「自民党憲法改正案」批判
──日本国憲法の根本「個人の尊重」変更の意味

2013年3月8日
リブ・イン・ピース☆9+25 N

(1)自民党改憲案では「個人としての尊重」が「人としての尊重」に変更

■(自民党改正案)第13条 全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。

◆(現行)第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 自民党改憲案では「個人としての尊重」が「人としての尊重」に変更されています。Q&Aにもなぜ変更したのかの説明はありません。

 「個人」の「個」が削除され「人」になっただけで、「人として尊重されるのだからいいじゃないか」と思えるかもしれません。
 しかしこれが大問題なのです。

 まず、現在の中学校「公民教科書」(日本文教出版)より、「憲法とは何か」と「個人の尊重」の意味をみてみましょう。
 以下公民教科書の記述です。

 「憲法は私たちの人権を守るために政治権力を制限するしくみを定めたものです。まず、憲法は、人がその人らしく生きていく(個人の尊重)ために必要な自由を人権として明記しています。」

 「日本国憲法は、アメリカ独立宣言などと同様に、人が生まれながらにもつ自由や平等の権利を基本的人権として保障しています。その根本には、「個人の尊重」の考え方があります。」

 「私たちが個人として尊重されるには、国家などから不当な干渉や妨害を受けずに生活できなければなりません。」
 「政治権力が1カ所に集中して人々の自由を踏みにじることがないように

日本文教出版公民教科書

 ここではまず憲法とは何かがでてきます。


(2)憲法とは何か──法律と憲法との違い

 「憲法は私たちの人権を守るために政治権力を制限するしくみを定めたもの」です。
 ここに法律一般と憲法との明確な違いがあります。

 刑法や民法などの法律は、国会の議決を経て制定された、集団における社会秩序を維持するために強制される規範・ルールですが、憲法は全く違った性格をもっています。

 憲法は国家権力の濫用を制約し、国家がやってはならないこと、やらなければならないことを定めた「国家規範」、人々の人権を守る「人権規範」という基本性格をもっているのです。
 ですから、憲法遵守義務に国民ははいっていません。憲法は国が守らなければならないものだからです。
 この前提には、国家・政治権力は個人に対して不当な干渉・妨害をしてくるもの、人々の自由を踏みにじるものという認識があります。

 「国のルールの軸は憲法で定め、細かい具体的なルールは法律で定める」「国や国民のあり方を定めたもの」「国作りの思想を表す」などという憲法の説明は正しくありません。


(3)「個人として尊重される」と「人として尊重される」の違い

 さて、教科書の記述にもどってみると、「人が人らしく」ではなく、「人がその人らしく」と表現されています。また、日本国憲法の根本には「個人の尊重」があるとされています。
 「個人として尊重される」と「人として尊重される」はどう違うのでしょうか。

 人はみんな平等。同じ人間。だから差別はだめ。はだの色が違っても生まれたところが違っても、白人も黒人も同じ人間、だから平等だ。
 これが一番目の意味で、とても大事なことです。
 しかし日本国憲法で述べられている「個人の尊重」というのは、さらに進んだもう一つの意味をもっています。それは同じ人間というだけでなく、「個人はみんな違う。ひとりひとり個性があって違う。だから差別はだめ。違いを認め合う。違いを認めた上で、互いを大切にして共生していく」という考えです。

 それは、一人一人をかけがえのない個人として大切にしようとする考え方であり、すべての人は、例外なく一人の人格をもった存在として国家から尊重されなければならないということです。
 「個人の尊重」は、自分が大切にされたいのと同じように、他者を大切にするという意味をはじめから含んでいます。

○憲法13条の英文をみてみましょう。
article 13.
 All of the people shall be respected as individuals. their right to life, liberty, and the pursuit of happiness shall, to the extent that it does not interfere with the public welfare, be the supreme consideration in legislation and in other governmental affairs.

