改憲と教育について
2016.10.02 憲法座談会 「みんなで考える自民党改憲案の危険」

 すでに教育の分野では、日の丸・君が代の強制と教育基本法の改悪以降、事実上の改憲「先取り」が行われてきた。今日の学校現場には新自由主義的教育による格差拡大と改憲先取りの国家主義的教育の二つが押しつけられている。しかし同時に、実際に安倍政権が追求する改憲が行われた場合には、現状とは比較にならない根本的な変化が起こる。政府による教育の支配が飛躍的に強まり、教育の目的が人格の完成から国家に奉仕する人材育成に転換されることになる。子どもを国家に従属させる道具に教育は使われるのである。

特別の教科「道徳」――「修身への道」、戦後一貫して保守が追求してきたこと
 特別の教科「道徳」が2018年度から小学校で、2019年度から中学校で開始される。道徳の教科化は特別の意味を持つ。戦前の「修身」がすべての教科の上に立つものであったように、すべての教科の上に立つ筆頭教科として「学校の教育活動全体を通じて行う道徳教育とその要としての道徳」という位置づけを文部科学省は強調している。すでに学校には道徳教育推進教師が作られその下での指導体制が置かれている。
 自民党は50年代から修身の復活としての道徳教科化に全力を挙げてきた。特定の徳目を取り上げるやり方は修身と同じであり、徳目そのものも恣意的に設定され、人権、平等、平和、国民主権、意見表明など憲法や子どもの権利条約に規定されるような項目はない。教科道徳は特定の徳目の教え込みを国家がすることである。しかも、これまでとは異なり教科化されて教科書を使う義務が生じる。政府にとっては検定教科書の中身をコントロールすることで教育内容をコントロールできるのだ。
 さらに子どもの内心に立ち入って評価が行われる。点数化することは見送ったが、記述式の評価が行われる。愛国心がない、国防に否定的、政府のすることに批判的、家族主義に懐疑的等々の評価を受ければ子どもはどうするか。それを隠そうとするようになり、そういう考えの大人を見れば否定的に考えるようになる。自分から戦争に行く、企業戦士として世界中で日本の進出の先棒を担ぐ。安倍政権は道徳を通じてそういう子どもを作り出すことを目指している。

教科書検定制度改悪と育鵬社教科書採択策動
 教科書についても検定制度の改悪が進められ、ますます国定教科書的な色彩が強まっている。
 日本軍「慰安婦」や南京虐殺を書かせない、削除させたり、事実を薄めたりする検定から、さらに進んで政府の望む内容、政府見解を書かせようとする検定に変わっている。「日本固有の領土」と「外国の不当な占拠」、戦争法や集団的自衛権の肯定、自衛隊の賞賛を当然のこととして記述させている。
 さらに右翼教科書=育鵬社教科書を先兵に右翼と与党によるこれら教科書の採択運動が展開されている。特に首長、教育委員、教育委員会の支配を通じて、教科書を使って教える教員や保護者の声を無視して決める強引なやり方が横行している。大阪市、東大阪市をはじめ維新府政下の大阪府の市町村が教育委員会支配による育鵬社教科書押しつけの全国的な先頭に立っている。
 育鵬社教科書は安倍首相の写真を10数枚掲載し安倍首相の賛美媒体となるだけでなく、「憲法改正は他国では頻繁に行われている」「他の国では国防義務は常識」「日の丸・君が代への敬意表明は常識」「安保の意義の強調」「権利よりも義務」「公共の福祉による制限」が強調され、改憲の内容の先取りとなっている。

教育の憲法に当たる教育基本法改悪(2006)と教育委員会制度の改悪、政治による支配
 自民党は早い時期から教育における改憲の先取りとして教育基本法の改悪を目指してきた。2006年の教育基本法改悪が教育全体の制度的改悪の始まりとなった。まず第一に、「教育の目標」を設定し、その中に「(5)伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」と「愛国心」育成につながる目標を入れ込んだ。第二に、文部科学省、大阪府知事等が先頭に立って、新自由主義教育と競争主義を子どもと学校に押しつけた。全国学力テストとその成績公表、学校選択制度、エリート公立高校設置、英語教育改革等々、子ども一人一人を伸ばすこと(人格の全面的発展)よりも他人をけ落とす競争と選別、それを正当化する自己責任のイデオロギーが学校の中で大手を振って闊歩するようになっている。第三に、これらの教育改革を首長や行政権力が強引に進めることを可能とするために教育委員会制度の改悪が実施され、教育委員会議は独立性を喪失し首長の支配下に従属させられるようになった。教育に対する政治権力による「不当な支配」そのものがますます強められている。

教職員に対する政治的行政的支配
 教職員に対する支配もますます強まっている。教職員に対する日の丸・君が代の強制は、東京の10・23通達(2003年)、大阪の1・17通達(2012年)を通じて職務命令と拒否者への処分の形で強行されている。日常的な形でも、職員会議での採決禁止、あらゆる役職の校長による任命など教職員の声を聞かない形での行政・校長による上意下達の教育体制が強まっている。さらに新勤評制度・教員評価を通じて、教職員を自発的に校長の設定目標に従わせ、協力しない場合には給与・待遇での不利を押しつける支配が進められている。これらの攻撃と極度の多忙化の下で教職員組合運動は著しく弱体化させられている。

しかし、改憲は教育の役割を根本的に破壊する
 これまで述べたように、教育に関してはすでに改憲の先取りとも言える改悪が進められてきた。現行憲法下での平和・国民主権・基本的人権を軸とし、一人一人の子どもを尊重する教育に対する破壊が進んできた。しかし、それでも憲法は大きな歯止めとして政府が子どもを支配し影響下に置くことを制限してきた。それは憲法が、軍事力と戦争放棄(9条)、基本的人権(13条)、思想良心の自由(19条)、教育を受ける権利(26条)などを規定しているためである。
 この最大の歯止めが今、安倍政権の攻撃の対象なのである。例えば、自民党改憲案のように「軍隊」、「国防の義務」などが認められれば、学校は再び軍隊の意義を教え、国家のために進んで犠牲になれと教え、進んで自衛隊に入れ子どもに教えることになる。「天皇元首」となれば国民主権を超越する権威を持つものとして天皇賛美と崇拝が盛り込まれる。基本的人権の保障、社会的弱者の保護に代わって、公益の優先が決められれば自分の権利ばかり言うな、政府に協力すべきだ、自分のことは家族で何とかしようなどと体制順応のイデオロギーを教えることになる。学校は、政府にとって都合のいい従順な「国民」を作る工場に帰られるのである。教育はどのような国家を実現していくかで最重要の役割を果たす。教育を再び戦前のように子どもを天皇制と国家権力に従属させるための道具とさせないためにも改憲を絶対に阻止し、現在の教育反動と闘い跳ね返すことが必要である。