〈10月26日リブ・イン・ピース☆9+25学習会用資料〉
学習会用まとめ『戦争における「人殺し」の心理学』
デーヴ・グロスマン著 安原和見訳 ちくま学芸文庫 1,575円(税込)
(原著1995年、翻訳1998年)

はじめに
 著者…20年以上米軍で勤務。本人は殺人の体験はないが、多くの兵士の体験を聞き取り、カウンセリングを行う。
 「本書の目的を具体的に言えば、西欧型の戦争における殺人という行為を科学的に研究すること。そしてまた、人間が戦闘で発生する心理的・社会的な現象および代償について、やはり科学的に研究することである。」(p.29)
 具体的には、以下の点を明らかにすること。
☆人間に生来備わっている同種殺しに対する強力な抵抗感と、その抵抗感を克服するために数世紀にわたって軍が開発してきた心理的機構について。
☆人を殺すときに味わう感情について。戦闘での殺人に対する一般的な反応の段階と、殺人にともなう心理的代償について。
☆殺人への抵抗を克服するために開発され、現代の戦闘訓練に応用されて、恐るべき成功をおさめた条件づけの技術について。
☆ベトナム帰還兵の問題
☆社会の亀裂が子供達に殺人の条件付けを行っていることの危険性。

第一部 殺人と抵抗感の存在
 「…人は言うだろう。『私はどんなことがあっても人を殺すことはできない』と。だが、それは間違っている。適切な条件づけを行い、適切な環境を整えれば、ほとんど例外なくだれでも人が殺せるようになるものだし、また実際に殺すものなのだ。また逆に、『戦闘になればだれだって人を殺すさ。相手が自分を殺そうとしていれば』と言う人もいるだろう。しかし、それはいっそう大きな誤りである。この第一部で見てゆくように、歴史を通じて、戦場に出た大多数の男たちは敵を殺そうとしなかったのだ。自分自身の生命、あるいは仲間の生命を救うためにすら。」(p.44-45)

 南北戦争における実例…平均的な射程距離で50%の命中率を持った兵器を持った部隊で、実際の殺傷率は1%以下。無駄撃ちを行う者や非発砲者が高率(80~85%)で存在。
 多くの兵士が発砲したふりをしていた証拠…ゲティスバーグの戦場に、弾が込められたまま発射されていない銃が12000丁も残されていた。
(18世紀〜19世紀の他の戦争、第一次大戦、第二次大戦、ベトナム戦争、また古代の戦争でも同種の傾向が存在した。内乱、他国との戦争、あるいは侵略戦争に関わらず。)

 「兵士の訓練法は、同種である人間を殺すことへの本能的な抵抗感を克服するために発達してきたのである。」(p.57)
例).近代的な軍隊(高度な訓練を受けた)VSゲリラ部隊(ろくに訓練されていない)
 「訓練が不十分な兵士は本能的に威嚇行動をとる(たとえば空に向かって発砲する)傾向があり、高度に訓練された兵士の側にそれが非常に有利に働いている。」(p.58)

 「ごくふつうの人間はなにを犠牲にしても人を殺すのだけは避けようとする。このことはしかし、戦場の心理的・社会的圧力の研究ではおおむね無視されてきた。同じ人間と目と目が合い、相手を殺すと独自に決断を下し、自分の行動のために相手が死ぬのを見る――戦争で遭遇するあらゆる体験のうちで、これこそ最も根源的かつ基本的な、そして最も心的外傷(トラウマ)を残しやすい体験である。」(p.84)

 「殺人への抵抗が存在することは疑いをいれない。そしてそれが、本能的、理性的、環境的、遺伝的、文化的、社会的要因の強力な組み合わせの結果として存在することもまちがいない。まぎれもなく存在するその力の確かさが、人類にはやはり希望が残っていると信じさせてくれる。」(p.96-97)