 personが「人一般」を指すのに対して、individualすなわち、「一個の独立した人格」という意味合いがあります。

 日本語では、「人」に「個」をつけただけで、「人」も「個人」もあまり語感に違いがないように思えますが、英語では全く違う単語で、尊重する対象がちがうのです。

 憲法を受けて成立した教育基本法(旧)でも以下のように書かれています。
第一条(教育の目的)
 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

 大日本帝国憲法下では、国民は「臣民」であり、「天皇の赤子」でした。人ではありましたが、個人ではありませんでした。当然「個人の尊重」の規定はありません。家長に従う者、兵隊の供給源、代替がきく、死んだら別の人で補充することができたような存在でした。


(4)「個人の尊重」を制約するもの

 この「個人の尊重」も制約を受けます。

 現在の憲法では、「公共の福祉に反しない限り」となっています。

 「公共の福祉に反しない限り」──「公共の福祉」とは誰もが持つ人権のことであり、「公共の福祉に反しない限り」とは他者の人権を侵害しない限りという意味です。誤解されがちですが、ここに「全体の利益」とか「社会秩序」というような意味は全くありません。「公共の福祉」とは「互いの人権」のことであり、たとえば“他者の人権を侵害してまで表現の自由が認められることはない”というような意味です。

 ところが、自民党改憲案では「公共の福祉に反しない限り」から「公益及び公の秩序に反しない限り」に変えられます。

 この「公益及び公の秩序」こそ、社会秩序、国家秩序、国策、国益、多数者の利益、多数者の決定などを意味し、それによって人権が踏みにじられてしまうことになります。

 →つまり、自民党憲法草案は、国益、国家秩序が個人の人権に優先されるという考えです。個人は、国益に従う限りで尊重されるに過ぎません。ここでは、人権が人が生まれながらに持っている権利であるという考えが根本から否定されています。

 大日本帝国憲法では、「安寧秩序」という言い方がされていました。

大日本帝国憲法
 第九條 天皇ハ・・・公共ノ安寧秩序ヲ保持シ及臣民ノ幸福ヲ攝iスル爲ニ必要ナル命令ヲ發シ・・・

 ここでは天皇が絶対的存在で、国の安泰と秩序が最優先され、その限りで天皇の赤子である「臣民」に幸福を与えてやるという考え方でした。
 自民党改憲案は、言葉こそ違え、全く同じ思想に貫かれているのです。

 たとえば、デモや集会は、交通を妨げたり近隣に騒音をまき散らすなどの理由で「公益及び公の秩序」を害するとされ厳しく制限されてしまう危険があります。

 きっとそれだけではありません。恐ろしいことは、「公益及び公の秩序」の中で、公益とは何か、公の秩序とは何かということが全くあいまいだということです。誰がこれを決めるのでしょうか。権力者によって憲法が恣意的に利用される危険性が高まります。


(5)「個人の尊重」が憲法の根本にあることの意味。あらゆる人権規定の基礎にあるということ

 先にも述べたように、国家権力は個人の生活に対して不当な介入をしてくる危険なものという考え方があります。
 13条は、国家権力は個人の領域に属するものを侵してはならないという思想が貫かれており、まず、生命、自由及び幸福追求する権利が守られます。

 さらに14条以下で具体的に規定されます。
・思想・良心の自由。
・信教の自由。
・集会・結社の自由。言論の自由。
・学問の自由。
・婚姻の自由等々

○このような観点から19条の改正を見てみると、重大な変更であることがわかります。
■(自民党改正案) 
「第十九条 思想及び良心の自由は、保障する
◆(現行)
「第十九条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない

「保障する」と「侵してはならない」では大違いです。

・「侵してはならない」──天賦人権説に基づく。そもそも侵すことのできない永久の権利として生まれながらにしてもっている。国民が主体。
・「保障する」──何をどの程度保障するかというのは、国家の判断による。国家が主体。

さらに、以下のような改正が入っています。

(自民党改正案)
第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。(2が新設)

