戸井十月さん「人を信じる人びと」
[投稿]「革命50年・ゲバラ生誕80年記念友好フォーラム」に参加して

チェの映画と小林多喜二「蟹工船」のブーム
 チェという映画が封切りになっている。お正月以降封切りされた映画の中で1番か2番の入りらしくて、東京や大阪を中心とした大都市が若者が言っているみたいです。ただ地方はちょっと弱いみたいで、情報が行き渡っていないみたいで。20代や30代前半の人が多い。大勢の世代は団塊とか。僕が18歳の時、ゲバラ39歳で1967年に殺されたんですね。キューバ革命も含めて、そのころの青少年は大学に行くと、運動を、反戦運動をやっていて、自分もその中に身を置いた人もたくさんいると思うのですが、僕たちの世代はチェ・ゲバラ、カストロ、キューバ革命がインプットされているという人が多いと思います。今の若い人たちはほとんど知らないはずなんですが、映画館に来ている人たちは若い人たちが多い。これは「蟹工船」とか漫画の「共産党宣言」が売れるとかと関係があると思います。
 先日この映画を作ったスティーヴン・ソダーバーグという監督、主役のゲバラ役をやったベニチオ・デル・トロ役者にインタビューをする機会がありました。去年の夏ぐらいにこの映画を配給するに当たって、二人に聞いた。チェという映画が来ると前編後編併せて4時間28分。とりあえずどんな映画か見てくださいと言われて、そのときはスペイン語しか字幕がない状態でみせてもらって、僕個人としては非常に興味があっていい映画だと思いました。「できることがあったら応援します」と言っておいた。その結果、ソダーバーグと話をすることが出来ました。彼は44、5歳で、僕らの世代とは15歳ぐらい違うのですが、非常に正直で誠実な男でした。実はこの映画を作るまではチェ・ゲバラという男のことはほとんど知らなかった。この映画の話が持ち上がったというのは、実はベニチオ・デル・トロというチェゲバラを演じている役者が、プエルトリカ−−アメリカ生まれのアメリカ育ちですが−−彼が8年前にトラフィックという映画がありまして、スティーヴォン・ソダーバーグ監督のアカデミー賞を取った映画です。メキシコとアメリカの国境地帯のコカインにまつわるアメリカ人との人間模様を描いた映画で。その撮影中にベニチオ・デル・トロはチェ・ゲバラを映画にしたいと思っていたらしくて、自分が演じたいと思ったのでしょう。それで、ソダーバーグに相談した。ソダーバーグはそのとき、その人誰?という感じで、正直に言ってました。ところがだんだん調べていくうちに、大変な人だと言うことがわかってきて、だんだん怖じけ着いてきたと、正直言っていました。何回かデル・トロ自身もソダーバーグも挫折しかかった。こんな男のことを映画にしても映画に出来るのかと、あるいは、出来たとしても必ず文句を言われるからというようなことを、でもってびびってしまって、いったんやめようかと思ったそうです。だだ、彼らはキューバにも行って、カストロにもこういう映画を撮りますよとよろしくとか言って、あいさつをしている。誠実にやろうとしていた。キューバで今もゲバラとともに最後のシューロ渓谷の最後の戦いと言うところまで一緒にいて、さらに生き残って、地球を1周してキューバに戻ってきた人がいるわけですけども、そういう人の取材をしたりして、作っていっていたわけです。