第二部 殺人と戦闘の心的外傷
 リチャード・ゲイブリエル、スォクマン、マーシャンらによる研究
 「今世紀(20世紀)に入ってからアメリカ兵が戦ってきた戦争では、精神的戦闘犠牲者になる確率、つまり軍隊生活のストレスが原因で一定期間心身の衰弱を経験する確率は、敵の銃火によって殺される確率よりつねに高かった。」(p.101)
 第二次世界大戦中、精神的な理由で「軍務不適格」に分類された男性は80万人。こうしてあらかじめ不適な者を除外しようとしたにもかかわらず、米軍は「精神的虚脱」のために、50万4000人の兵員を失った。
 第四次中東戦争で、イスラエル軍もエジプト軍も、戦闘犠牲者の3分の1は精神的疾患による。
 82年のレバノン侵攻の際にはイスラエルの精神的戦闘犠牲者は死者の2倍。
 戦闘が6日間ぶっ通しで続くと全生残兵の98%がなんらかの精神的被害を受けている。

 精神的戦闘被害の発現(以下はごく一部の例)
☆疲労
 最初期の症状の一つ。しだいに無愛想になり、仲間とのあらゆる共同作業に興味を失い、努力の必要な仕事を避けようとする。発作的に激しい不安や恐怖。音への過敏症や過度の発汗や動機。さらに戦闘を強制されると例外なく虚脱を起こす。
☆錯乱状態
 環境に対処出来ず、精神的に現実から逃避。譫妄、病的解離、躁鬱的な気分の変動。ガンザー症候群(冗談、軽口、とっぴな行動で恐怖を紛らわせる)
☆転換ヒステリー
 戦闘中、または何年も経ってから心的外傷後傷害として発症。自分がどこにいるかわからない。任務を全く果たせない。戦場を平気で徘徊。健忘症、記憶を失うことがある。ヒステリーからけいれん発作。発作時は胎児のように丸くなって激しく震える。
☆不安状態
 激しい疲労感、緊張感。睡眠や休息では軽快しない。集中力が失われる。悪夢で不眠。息切れ、脱力、疼痛、めまい、失神、情動性高血圧。
☆妄想・脅迫状態
 自分の症状の根本原因が恐怖であることを認識しているが、震え、発汗、チックなどを抑制できず、自分の身体症状に罪悪感を覚え、結局はヒステリー反応に逃避
☆性格障害
 特定の行動、事物に固執。被害妄想。過敏症、孤立。周期的な激しい怒り。極端かつ劇的な信仰に目覚める。

 「身体障害を引き起こす心の力は無尽蔵である。いくらでも症状を生み出せるだけでなく、なお悪いことにそれを精神の奥深くに埋め込んでしまうので、表に現れる症状はその下に埋もれた症状の症状に過ぎず、真の原因はさらに奥深くに隠されているのだ。」(p.107)

 「戦闘によるストレスの多様な発現を治療するには、まず単純に戦闘環境から引き離すことが必要である。」「だが、軍が望んでいるのは精神的戦闘犠牲者を正常な生活に戻すことではない。戦場に連れ戻すことを望んでいるのである。だが、当然のことながら兵士は戻りたがらない。」(p.108)
軍隊はこの問題の答えを薬物に求めている?「非鎮静型の向精神薬」を戦闘前の兵士に与える?

戦闘的精神被害の原因
□死と負傷の恐怖…精神的疾患の唯一の原因でもなければ最大の原因でもない。
例)
・死と恐怖にさらされているにも関わらず精神病を罹患しない人々
・連続的な空襲を受けた民間人・捕虜…周囲の人々が死傷しているにもかかわらず、精神病の発生率は平時とほとんど変わらなかった。(ただし、捕虜を監視する兵士は精神的疾患にかかりやすい)
・相手との間に心理的・機械的な距離がある兵士(大砲を撃つ海軍の水兵、レーダーで敵を攻撃する空軍兵士)
・将校、衛生兵、斥候…自ら直接攻撃をしない兵士は精神的疾患が少ない。
・「戦闘経験者と戦略爆撃の犠牲者は、どちらも同じように疲労し、おぞましい体験をさせられている。兵士が経験し、爆撃の犠牲者が経験していないストレス要因は、(1)殺人を期待されているという両刃の剣の責任(殺すべきか殺さざるべきかという妥協点のない二者択一を迫られる)と、(2)自分を殺そうとしている者の顔を見る(いわば憎悪の風を浴びる)というストレスなのである。)(p.133)

