自らをも傷つけてしまうような繊細で激しい表現で熱烈なファンを持つ、沖縄出身のシンガーソングライターCocco。 この映画は、07年11月から08年1月にかけて行われた彼女のライブツアーに、是枝裕和監督が密着し、記録したもの。ステージとその合間の様子、インタビューで構成されている。 Coccoはステージでよく泣く。 この映画でも、大切なふるさと沖縄を想って泣き、自分が生き延びたことに責任を感じる「ひめゆり」のオバァを想って泣き、自分がコンサートをしている間に亡くなった友達を想って泣く。 そして、青森でのコンサートでは、ボロボロ泣きながらこう語る。 「今朝(使用済み核燃料再処理工場のある)六ヶ所村に行ってきた。六ヶ所村は沖縄みたいだった。沖縄には在日米軍基地の70%が集中してる。じゃあ沖縄の人はみんな米軍基地に反対してるかと言えばそうじゃなくて、アメをもらうためにムチを受け入れなければならない現実もあって。そういう沖縄を本土の人に知ってほしいとずっと思ってたけど、自分自身六ヶ所のことを知らなかった。知らなくてゴメン。教えてくれてありがとう‥‥」 彼女は、六ヶ所に住むファンからの手紙で、初めてこのことを知った。基地を押しつけられていると思っていた自分が、核のゴミを押しつける側でもあったことを、知ったのだった。 彼女の発する言葉には、こうして責任を自分で引き受けようという姿勢が貫かれていて、それゆえ人の心を打つ。 Coccoには、米軍普天間基地の移設先にされている辺野古の海に現れたジュゴンに捧げた『ジュゴンの見える丘』という歌がある。しかし彼女は、米軍出て行けと声高に叫ぶわけではない。彼女自身が沖縄の葛藤を引き受けて生きているから。自分に何ができるのか分からない。歌うことしかできないけど、それで現実と向き合っていく。 映画の中盤、沖縄でのコンサートで歌う『ジュゴンの見える丘』は、この映画の1つのハイライト。細い身体を大きく揺らしながら絞り出すように歌う姿が胸を打つ。 ※Cocco『ジュゴンの見える丘』 この歌の前の語りで、映画のエッセンスは言い尽くされているとも言える。 Coccoは、東京でファンにメッセージを書いてもらったたくさんのリボンを、沖縄でのコンサートのステージに飾り、その後辺野古の浜に張られたキャンプシュワブの鉄条網に、そのリボンを結んでいく。結び終えてつぶやく。 「もっとモサッとなると思ってた‥‥。全然足りない。いくらやっても‥‥。」 彼女は、向き合う相手の巨大さを思ったのだろうか。 そして08年3月、何者かによって辺野古のリボンが焼かれた。その中にはCoccoが 結んだものも含まれていたのだった。 ※各地で上映中 『大丈夫であるように』公式サイト 2008年12月30日 |