テレメンタリー2010「英霊か犬死にか〜沖縄から問う靖国裁判」
沖縄戦の真実を覆い隠すために謀られた住民犠牲者の靖国合祀


 2010年09月05日深夜、テレメンタリー2010 戦後60年シリーズC「英霊か犬死にか〜沖縄から問う靖国裁判」が放送されました。現在、国・靖国神社を被告として、「英霊」とされた戦死者の合祀の取り消しを求める裁判が東京、大阪、沖縄で進行中です。この番組は沖縄の裁判を取り上げ、その原告たちの思いと、なぜ沖縄では民間人の戦争犠牲者までが靖国神社に合祀されることになったのかを明らかにしています。そのことはまた、過去の沖縄戦から現在の米軍基地の集中存置に至る、常に沖縄を犠牲にしてきた日本の政策を浮き彫りにするものでもあります。
テレメンタリー2010「英霊か犬死にか〜沖縄から問う靖国裁判」(琉球朝日放送)

父の死を「犬死に」となじることから見える沖縄戦の真実
 彫刻家の金城実さんのお父さんは19歳で新婚の妻をおいて陸軍の志願兵となり、24歳で戦死しました。金城さんはお父さんの死を「犬死に」と考えています。なぜなら「犬死にと言わないと沖縄戦が見えてこないから」だと。金城さんのお母さんは息子にそう言われて激怒しました。「国のために死んだから犬死にではない」と。お母さんの救いは夫が靖国神社に祀られていることでした。
 靖国神社の存在は、遺族の悲しみや怒りを幸福感に転化するものでした。金城さんは両親を騙した大きな柱として靖国神社があると考えています。
書評『靖国問題』高橋哲哉(署名事務局)

 沖縄では軍人・軍属2万8228人に加え、「戦闘参加者」とされた一般県民5万5724人が靖国神社に合祀されています。
 元国語教師の崎原盛秀(さきはらせいしゆう)さんの場合は、お母さんとお兄さんが遺族に無断で靖国神社に祀られています。崎原さんが靖国神社に問い合わせてみたところ、名前に「命(みこと)」をつけられ、勝手に「神」にされていたのです。お母さんがどうやって死んだのかといえば、避難していた壕を日本兵に追い出され、逃げ場を失い、砲弾に撃たれて即死したのです。「これがなぜ戦争に対する積極的な協力者になりうるのか。これは死者に対する最大の冒涜なんだ」と崎原さんは憤ります。
 ボート製造業の安谷屋(あだにや)昌一さんは、両親とお姉さん、そして2歳の弟が靖国に祀られています。2歳の弟がどうやって「戦闘参加者」になりうるのでしょうか。靖国神社の記録ではなんと「球部隊(たまぶたい)所属」と記されているのです。実際はただひたすら砲弾から逃げまどい、最初はいっしょだった大人たちが次々と死んでいき、まだ息のある瀕死の姉を埋めて逃げ、最後は子どもたちだけになって洞窟で一夜を過ごすという悲惨な体験をしたのです。

住民を死に追いやった戦争責任を回避するための援護法と靖国合祀
 靖国神社は元々戦争に積極的に協力した軍人・軍属の戦死者のみを祀る神社でした。空襲などで死んだ民間の戦争被害者を祀ることはありません。それがなぜ、沖縄の民間人を合祀することになったのでしょうか。
 GHQに廃止させられた「恩給法」に代わって、1952年に「戦傷病者戦没者遺族等援護法(援護法)」が成立しました。これは当初軍人・軍属にのみ適用されるものでしたが、「唯一の地上戦」という特殊性から、沖縄の戦争被害者にも適用されることになったといいます。その戦没者名簿は各都道府県から厚生省に提出され、そのまま靖国神社に送られ、合祀されていったのです。