□戦場における疲弊(睡眠不足、食糧不足、自然力の影響、絶え間ない闘争――逃避反応の発動による精神的疲弊)…これらの重圧が単独で精神的疾患をもたらすわけではないが、その素因を生み出す条件となる。

罪悪感…敵の死、味方の死を自分の責任と感じる
 「若くて元気なうちは頭から閉め出しておけても、老年になると記憶は夜ごとの夢に戻ってくる。『人はみんな、いやなことはすっかり忘れた気になっている。ところが歳をとると、隠れていたところから出てくるんだ。それも毎晩。』」(p.145)

□直接的な憎悪
 ナチの強制収容所の生還者…爆撃の犠牲者と対照的に、非戦闘員に非常に高率で精神的疾患と心的外傷後ストレスが生じた。
 「きわだって特徴的なのは、強制収容所では、きわめて個人的に、顔と顔を突き合わせる形で、人々は攻撃や死に直面しなければならなかったということだ。」「空襲の犠牲者とはちがって、収容所の犠牲者はサディスティックな殺人者の顔をまともに見なければならず、ほかの人間に人間性を否定されているという事実、みずから手を下して虫けら同然に虐殺するほど、だれかが自分や家族や民族を憎んでいるという事実に直面しなければならなかった。」(p.150-151)

 「空襲や砲撃が心理的に効果があるのは、それが<憎悪の風>と結びつく前線においてのみである。前線では、そのような爆撃のあとにふつうは直接的な歩兵攻撃の驚異が控えているからだ。」(p.153)
 「砲撃や空襲の際には、現実に目の前にある恐怖と悲惨と死と破壊に耐えて、民間人も兵士も戦意を失うことがない。ところが敵軍侵入の恐れがあり、近距離から対人的に攻撃されるかもしれないという局面では、現実にはまだ何も起きていないのに人々はあげて浮き足立ち、難民と化して逃げ出している。これは歴史に繰り返し見られることなのである。」(p.154)

 軍隊での伝統的なサディスティックな新兵いじめ…この<憎悪の風>に対する予防接種

□<忍耐力の井戸>の枯渇
 「戦闘につきものの惨事、罪悪感、恐怖、疲弊に直面すると、だれもが自分だけの井戸から少しずつ内的な強さと忍耐力をくみ出してくるが、それがたび重なるとついには井戸が干上がってしまう。」(p.157)→戦闘が長期化すると、98%の兵士が精神的戦闘犠牲者に。

殺人の重圧
 「戦闘中の兵士は悲劇的なジレンマにとらわれている。殺人への抵抗感を克服して敵の兵士を殺せば、死ぬまで血の罪悪感を背負い込むことになり、殺さないことを選択すれば、倒された戦友の血への罪悪感、そして自分の務め、国家、大儀に背いた恥辱がのしかかってくる。まさに退くも地獄、進むも地獄である。」(p.163)

☆殺した兵士の罪悪感
 第二次大戦に従軍した元海兵隊員は、接近戦において日本兵をみずから殺したあとで、後悔と恥辱にさいなまれた。「いまも思い出す。私はバカみたいに『ごめんな』とつぶやいて、それから反吐をはいた……全身が自分の反吐にまみれた。それは子供のころから言い聞かせられてきたことへの裏切りだった。」
 「人を殺したのはこのときが初めてだった。どのドイツ人を撃ち殺したかわかっていたので、ことが片づいたとき見にいった。もう女房も子供もいそうな歳だなと思って、ひどく申し訳ない気分になったのを憶えている。」(第一次大戦に従事したイギリス兵)
 「だから今度は、その近づいてきたプジョーにみんなで銃をぶっ放した。乗ってたのは家族づれだったよ。子供が三人。おれは泣いたよ。けどどうしようもなかったんだ。……子供に親父におふくろ。家族全員みな殺しさ。だけどほかにどうしようもなかったんだ。」(レバノン侵攻に従軍したもとイスラエル兵)

