この本は、アメリカの社会問題評論雑誌「マザー・ジョーンズ」誌の記者が、民営刑務所に刑務官として働き、自らの眼で見た刑務所の実態を描いた著書である。ただし、単なる暴露本というものではなく、刑務所が植民地時代の奴隷労働の流れを引き継ぐ強制労働であり、「産獄.複合体」のビジネスがそれをフルに生かして利益をむさぼり取るものであることを、事実をもとに明らかにしたものである。 著者は2009年に誤ってイランで2年以上収監され、釈放後PTSDに苦しめられた。彼は自らの体験に整理をつけるためにもアメリカの刑務所問題に関心を向け、隠された部分の多い民営刑務所の実情に迫りたいと考えた。そして世界的大手の民営刑務所運営会社コレクションズ・コーポレーション・オブ・アメリカ(CCA)の運営するルイジアナ州のウィン矯正センターで、2014年12月から4か月間働いた。その後更なる調査・取材を重ね、2016年6月にマザー・ジョーンズ誌にルポを発表し、囚人の強制労働の歴史を加えて2018年に本書を刊行した。日本語訳は2020年4月である。 この本のテーマは4つある。まず一つ目が刑務所内での囚人がどのように扱われているかの実態を報告するもの、二つ目が差別をする側の人間が、人を支配することの恐怖により、人間性を失う危機的状況に追いやられること、三つ目が、囚人労働が奴隷労働を引き継ぎ、現代まで生き残っているだけでなくさらに栄えていること、そして四つ目が刑務所を経営する産獄複合体が、それらからいかに狡猾に利益を得ているかということである。そしてそれらはお互いに深く絡み合い、負の連鎖を膨張させている。順に確認していきたい。 (1)民営刑務所の囚人の実態
比較的態度の良い模範囚は、金属加工や洗車などの軽作業を行うが、その時給はミシン掛けの縫製20セント、皿洗いでは2セントだった。しかしウイン矯正センターでは一般の受刑者は生産活動や作業プログラムもなくなっていた。見張りの人員が足りないためである。 ほかに素行の悪いものや自殺願望者の隔離棟は独房で、時には重装備をした特殊作戦対応チーム(SORT)による監視がなされていた。ここでは満足な食事も与えられていなかった。ある青年は監視房で自殺を図ったが、55kgだった体重が亡くなった時には32kgしかなかった。
(2)刑務官の置かれた状況 刑務所内がこのような状況になった大きな原因に、会社の徹底したコストカットにより、刑務官という危険で精神的負荷の大きい仕事にもかかわらず、時給がわずか9ドルしか支払われていなかったことが挙げられる。感覚的には日本で650円程度の時給だ。職員が集まらず、刑務官ひとりにつき受刑者176人を監視しなければならなかった。基本12時間勤務に加え、残業・休日出勤が要請されるため、士気はない。しかも一般の刑務官は、銃はおろか警棒も催涙スプレーも携帯していない。受刑者どうしのトラブルなど止めようもなく、仮に暴動でも起きたら刑務官は真っ先に狙われるだろう。命と引き換えにするにはあまりにも安価な収入だ。 精神的に張り詰めた勤務を行ううち、著者も当初持っていた囚人たちへの親近感を失い、攻撃されるのではないかという恐怖を感じるようになった。そして囚人が持っていた合成大麻を取り上げ、罰を与えることに快感を覚え始めた。人を押さえつけることによる恐怖が人を痛めつけることに対する罪悪感を失わせ、正当化させ、心の安定をなくし、更なる暴力で安定を取り戻そうとする。米国人がなぜ銃を持つ権利をここまで主張するのか、その精神的メカニズムがここに表れていると感じられた。 (3) 囚人労働は合法化された現代の奴隷労働 植民地時代、イギリスはアメリカを犯罪者の捨て場としていた。1718年、囚人移送法によって強盗などで有罪となった者は「最低7年間アメリカに移送される」こととなった。しかし費用がなかった当局は、移送費がわりに「役務に対する所有権」を貿易商に与え、貿易商はタバコ農園等で強制労働させた。