チェの映画作成を貫けたのはブッシュがいたから
 途中で2度3度挫折しかかったときに、なぜまたやろうと、思ったのかと聞いたらですね、「ブッシュがいたからだ」と。ソダーバーグははっきりと言っていました。彼じゃなくて仮にクリントンであれば、ブッシュじゃなかったらやめてたかもしれないと。また片方であまりにもブッシュがひどいのでゲバラの映画はなんとしてでもやろうというモチベーションが、それもブッシュのおかげだと言ってましたけれども。ちょうどブッシュが政権を執ったころに、この映画化の話が具体化してきて、いろいろあって8年経って、去年の8月前ぐらいにヨーロッパでカンヌ映画祭にかけられたり、公開されたんですね。ちょうど僕も去年の夏から秋にかけて、ニューヨークによく行って、NHKの仕事でアラブ系のコメディアンの人たちの、8年間彼らはひどい目に遭いながら、でも屈せずに、アラブ系コメディアンであることを逆手にとって、非常に独のあるジョークを発して、飛行機に乗る度に、ほかの部屋に連れて行かれたり、その人たちを追っかけてたんですよね。(「世界のドキュメンタリー」BS1)大統領選1ヶ月前にニューヨークにいまして、ディンオメダラーという若いコメディアンなんですが、彼はアメリカで生まれて育って、お父さんがパレスチア人お母さんはイタリア人で、自分自身は、中近東の血が混じっていることを意識したこともなかった。アメリカ人として非常にアメリカナイズされた暮らしをして、弁護士になって、おもしろくないからコメディアンになったと言う変わり者なんです。ただ9/11から180度変わった。彼の名台詞があって、9月10日の夜僕はアメリカ人としてベッドに入った。だけども11日の日からアラブ人になっていた。周りががらっと彼を見る目が変わっってくるんですね。自分からではなくそういう上からの状況によって自分がアラブ系であると自覚させられていく8年であった。別れるときは、彼らは全員オバマを支持していて、ただ選挙前まだどうなるかわからない。アラブ系のコメディアンにとってどういう8年であったかを聞くと人間として最悪の8年であった。ただコメディアンとしては最良の8年であった。あんないいネタを提供してくれた人はいないだろう、と言っていました。そしてもし選挙がマケイン・ペインの恐怖の結果になったらどうすると聞いたら、彼はにやっと笑ってキューバに亡命すると。この8年間は僕たちが思っている以上に、ある良心と思慮を持ったアメリカ人であれば本当に耐え難い8年であったみたいです。

人間同士がつながらない世界は破綻する
 ソダーバーグに8年たって現在この映画を公開して必然性があるのかと聞いたら、それはたんなる偶然だといっていましたけど、僕はやっぱり偶然ではなくて、いろんな必然がある。アメリカが資本主義が暴走して破裂して、色んな意味で破綻をいていく、そのときにチェ・ゲバラの映画が出来てくる、ある世界の流れの必然がこういうところにでてきているんじゃないかと思いました。ソダーバーグに最後に、日本の若い連中に何かメッセージをあればと聞いたら、彼は「連帯すること」と感動するように言いました。友を作ってネットワークを作ること、そうしなければ生き残っていけない。ハリウッドの中で自分たちもそれをやってきた。ソダーバーグという人は、かなり役者とかに信頼されている人でソダーバーグファミリーという言葉があるぐらい、ホーシャンズイレブンとかの大イベントのエンターテイメントも作りますけども、そうとうメッセージ性の強いものを作りますが、その周りにはソダーバーグ一家と言われるような人たちが集まっています。実は俳優とかは華やかに見えるけれども大変なんだ。連中に抵抗しながらチェの映画を作る。相当大変な思いをしてきた。お金の面も。この映画を作れたので後は怖い者がない。「連帯することそれから同時に自分自身の世界を持つこと」。学校の先生みたいなことを言ってましたが。その通りだと僕も思った。なかなかいい男だと思いました。世界に共通することで、人と人がつながったり、友達ができたり。基本、世界体制がどうであれこうであれ、人間がつながっていけない世界がもしあるんであるならば、どこかで破綻をしている。何かに問題があるわけで、豊かだろうがなんだろうが、経済がうまくいっていようがいまいが、人間同士が信頼し合って、つながっていない世界ができたとしたらそれは、国家なり、社会なりの建設が失敗している。そっからまた何かをはじめるしかないのじゃないかと僕は思いますが。

