佐渡山豊「人類館事件の歌」を聴いて考える沖縄と私たち
〜佐渡山豊CD「時間のカケラ」より


 鳩山政権の最大の「功績」は、普天間基地問題への迷走を巡って、私たちは依然として沖縄を差別する側にいるのだと――そう再認識させてくれたことにある。鳩山政権の思惑はどうあれ、良識ある日本人の幾分かは、否応なく沖縄の側からの強い怒りに戸惑わなければならなかったし、おそらくその強い怒りに対して拒否反応、あるいは無関心を装っている良識な日本人だって、少なくないに違いない。(そして私たちの「良識」とはその程度のものなのだと、思い知らされる。)
 しかしそれも一部の日本人の「良識」性に依存されるような話であって、「普通」に暮らす多くの日本人にとっては、それすら無縁の問題だ。普天間基地の問題は自分の生活とは切り離された遠い南の島の問題に過ぎず、鳩山政権を揶揄するための絶好のカードの一つ、あるいは政局というゲームのなりゆきを占うバラエティの一つに過ぎなかった。沖縄から発信される強い怒りは、ブラウン管を通じて伝わってくることはほとんどないのが実情で、そこに差別が潜んでいるのだとはゆめにも思わない。まさに無自覚の差別社会に私たちは暮らしている。
 佐渡山豊は以前から本土の無自覚な差別性について、歌を通じて告発し続けてきた。
 沖縄出身のフォークシンガーである佐渡山豊は70年代に沖縄フォーク村を結成。本土復帰後のベトナム戦争下の沖縄でプロテストなフォークを歌い、上京後全国的な人気を得る。6枚のアルバムを発表するがその後活動を休止。95年頃から活動を再開。現在は各地でライブ活動を行い、沖縄発のメッセージを発信している。
 今回は数ある佐渡山豊の歌の中でも、大阪との関わりの深い「人類館事件の歌」を取り上げたい。

 人類館事件といっても、おそらくそれほど知られていないから説明が要るだろう。
 大阪人に馴染みの深い天王寺公園や通天閣は、1903年の第5回内国勧業博覧会の跡地利用で建設されている。この第5回内国勧業博覧会は、日本で最初の万博であり、初日には2万人以上もの来場者で溢れかえったという。
 この博覧館で「学術人類館」という民間パビリオンが設置され、内地人に近い異人種とされた人々が生身で「展示」されたのである。「アイヌ」「台湾生蕃」「琉球」「印度」「ジャワ」「バルガリー(インドの部族)」の部族が。訪れた見物客は、文明を誇示する博覧会で彼らの「日常生活」を好機の眼差しで見て回った。
 当初はこれに「支那」「朝鮮」も予定されていた。しかし清国の抗議によって「支那」の展示予定は取り消され、「朝鮮」も大韓帝国の抗議によって、3月10日の開会直後すぐに撤去された。
 もちろん沖縄からの抗議がなかったわけではない。琉球新報は「同胞に対する侮辱」と題する社説を発表し、批判のキャンペーンを張った。二人の「琉球」女性を斡旋した業者にも抗議が殺到し、二人の女性は5月17日に沖縄に帰った。「支那」「朝鮮」には遅れたが、沖縄にとっての人類館事件は一応「解決」した。

 しかし沖縄の人にとっては、事件の本質はこれにとどまらなかった。琉球新報をはじめとするキャンペーンのあり方が、沖縄とは何かを問いかけられるものだったからだ。琉球新報の文章をそのまま引用する。
 「我輩は日本帝国に斯かる冷酷なる貪欲の国民あるを恥ずるなり。彼等が他府県に於ける異様の風俗を展陳せずして、特に台湾の生蕃、北海道のアイヌ等と共に本県人を選びたるは是我に対するの侮辱これより大なるあらんや。本県人民如何に無神経なりと雖もこの侮辱を甘受するものあらんや。」
 つまりは「沖縄は日本人であるのに、アイヌや台湾原住民と同列に見せ物にされた」と批判しているのである。その上でこの社説は、「沖縄は日本人になろうと努力しているのに、感情の面でそうなれないのは、他府県の人が見下すからだ」という論を展開している。なぜ「立派な日本人」にならなければならないのか、という疑問は当然ない。
 沖縄の視点からは、これは自らの存在性を揺るがす主張だったに違いない。琉球処分は1879年。それから24年後の時点で、差別されることへの抵抗の手段として他者を差別し、皇民化・日本人化への努力を持ち出しているのである。(ちなみに日本が北海道を統合してアイヌを支配したのが1869年、台湾植民地化が1895年。単純に時系列で語ることはできないが。)

 本土に住む日本人が、この事件をどう受け止めたらいいのだろうか。この社説は主筆の太田朝敷の筆によるが、私たちは彼に対してどのような形での批判が可能だろうか。
 差別されることに抵抗するために、より弱い人たちを差別することで返すということは、人類館事件に限らず、よくあることではある。具体例は挙げないが、なにも沖縄に限ったことではない。なにがそうさせているのか、ということを私たちは考えざるを得ない。太田朝敷の主張への批判は、沖縄の人のそれと同じでいいわけがない。
 いうまでもなくその元凶は、私たち日本社会の差別構造だ。それをいうのはたやすいが、具体的に差別する側にいる人間がそれを捉え自己批判するのは、いうほどたやすいことではない。

 佐渡山豊は歌う。
 「この歌をきいて/どう思うかは自由だ/十年をひと昔というから/百年はもっと昔よ/それは時代錯誤よと/そっぽをむかれたってかまわないけど/足元がほらなんとなく/ぐらぐら揺れているのが/わかるだろうか」

 人類館を訪れた人たちは、果たして自分が差別しているという自覚を持っていただろうか。そうではあるまい。差別は、無意識に、無自覚になされることが多い。
 沖縄を癒しの島としか捉えず憧憬するバラエティ番組が流行り、映画が作られたりしているが、それは人類館で沖縄の民族衣装を見て喜ぶのと、どれほど違うのだろうか?
 普天間基地の問題にかこつけて「鳩山はアカンなあ」と……沖縄の基地のことなどさほど関心がないのに嗤うのは、人類館の展示を見て分かったような物言いをするのと、どれほど違うのだろうか?
 現実として、日本人の大多数は沖縄に押しつけられた基地に、傷みに関心がない。それはもはや差別ではないのか?
 人類館事件は本当に百年前の時代錯誤か。今こそ、足元がぐらぐら揺れるのを感じなくてどうする。

参考文献『人類館 封印された扉』アットワークス
リブ・イン・ピース☆9+25 D