☆殺さなかった兵士の罪悪感
 「すでに数々の研究で結論づけられているように、戦闘中の人間はたいていイデオロギーや憎しみや恐怖によって戦うのではない。そうではなくて(1)戦友への気遣い、(2)指揮官への敬意、(3)その両者に自分がどう思われるかという不安、(4)集団の成功に貢献したいという欲求、という集団の圧力と心理によって戦うのである。」(p.167)
 「仲間の期待に応えられないのではないかという兵士の不安は非常に大きい。これほど強い友情と同志愛で結ばれた仲間を思うように支えられなかったら、罪悪感やトラウマは底なしに深い。」(p.168)

第三部 殺人と物理的距離
 ハンブルクへの空襲で7万人が死亡。(ドレスデン、東京、広島、長崎…)
 「兵役年齢の男たちはおおむね前線に出ていたから、犠牲者はほとんど女性や子供や老人だった。焼死、窒息死、どちらも恐ろしい死に方だ。7万人の女子供にひとりずつ火炎放射器を向けるとしたら、いや、なお悪いことにひとりひとりの喉を掻き切らねばならなかったのなら、その行為のむごたらしさとトラウマはけたはずれに大きく、だれにもそんなことはできなかっただろう。しかし、何千フィートもの上空からなら、悲鳴は聞こえず焼けこげる身体は見えない。だからだれにでも簡単にできてしまうのである。」(p.184)

小< < < < < < 抵抗感・罪悪感 < < < < 大
最大距離<長距離<中距離<近距離<刺殺距離<格闘距離

最大距離…「人を殺しているのではないと思いこむことができる」
長距離…「目と目が合うこともなく、戦闘の汗と緊張感もない」
中距離…「自分がやったかどうかわからない」
近距離(銃)・刺殺距離(剣、ナイフ)・格闘距離(素手)…自分の責任が明白。大きなトラウマ、時に「中毒」になる。

 「殺人が本当に始まるのは、銃剣突撃のあと、どちらかの兵士がまわれ右をして逃げ出したときである。」(p.223)
物理的距離の尺度における近接の度合いは、顔が見えないときは無効になるのである。物理的距離の尺度とは、突き詰めて言えば、犠牲者の顔がどのていどはっきり見えるかということでしかないのかもしれない。」(p.224)

第四部 殺人の解剖学
☆権威者の要求
 ミルグラム実験…記憶の実験と称して被験者に、相手(実は役者)が単語を記憶しないと電流を次第に強く流す役目を担わせる。電流は実際には流れていないが、強くすれば、それに応じて役者が苦しむ。最大限の電流を流すと相手はぐったりと動かなくなる。この実験で、65%の被験者が、相手が「死ぬ」まで電流を流し続けた。
 「たった数分前に知り合ったばかりの権威者が、実験室の白衣とクリップボードだけでこれほど人を服従させることができるなら、軍の権威の標識と数ヶ月間の連帯があればどれほどのことができるだろうか。」(p.243)

「兵士が発砲する理由は?」という質問に
戦闘経験のない人…「撃たないと撃たれるから」
戦闘経験者…「撃てと命令されるから」

☆集団免責
 「互いに強く結びついた人々の集団内では、同輩の圧力という強力なプロセスが働くこのとき、人は仲間のことを深く気にかけ、また仲間にどう思われるかをひどく気にするので、仲間をがっかりさせるくらいなら死んだほうがましだと思うようになる。」(p.254)

