この本を読んで、知念ウシという人物をこれまでいかに一面的にとらえていたかが分かった。「本土移設論」はそれだけで存在する政治スローガンではない。それは、副題にもあるように、「沖縄的」なるものを否定し「日本的」になることを無条件に肯定していた著者が、そのような姿勢そのものの誤りに気づき、「私をさがす旅」を進める中で発見した思想が凝縮したものだ。彼女によれば、沖縄への米軍基地集中というのは、「本土」による「無意識の植民地主義」が端的に表れたものだ。彼女はそのことを、世界の被差別・被抑圧の民族や住民たちとの交流していく中で、また、日本を旅する中で学び、発見していく。 「本土」の人たちが沖縄に押し付けているのは基地だけでない。「植民地主義」的な歴史と現在の関係の全体、それによる意識の全体である。そして、「本土」の鈍感さは、差別しているという意識に関する鈍感さだけでなく、日本が再び戦争に向かっているという危機意識に関する鈍感さではないかと思う。 驚いたのは2007年9月の教科書改悪反対集会になぜあんなにも多くの人が集まったのかという問いに対する知念ウシさんの考えだ。それは決して自分たちの親や祖父母がなめた辛酸を忘れられてしまう、歴史がねつ造されてしまう、そして今も基地を押しつけられ続けているという事に対する怒りだけではない。再び戦争が起こり、軍艦がやって来て、沖縄が戦場にさせられるという強い危機感がある。沖縄ではずっと戦争が続いている。それは比喩ではない。朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガン戦争、イラク戦争と、「復帰」前も「復帰」後も沖縄は出撃基地であり、戦場であり続けた。(「軍命は今も続いている」) このことは、ガマに入る平和学習で、子どもたちが発することばにも現れる。ある初老の女性が「ほらあそこからああ行ってこう行って。よく覚えていなさいよ。また戦争になったらここに逃げてこられるようにね」と孫に言えば、別の男の子は、「おれの家もこの近くだから、戦争になったら、ここに来ようっと」という。(「戦争の予感」) このような感覚は少なくとも「本土」の多くの人々にはない。地震に対する備えはしていても、戦争に対する備えはしていない。いや、再び戦争になった時に自分たち自身が犠牲を強いられるというリアルな感覚を持っていない。だからこそ、中国や朝鮮民主主義人民共和国への軍事対決を安易に支持したり、容認したりできるのだ。 それはまた、たとえば、方言(ウチナーグチ)を使うことについてもそうだ。知念ウシさんはウチナーグチを学び、それで講演を行うのだが、高齢者の方は、方言を使うことをいやがる人もいるという。戦時中方言を使うとスパイと見なされ、方言札をつり下げられた経験が65年たった今も強烈に残っているのである。(「普天間昼塾が沖縄語の新鮮空間を拓いてみせる」)戦争は今も続いている。 彼女は沖縄の文化・伝統を、「本土」よりも劣等なものと考える自分たちの意識を問題にする。ウシさんは、沖縄の「悪口言葉」を列挙し、ウチナーグチがいかに豊かな表現力を持っているかを語る。それは、「癒し」や「沖縄の人は人の悪口を言わない」かのようなイメージを植え付ける昨今の沖縄ブームとは対極にある考え方だ。 沖縄での独特な教科書問題がある。たとえば、沖縄では桜が1月に咲く。ところが全国共通の教科書では、入学式に咲くことになっている。首都圏の桜前線にノーマライズされているのだ。沖縄の小学生は、日本の教科書をどこか外国の紹介本のようにとらえてしまいリアルでないという。仮に沖縄の文化や生活を紹介するような教科書を「本土」で使うようになることを想像すればこの違和感はわかる。そして自分たちを現に取り巻いている文化や教育、習慣、伝統的な知性などによって学力が測られるのではなく、教科書に書かれた、「本土」を基準にした知識を覚えることで学力が測られるとしたら、沖縄は不利だ。