 沖縄国際大学の石原昌家名誉教授は、この援護法こそ民間人を「英霊」にし、沖縄戦を見えなくしてきたガンだと指摘します。
 沖縄ではどんな人が「戦闘参加者」として援護法の対象となったのでしょうか。食料を差し出したり、壕を軍に提供した直後の死は「戦闘に協力した」と見なされました。「集団自決」や「スパイの嫌疑による斬殺」も軍の機密を守るため自ら協力したという形で補償の対象となりました。「戦闘協力内容が消極的すぎる」として申請が却下された例もありました。沖縄住民はその死が「軍の作戦に協力した」という意味づけをされて初めて準軍属の扱いを受け、「援護金」が支給されたのです。戦後補償ではありませんでした。
 石原教授はこのために沖縄戦の実像が歪められたと指摘します。「沖縄の住民が軍の犯罪性や戦争責任をのちのち追及するであろう。それを予測してこの援護法を適用することで、栄誉ある死だったと、からめ取っていった。」

沖縄戦では命を差し出させ、今また基地を差し出させる「沖縄差別」
 金城さんの父親の手紙には「実(みのる)には日本人として立派な教育を受けさせてほしい」と書き残されています。息子の時代には平和が来て沖縄の人たちは日本人として対等に扱われるであろうという大きな理想を掲げて父親は戦争に行ったのだと金城さんは考えていました。しかし、同じ日本人のはずの沖縄の人々を日本兵が死に追いやったことを知れば知るほど、そんな父親の理想は幻想であったことに思い至ります。だから「犬死に」なのだと。
 一方、志願兵として戦死した夫を誇りに思って過ごしてきた金城さんのお母さん。しかしそんな彼女も、「孫に対して次に戦争が起こる時はおじいさんに劣らず真っ先に戦場に行けと言えるのか」と金城さんが問うと、言葉が出なかったといいます。
 最近、安谷屋(あだにや)さんの亡くなったお父さんに勲章が贈られました。「すぐにチリ箱にぶち込みました。また戦争の準備が始まったと感じました。」と安谷屋(あだにや)さんは語ります。

 今年の沖縄慰霊の日は怒りに包まれました。5月に鳩山首相がこれまでの発言を翻して「抑止力の観点から基地の県外移設は難しい」と述べ、そして、6月23日の慰霊祭に出席した菅直人総理大臣が沖縄の米軍基地受け入れに「お礼と謝罪」を述べたことに人々は激しく憤ったのです。沖縄に「犠牲になってくれてありがとう」といい続ける国。沖縄戦では命を差し出し、今また基地を差し出すということなのか。沖縄を「防波堤」にして本土だけが生き残ろうとすること、それは差別以外の何ものでもありません。「沖縄差別許さん」と書かれたプラカードが高く掲げられ、「怒」の文字が至る所で示されました。米軍基地が沖縄に押しつけられ続けることに、「立派な日本人になれと言ったおやじの遺書なんかくそったれだ。」と金城さんは吐き捨てるように言います。

注目される10月26日の沖縄靖国裁判判決
 2008年6月18日、金城さんらは国と靖国神社を被告として「沖縄靖国神社合祀取消訴訟」を提訴しました。この裁判は異例の展開を迎えました。2010年6月11日に安谷屋(あだにや)さんらが一晩を過ごした洞窟の前を法廷とする「現地進行協議」がおこなわれました。裁判官や弁護士らが沖縄戦の現場で追体験をしたのです。この沖縄靖国裁判は7月20日に結審を迎え、10月26日が判決の予定です。(ちなみに大阪における靖国裁判は8月24日に結審を迎え、12月21日に判決の日を迎えます。この判決と同様、おおいに注目したいものです。)

 今年も8月15日の靖国神社には16万人もの参拝者が訪れ、年間では500万人以上が参拝に訪れることを報じて番組は終わります。 
 この番組では、戦後も国・地方自治体と靖国神社が密接な協力体制をとって合祀がおこなわれているという事実だけをさらっと述べて、それが憲法の政教分離規定違反であるということや、靖国神社が遺族に無断で戦死者を合祀するのは個別的・偶然的なことではなく、そもそも合祀に遺族の意思は関係ないというのが「創建以来の伝統」であることなど、いくつか重要な点が指摘されないままでした。しかしながら、こうした点を割り引いても、これまでほとんど報道されてこなかった事実を取り上げ、沖縄における靖国合祀の際立った犯罪性と、それが現在の沖縄切り捨てにつながっていることを明らかにした意義は大きいと思います。

2010年9月20日
リブ・イン・ピース☆9+25