☆集団匿名性
 「群衆には匿名性を生み出す効果があり、それが責任の分散をもたらす。」「…集団は責任の分散をもたらし、暴徒に混じった個人や軍隊の中の兵士は、自分ひとりなら想像もできないような行為にさえ参加することになる。」(p.256-257)

☆軍事史における集団の役割
・古代の戦車が長期間威力を振るう…史上初の組扱いの武器(御者と射手が二人一組)
・方陣…強力な相互監視システム
・大砲(複数の兵士が必要)の発射率100%――ライフル(一人で扱う)の発射率15~20%

☆心理的距離
・文化的距離…人種的・民族的違い――犠牲者の人間性を否定するのに有効
・倫理的距離…自らの倫理的優越、復讐・制裁の正当性を確信――内戦に見られる心理
・社会的影響…特定の階級を人間以下と見なす慣習の生涯にわたる影響
・機械的距離…手の汚れない殺人の非現実感

 しかし、これらの心理的距離が崩壊することも…戦闘員同士の共感、同情が生まれる場合がある。(ex.殺した相手の持ち物に家族の写真が入っていた)ストックホルム症候群。

☆犠牲者の条件
・手段と機会…自分が殺される危険がなく相手を殺すことができる戦術的優位性の確保
・動機…適切性と有利性――将校や危険な武器の担当者を狙うことが多い。

 「要約すれば、戦場での殺人を可能にする要因の大半は、銃殺隊による死刑執行の<責任の分散>という現象に見てとれる。戦場ではだれもが大きな銃殺隊の一員だからである。指揮官は命令を与え、権威者の要求をもたらすものの、みずからは殺人には関わらない。銃殺隊という集団は一体感と免責の感覚をもたらす。犠牲者に目隠しをすることで心理的距離が生まれる。犠牲者の罪状を知っていれば、適切性と合理性が得られる。」(p.310)
 しかし、「殺人には代償がつきものであり、兵士はみずからの行為を死ぬまで背負ってゆかねばならない。」(p.311)

第五部 殺人と残虐行為
「敵ながらあっぱれ」…こちらを殺そうとする武装した敵を殺す行為。倒した敵を讃えることによって、自分の行為をさらに合理化することができる。
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グレイゾーン(待ち伏せとゲリラ戦)…戦闘員と非戦闘員の区別が曖昧。殺人者にトラウマ。
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ダークゾーン(見下げた敵)…戦闘のさなかに降伏しようとした敵を殺す。(意外に少ない)
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ブラックゾーン(処刑)…非戦闘員(民間人・捕虜)を近距離から殺す。殺人者に強烈なトラウマ。犠牲者を殺す内的動機に乏しく、犠牲者の人間性を否定するのが難しく、個人的な責任を否定することも難しい。

☆捕虜の扱いについて
・建前…ジュネーヴ条約を遵守
・本音…生かしておくと不便なら、いつでも処刑
・著者の見地…捕虜を殺害すると「何千もの敵軍がぜったい降伏はするまいと決心し、最後まで手こずらされる」。捕虜を丁重に取り扱うと、「いざというときになって、おびえて疲れ切った敵兵が死ぬよりはましだろうとそろって降伏してくることになる」。

☆残虐行為の利益
・「人を震え上がらせることができる」
・「殺戮し虐待する者のむきだしのおぞましさと残虐性を前に、人々は逃亡し、隠れ、弱々しい自衛を試み、しばしばおとなしく従ってしまう。」

 「大量処刑に積極的または消極的に参加する兵士は、ひとりひとりが厳しい選択に直面する。」
処刑を拒否→他の犠牲者と共に処刑される
命令を受け入れ、残虐行為に手を染めた兵士→
 「実際に人を殺した兵士は、おまえは女子供を殺した殺人犯だ。許しがたいけだものだと責めたてる自分の一部を抑えこまなくてはいけない。身内の罪悪感を否定しなければならない。世界は狂っていない。自分が手にかけた相手は畜生以下なのだ、邪悪な害虫なのだ、国や上官の命令は正しいのだ、そう自分で自分を納得させなければならない。」
 「残虐行為は相手の人間性を否定する究極の行為であり、殺人者の優越を肯定する究極の行為である。これを相いれない考え、すなわち、自分は過ちを犯したのだという考えを、殺人者は力ずくで抑えこまなければならない。殺人者の精神の健康は、自分の行いが善であり正義であると信じられるかどうかにかかっている。」(p.337)