(4)で述べたように、公益に反する、秩序を乱すなどの理由で、意見表明や集会、さまざまな政党や団体をつくることそのものが禁じられる危険が出てきます。


(6)「人=平均的日本人」像と排除の論理

 「個人としての尊重」が否定されることに強い危惧を持ちます。
 「平均的日本人像」、「あり得べき日本人像」が国家によって決められ、違い、異論、異端、反対を認めない、反するものは「非国民」にされてしまう危険が出てきます。
 多様性への非寛容、違ったものを排除する、差別が助長される危険があります。

実際、自民党憲法案に書かれている。あり得べき日本人像をみてみましょう。
「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って」
「日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない」
「国は・・・国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保」
「国民は、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚」
「公益及び公の秩序に反してはならない」
「家族は、互いに助け合わなければならない」
「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」

国が決めたあり得べき日本人像から外れる場合
・外国人の平等の排除
・マイリノリティ 少数者の排除
 ──人としての普遍性が強調されると、差異が切り捨てられてしまいます。
・教育再生実行会議「心のノート」の復活と道徳教育の強化−−国家が教育を通じて子どもたちの心に介入し支配する
・秩序──非常にあいまいなもの。「風紀を乱す」。
・「日の丸・君が代」問題。不起立教職員の処分の根拠がすでに「卒業式の秩序を乱す」ということにされている。


(7)最後に、自民党憲法改正案が通ってしまったら、「公民」教科書がどう書き換えられるかを見てみましょう

 教科書は以下のように書き換えられてしまうでしょう。

・「憲法は、国と国民の義務を定めたものです。」
・「日本人の人権は、アメリカやフランスとは違い、人が生まれながらにもっているものではありません。」
・「人として尊重はされますが、その人個人としては尊重されません。」
・「国民は、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しなければなりません」
・「憲法では、日本は天皇を戴く国家として、「日の丸・君が代」を尊重することが義務づけられています。みなさんの家では、祝日に「日の丸」を掲げ、「君が代」を歌っていますか。」
・「私たちは、その人らしさを出すのは個人主義です。国の秩序に従って生きていかなければなりません。それが日本国民の義務です。」
・「デモや集会は、交通を妨げたり近隣に騒音をまき散らすなどの理由で公益及び公の秩序を害することから厳しく制限されています。」


付:憲法13条成立の流れ
(国立国会図書館「日本国憲法の誕生」より)

GHQ草案(1946年2月13日)
(日本語)
第十二条 日本国ノ封建制度ハ終止スヘシ一切ノ日本人ハ其ノ人類タルコトニ依リ個人トシテ尊敬セラルヘシ一般ノ福祉ノ限度内ニ於テ生命、自由及幸福探求ニ対スル其ノ権利ハ一切ノ法律及一切ノ政治的行為ノ至上考慮タルヘシ
(英語)     
Article XII. The feudal system of Japan shall cease. All Japanese by virtue of their humanity shall be respected as individuals. Their right to life, liberty and the pursuit of happiness within the limits of the general welfare shall be the supreme consideration of all law and of all governmental action.

[GHQ案の翻訳過程](いずれも日本側の翻訳)
日本國憲法(3月5日案)
第十二条 (封建的制度ハ之ヲ廃止ス、茲に終止スルモノトス)凡テノ国民ハ個人トシテ尊重セラルベク、其ノ生命、自由及幸福ノ追求ニ対スル権利ハ公共ノ福祉ニ牴触セザル限立法其ノ他諸般ノ国政ノ上ニ於テ重大ノ考慮ヲ払ハルベシ。

憲法改正草案要綱(3月6日)
第十二 凡テ国民ノ個性ハ之ヲ尊重シ其ノ生命、自由及幸福希求ニ対スル権利ニ付テハ公共ノ福祉ニ牴触セザル限リ立法其ノ他ノ諸般ノ国政ノ上ニ於テ最大ノ考慮ヲ払フベキコト

憲法改正草案(3月26日 GHQと日本政府側との討議を経た上での口語草案)
第十二条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。