兵役が満期になっても除隊を認めず、継続して戦場に派遣し続ける米軍の制度「ストップ・ロス」。今日に至るまで8万1000人の兵士がこの「ストップ・ロス」によって、再派兵を強いられてきたという。戦争の泥沼化で部隊のローテーションが困難となり、もはやこのストップ・ロスなしではアメリカはイラク・アフガニスタン戦争を遂行することが出来なくなっている。ブッシュが9月に打ち出した5700人のアフガン増派も、イラクからの部分撤退とストップ・ロスが前提となっている。 映画『ストップ・ロス 戦火の逃亡者』は、まさにそのような「対テロ戦争」遂行に不可欠となった「ストップ・ロス」を真正面から取り上げ、告発するものだ。「大統領なんかクソだ」「家の中でイラク人を殺すのはウンザリだ」−−主人公たちから投げつけられる言葉は、もはや「ストップ・ロス」という制度の理不尽さだけを問題にしているのではないことは明らかだ。もちろん単純ではない。再派兵を拒否して逃亡する主人公の父親は「軍に忠実になれ」というし、手足をもぎ取られ盲目となった元部下は今でも主人公への感謝を口にする。そのような全体が、長期にわたる戦争がアメリカ社会にもたらす深刻な影響を浮き彫りにする。 この映画の主人公ブランドン・キングは、イラクで任務に当たった後、テキサスの故郷に帰る。彼は除隊を申請していた。しかし、彼は「ストップ・ロス」によって再びイラクへの配属が指令される。「大統領なんかクソだ!」納得できないブランドンはこう言い放ち、彼の逃亡が始まる。 この映画は、イラクで任務に就いている兵士たちが自ら記念のために撮った映像という体裁で始まる。「俺の愛する祖国はテロの攻撃を受けた」と兵士らは歌う。自由の祖国を守ること、それが、彼らがイラクに来て戦っている理由なのだと誇らしげに歌う。 さて、現実はどうか。イラクのティクリートで検問を行っている灰色の軍服を着た重装備の米軍兵士たちは、イラクの町の中であきらかに異質の存在である。 兵士とイラク市民の表情は対照的である。武器を構えながら検問を行う兵士らは、時に冗談を言いあうまでの余裕を見せながら、終始相手に対する優越感を隠さない。一方検問を受けるイラクの人々の表情は、嫌悪、困惑、恐怖に満ちている。 銃声が聞こえる。緊張感が走る。そのすぐ後にやってきた車に兵士らは威嚇射撃をして止める。しかし中に乗っているのは老人や子どもを含む女性たちであった。運転席のスカーフをかぶった女性の目は驚愕と恐怖で大きく見開かれ、後部座席では年老いた女性が幼い子どもをかばっている。 そこに別の車が現れる。車の中から機関銃が発射され、兵士たちとの間で銃撃戦が始まる。車は逃走し、兵士たちは追いかける。車に乗っていた3人の男たちは狭い路地に入っていった。彼らを追った兵士たちはそこで待ち伏せに遭う。激しい戦いが始まる。 しかし、注目すべきは、この「敵」の姿である。覆面をした正体不明の「テロリスト」といった扮装ではない。彼らのほとんどは素顔をさらしている。服装も普通のイラク市民なら誰でもが着ているものと同じである。つまりはイラク人そのものなのである。 この映画の全体のテーマは「ストップ・ロス」すなわち、任務を終えた兵士にさらなる任務を課すという政策が、米国の若者にとって、また彼らを取り巻く家族、友人、社会にとって、いかに過酷で惨たらしいものであるかを示すことにあるが、それに加えて、イラクでの戦闘場面の映像は、米軍がイラクにとって侵略者以外の何者でもないという現状をも暴き出している。 戦場から帰ったブランドンたちは故郷で大歓迎を受ける。故郷のテキサスこそは彼らの居場所である。家族や恋人との楽しい語らいがある。しかし、彼らは戦場の話を問われてこう答える。 「市街戦なんかクソだ。」 「家の中でイラク人を殺すのはウンザリだ。」 敵が潜んでいる部屋に手榴弾を投げたところ、その部屋にいた子どもたちもいっしょに殺してしまったという記憶が彼にそんな言葉を言わせる。 戦場の記憶は兵士たちが平和な日常生活に戻ることを妨げる。帰還兵の中には、酒を飲んでは暴れたり、さらには庭に塹壕を掘り、銃を構えてその中で寝たりする「奇行」に走る者もいる。 ブランドンは除隊の手続きのために軍に出向くが、そこで新たな配属先を告げられる。とまどう彼に係官が説明をする。 「第10編12305条に基づく兵役期間の延長、“ストップ・ロス”です。」 ブランドンは上官に訴える 「兵役の延長は戦時のみです。戦闘終結を宣言した以上…。」 しかし、上官は取り合わない。 「大統領は最高司令官だ。決定権は彼にある。」 「なら、大統領なんかクソだ。」 ブランドンはあくまで命令に逆らったために、営巣入りを命ぜられる。彼は連行される途中で見張りを突き飛ばして逃げ出し、逃避行が始まる。彼の行く先はワシントンである。地元出身の議員にこの事実を訴えようとするのだが…。「逃亡者」の運命は過酷である。 この映画は2008年3月に米国で公開された。マイケル・ムーアのような“奇人”ではなく、興業映画の中心ハリウッドで、現政権が遂行する戦争を告発する映画が作成されていることに対してバッシングが公開前からまきおこった。右派からはボイコットが呼びかけられた。そのような事情もあり、米国でも決して興行的に成功したとはいえないが、にもかかわらずイラク戦争の暗部を描く映画が新たに複数準備されているという。日本では劇場で公開されることはなく、DVDがこの10月に発売されるにとどまった。DVDの中には映像特典として、編集の中で監督自らが削除した場面が監督の解説と共に付けられている。そうした編集過程からは、アクション映画やラブ・ロマンスの要素を極力排して、この問題を鮮明に描こうとした監督の姿勢が伝わってくる。 2008年10月17日 |