フィデルの一番大切なものは「誠実」
 チェ・ゲバラの本を書くために随分、彼の人生でエポックになる場所はおおよそ自分自身で行った。生まれた家もそうですし、若いときにアルベルトと一緒に旅をしたところ、もちろんキューバに渡り、ボリビアに渡り、小学校であるとか、埋められた場所であるとか、彼の人生で重要な場所、そこで出会った人、会える限りは、会ってきたつもりです。若い頃一緒に旅をしたアルベルトに、僕が最後にあったのは2002年。もう80歳です。その後2006年にキューバに行ったときは病院に入っていて、息子さんが今親父は大変だといっていたので、もしかすると、はっきりわからないのですが、死んでるかもしれません。2002年にあったときはよぼよぼで、彼は若い頃、ゲバラと旅をしてその後彼はアルゼンチンが嫌いでベネズエラに腰を据えてそこで医者になって成功するのですね。旅が終わって7年ぐらいたってからキューバ革命が起きて、そこにもちろんゲバラがいることは知っていたのですけど、手紙を書いたらすぐ返事が来てすぐキューバに来てくれと。ともかく教育と医療だと。医者がいない、先生がいないということで。アルベルトさんのかっこいいところは、ベネズエラで成功してたんですが、全部、家も何も売り払って、子どもも連れてキューバに行くのですね。キューバの医療を本当に初めから作りあげる仕事をしてきた。現在もキューバをにいるのですけど。そういう男がいます。それから、15歳の時ゲバラの部隊に入ったアフリカ系の黒人の人ですが、チェの映画には、子どもたちが何人かゲリラになりたいって来たりするエピソードがありますが、若いから帰れ帰れと言われるシーンがあります。ああいうことは頻繁にあったようで、タラヤさんもその一人だったようです。15歳の時小さい鉄砲のような物を持って行くとゲバラから笑われてこれでは戦えないから、町や村へ帰ってパチェスタの兵隊を一人や二人をぶっ殺してちゃんとした武器を持ってこいと。言われて追い返されて、友達と三人ぐらいで兵隊を後ろから殴って鉄砲か何かを奪って戻ってくると、ゲバラが本当にやっちゃったのおまえらといわれた。試しただけだったのに。ということから、出会いが始まった。この人は最後のボリビアまで行って、生き残って。ゲバラの映画の後編が今月の31日から公開されるのですが、ボリビアに行ってからの話でかなりしんどく、ほとんど事実に即して淡々と作っています。そんな中でタマヤさんはちゃんと出てきます。タマヤさんにもインタビューしましたし、革命当時学生だったオルランド・ボレイゴさんとか、オマール・フェルナンデスさん、革命後ゲバラが使節団の団長として世界を回って日本にも来たときに一緒にいた男です。広島も一緒について行きました。オマールさんとゲバラが日本の外務省の役人の目をごまかして大阪から広島に行ったのですね。あとから外務省の役人たちが驚いて探したみたいですけど。夜二人でずっと話をしていて、いろんな男同士の悩みとか家族の問題とかいろいろ話したと。そのときチェ・ゲバラはどんなことを話したの、と聞くと彼は「それは墓場まで持って行くよ」とかっこいいことを言うのですよ。ボレーゴさんとかフェルナンデスさんとかグラナダスさん、カバタさん、サンタクララの戦いで市民と一緒にくっついていった黒人の、キューバ革命のプロセスの中でゲバラと出会って自分の人生をある意味変えられてしまった、自分からもちろん変えていった、そういう人の話を、ここ3,4年の間聞きました。最後にみんなに同じような質問をしましたね。グランマ号の船長、「もし仮にチェなりフィデルなりを目の前にしてもう一回どっかへ行こうと言ったらどうする」と聞くと80歳になる男たちがみんなもちろん。と言うのです。それがまたかっこいいのですが、彼らの友情と人間同士の信頼これは、たとえば、社会主義国家キューバをどうのこうのとか、形とかなんとかじゃなくて、そういう人間同士のつながり・信頼があって初めて、革命が成功したのでしょうし、今も綿々と続いている。それに対して、少しの迷いもなく、誇りと自信を持って、誰の前に立っても真正面からそのことをきちっといえる自信と誇り、自分たちのつながりの中に生きてきたこと、周りの仲間たちとのつながり、それはやっぱり理屈抜きにうらやましいなと、そしてまた感動します。色んな問題がキューバにも当然あると思います。問題のない国家なんて世界中にどこにもないわけで、でも彼らのような信じ合ってつながっていくそういうものに対する、そういう関係に対する信頼なり誇りなりがある限りは、必ず色んなことが解決していくだろうと僕は楽観的に思っています。2002年たまたまフィデルさんとあえることがありまして、一晩ご飯を食べて、「あなたにとって一番大切な物はなんだ」と尋ねると、「誠実」。彼らと一緒に革命をやってきたその年寄りたちの目を見る限りは、人間はまだすてちゃもんじゃないな、と思いました。

(2009年1月24日「革命50年・ゲバラ生誕80年記念友好フォーラム」より 文責:リブ・イン・ピース☆9+25 T.N.)