農園主も囚人の方が安く、年を取ってからの面倒を見なくていい分、囚人を好んで使った。18世紀のイギリスからアメリカへの移民のうち、1/4が囚人だったと言われる。 1776年、アメリカ独立戦争が終わるとイギリスからの囚人の移送はなくなったが、アメリカで重刑以外の死刑廃止とともに、囚人は「公共の役務」のための強制労働につかされた。各州政府は刑務所建設費用の削減のために、民間企業に労働者として囚人を貸し出し、堤防建設工事などの過酷な労働に充てた。また刑務所で生まれた黒人の子どもは、10歳になると州の財産として競売にかけられた。 1865年南北戦争の終了によって奴隷制が廃止されると、合衆国憲法修正第13条により、囚人労働が奴隷労働に取って代わった。浮浪や定職を持たないことが犯罪と考えられていたため、黒人をターゲットに人間狩りともいえるような不当な逮捕が行われ、過剰な罰金を科し、払えないものは過酷で残虐な鞭打ちによる強制労働をさせるという悪辣なシステムが作られた。囚人労働は南部では石炭・鉄・鉄道 などの民間大企業に貸し出された。これは当時8時間労働を求めて労働組合を作っていた自由労働者に対する会社側の対抗手段として使われた。すなわち、会社側は囚人労働者がいれば自由労働者は要らないと、賃金引き下げや労働環境未整備のまま放置したのだ。囚人労働貸し出し制度は第二次大戦終了まで続いた。ただしこれも囚人の人権を考えたからではなく、囚人の需要が高まり、貸出費用が自由労働者並みになったため、不景気時に一時解雇できる自由労働者が好まれるようになったからである。 第二次大戦終了後も、州は刑務所の費用削減のために収監者に代理看守をさせたり、医薬業界と結びつき、売血や新薬実験なども行われてきたが、州が運営する中で赤字が拡大した。 1970年代、黒人運動の盛り上がりとともにニクソンが人種問題を犯罪問題にすり替えることによって受刑者が急増、大量投獄時代がきた。1983年、民間刑務所運営会社CCAは設立された。レーガン政権の時代である。 囚人労働の歴史が示しているものは、白人支配者が黒人を支配するために投獄という手段を使って、黒人奴隷制度を現代まで合法的に生き残らせているということである。「法」の名のもとに黒人は自由を奪われ、人権の範囲外に置かれ、収奪され続けている。 (4)産獄複合体の収益構造
2018年現在、全米の受刑者人口の約8%が民営刑務所に収容されている。刑務所の運営費は州の税金で賄われている。著者が働いていた2014年当時、州営刑務所での囚人一人当たりにかかる費用は平均52ドルだった。これをCCAは一人一日34ドルで請け負っていた。州にとっては費用の削減になるが、それが前述の通り刑務官の薄給や囚人の食費削減によるものである。安価な条件を維持するため、州は刑務所の収容率を保証しており、ウィン矯正センターでは96%以上であった。当時のCCA売上高は18億ドルで、2億2100万ドル以上の純利益を計上した。 さらに、刑務所内では事あるごとに囚人の拘留期間延長と重罰化を図る。その一方で勾留にかかる費用=刑務官の人員や時給、囚人への食事・医療体制などを極限まで削減することで収益を上げていた。CCA設立メンバーの一人は、「車や不動産やハンバーガーを売るように売るだけ」と経済誌に語った。人を扱うのではなく、ものとしか見ていないことがこの言葉から窺える。 CCAは著者の暴露の後、社名を変更し、現在はCoreCivicとして経営を継続している。そして米国最大の民間刑務所運営会社のGEOとともに、トランプ政権および共和党に対し多額の献金を行い、移民の収容施設管理を請け負うなど便宜を得ている。持ちつ持たれつの関係だ。この結果、民営刑務所は膨張し、2014年時点で私立刑務所は国の総刑務所人口の約8%を監督している。
2020年8月23日 |
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