者は72歳であったが9年前の定年まで党活動家であったと聞き、早速あれこれと質問した。革命前、17歳で、ハバナでの地下活動に入り、ゲリラへの資金集め、武器や物資の供給を担ったそうである。新指導部について質問すると「ラウルは革命を続ける。ダイナミックに前進させる」と言っていた。フェリペ・ペレス・ロケとカルロス・ラヘの辞任について聞くと彼は黙り、通訳がかわって、「カルロス・ラヘを国民は好きではなかった。彼は厳しすぎた」「ラウルも『キューバでは制限が多すぎる』『それも意味のない制限が』と言っている」、「まだ改革の必要がある、必要のない施設があり、省が多すぎる、重複がある」と解説した。真相はわからないが、この説明の中で、国民の評価が重要な役割を果たしていることが感じ取られた。 ICAP(キューバ諸国民友好協会)の是永さんのご主人も後から聞くと、68歳で、もとはカミロの部隊にいたということであった。そんなことならその話をもっと聞くべきであったと後悔しきりであった。 保健省の部長、ポルティージャさんは68歳の医師であったが、アンゴラ、仏領コンゴ、ベルギー領コンゴ、ハンガリー、チェコなどで活躍したということであった。 革命以前の屈辱と貧困のキューバを知り、自ら革命を担った人々がなお社会の多くの分野で活動していることは、キューバ社会主義にとって重要な支柱の一つであると思えた。 彼らに「最近の若者像」について聞いてみた。もと党の機関員は「若い人は変わらないが、当時とは状態が違う」という答えであった。通訳は下の娘が米にいて、米ではキューバ出身者には特別な奨学金があり、それを受けているということである。自分たちの世代とは違って、娘は物不足がいや、「キューバには住みたくない」とのことだが、それでも「キューバは大好き」だと言っているそうである。 5 二重経済が最大の課題 ラウル・カストロは「二重経済」「二重通貨制」の克服が最大の課題だ、と語っている。 国内通貨は「人民ペソ」、外貨は「兌換ペソ」にのみ交換可能で、1ドル=1兌換ペソであり、1兌換ペソ=24人民ペソである。 賃金格差は非常に小さい。単純労働者と大学教授、医師と看護師、さらに賃金と年金との差もあまりない。しかし、二重通貨制によって外貨にアクセスできる者とそうでない者との格差は大きい。海外にいる150万人のキューバ人から送金を受けている者、観光業に携わっている者の収入は極めて多い。ホテルのポーターなどの収入はチップによって大学教授や大臣よりも多額の収入を獲得しうる。出国希望者も多い。物乞いや売春婦は、欧米や他の途上国と比べるとはるかに少ないが、兌換ペソを求めて存在する。 キューバの指導部はこの二重経済を、社会主義的秩序を崩壊させる要因と見ている。米の経済封鎖による外貨不足によって余儀無く強いられているのではあるが、この二重通貨制度を克服することなしには、社会主義的発展を遂げることはできない。 キューバは依然として苦しい闘いを通じて、社会主義を守り発展させようとしている。 |