全国学力テストでの沖縄の劣位はそのようなところに一端があるのかもしれない。(「沖縄人にとって「学校教科書」とは何か」) 少なくとも自分自身そのような重大な問題を考えたことはなかった。これはさまざまな地方にも当てはまると思う。まるで米国での商習慣や文化をグローバルスタンダードとして米国が世界に押しつけているように、「本土」(いやこの場合は、「都市」が「地方」にと言う方が正確かもしれないが)は押しつけているのではないか。こんなところにも「無意識の植民地主義」が現れているのだ。(「沖縄の学力がいつか日本一になる日」) インドの知識人との会話でウシさんは「沖縄語がなぜ沖縄の学校で教えられていないのか」と詰問される。彼女は「方言だから」と答えるが、「だからなぜ」とさらに問い詰められる。 「方言は学校で教えられるべきものとされていない」(知念) 「だからなぜ」(知識人) 「日本の激しい同化政策で」(知念) 「なぜ自分の教育を自分で決められないんだ」(知識人) 植民地というのは植民者だけでは成立しない。必ず、協力者、共犯者がいなくてはならない。支配者だけでなく、それを受け入れる人民の中にある、無意識の差別意識、劣等意識に大きな根源があるというのである。(「私のどこが植民地化に協力しているか」) ウシさんが自己主張するのは講演や集会だけではない。様々な場面で沖縄差別に出会ったときに、黙認しないで直接その個人に抗議する。“沖縄の人の名前って笑っちゃう”“沖縄の人は汚い”などの「本土」の人たちの差別的な会話や表現を喫茶店などで見聞きするに付け、「沖縄の人はちゃんと聞いていますからね、気をつけた方がいいですよ」などと抗議する。決して図太い神経の持ち主ではない。言うたびに心臓がバクバクし、緊張を強いられる。しかし黙って見過ごしてあとで後悔するよりはいいという。彼女は、「大丈夫、太陽は降ってこないから」と自分に言い聞かせてそれを実行している(「大丈夫、太陽は降ってこないから」)。さまざまな問題を、ブログやインターネットや集会などで公表するよりも、となりの人や道行く人に伝えて説得し共感を得るほうがいかに困難で重要なことかを考えればウシさんがやっていることの大切さがわかる。 そのほかにも、「典型的な女性差別に出会ったら」「それでいいのか鬼太郎よ」「日本人への葛藤「ラブ」と「リスペクト」」「アメリカ人にウチナーグチで演説したい」「世界の帝王たちは沖縄を隅っこに置いた」など興味ある内容であふれている。私たちがもっているほんのささいな仕草や感情の中に無意識の差別感情、「無意識の植民地主義」が潜んでいることを気づかせてくれる。2007年に安倍政権が自衛艦を辺野古沖に派遣したことを書いた「日本軍がやってきた」も強烈だ。 ウシさんは小さな子どもを抱え、家族を大事にしながら活動している。決して肩肘を張っているわけではない。「朝から集会に行きたくない、ゆっくり寝ていたい」「こどもと一緒に過ごしたい」そのような気持ちを素直に表現する。 この本は、「沖縄タイムス」に05年7月3日〜09年3月1日まで、3年8ヶ月にわたって連載された「ウシがゆく」を中心に編纂されている。この連載が、沖縄の人たちの意識に与えた影響は決して小さいものではないのではないかと思う。本質的に「本土」による沖縄差別を問うスローガンとなる「県外移設」が昨年4月25日の県民大会で掲げられるようになった沖縄の反基地運動の変化にとっても、この連載は重要な役割を果たしたのではないかと思う。 しかし、もちろん私たちは「本土」で「基地受け入れ運動」をすることはできないし、するべきではないと思う。私たちが差別者、植民地主義者であり続けないためには、「無意識の植民地主義」を絶えず自覚し、沖縄への基地集中の不当性を訴え、沖縄からの基地撤去の声を「本土」で拡大していくとりくみをし、基地撤去を実現していくしかない。 2011年1月17日 |