 「残虐行為を命じた者は、命令を実行した者に、そしてその大義に、罪悪感によって強力に結びつけられる。」「全体主義国家の指導者は部下を残虐行為に参加させることによって、寝返る恐れのまったくない手先を手に入れることができる。」(p.338)

 「正当な脅威が存在しない場合、リーダーは(国家元首であれ、ギャングの親玉であれ)スケープゴートを汚し、その無垢の血を流すことによって、殺人者は力を与えられ、そのリーダーとの結びつきも強まるからだ。」(p。338)
 ユダヤ人、黒人、女性がスケープゴートにされてきた。
 「敵を征服し、その人間性を奪うプロセスにおいて、強姦は非常に重要な役割を果たしている。他者を犠牲にして互いに力を与え、結束を強めるというのは、まさに輪姦の心理そのものだ。」(p.338-339)

☆残虐行為の罠
 「短期的には利益があるものの、政策としての残虐行為はふつう(ただし、必ずではない)自滅につながる。ただあいにく、この自滅はたいてい直接の犠牲者を救うには間に合わない。」(p.343)
 「殺人者は殺すことで力を得るが、しまいには――何年も経ってからという場合も多いが、自分の行為とともに封じ込めていた、罪悪感という心理的な重荷を背負うことになる。この罪悪感は、殺人者の側が敗北してその行為の責任を問われたときには、ほとんど避けがたいものになる。」(p.355)

第六部 殺人の反応段階
不安→殺人不能→トラウマ

殺人…現代的な訓練を受けた兵士なら反射的に行われる

高揚感→戦闘中毒

自責と嫌悪→トラウマ…自殺に至る場合も

合理化と受容…生涯終わることのない過程→失敗すれば深刻なトラウマ

第七部 ベトナムでの殺人
 「第二次世界大戦の終わりに問題は明らかになった。兵士には人は殺せない。」(p.389)
 「こうして第二次大戦後、現代戦に新たな時代が静かに幕を開けた。心理戦の時代――敵ではなく、自国の軍隊に対する心理戦である。」(p.390)

第二次大戦での発砲率…15~20%
朝鮮戦争での発砲率…55%
ベトナム戦争での発砲率…90~95%

 脱感作、条件づけ、否認防衛規制の三方式の組み合わせで殺傷率の上昇をもたらす

☆脱感作(考えられないことを考える)…殺人の神聖化
☆条件付け(考えられないことをする)
(1)パブロフの古典的条件づけ 
(2)スキナー派のオペラント条件づけ
 反射的かつ瞬間的に撃つ能力を育成する訓練が行われる
☆否認防衛規制(考えられないことを否認する)
 殺人の訓練が非常にリアルに繰り返し行われているので、本当に人間を撃っても的を撃っただけだと思いこむことが可能

 ベトナム帰還兵の場合、殺人の合理化と受容が失敗→多くの元兵士がトラウマを抱える
著者は反戦平和運動にその原因のひとつを求めている。(米国社会が彼らを受け入れなかったから)

第八部 アメリカでの殺人
 「本書で私が訴えたかったのは、人間のうちには、自分自身の生命を危険にさらしても人を殺すことに抵抗しようとする力がある、ということだ。歴史に残るかぎりの昔から、その力はずっと人間のうちにあった。戦場でより効果的に敵を殺すことを目的に、社会がその構成員に殺人への抵抗を克服させようと努力してきた歴史、軍事史はそのように解釈することも可能である。」(p.506)

2008年10月26日
リブ・イン・ピース☆9+25(鈴)