金福童ハルモニ、吉元玉ハルモニ来日
ハルモニたちの思いを受け、橋下市長に「審判」を!

橋下市長のセカンドレイプ発言を許さない!
 橋下市長は、5月13日朝の定例記者会見の場において、日本軍「慰安婦」被害者を傷つける発言をおこないました。
 「銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で命をかけて走っていくときに、精神的にも高ぶっている猛者集団をどこかで休息させてあげようと思ったら、『慰安婦』制度は必要なのは誰だってわかる」と、日本軍「慰安婦」制度が当時必要なものであったと主張したのです。これは「慰安婦」被害者の受けた被害が、戦争遂行のために必要なものであったということです。兵士のために女性を性奴隷として誘拐・監禁し、最前線まで引っ張り回すことが、正当であると主張しているのです!
 その上で「当時の歴史を調べたら、日本国軍だけでなく、いろんな軍で(『慰安婦』を)活用していた」「なぜ日本の『慰安婦』だけが世界的に取り上げられるのか。日本は国をあげて強制的に『慰安婦』を拉致し、職業に就かせたと世界は非難している。だが、2007年の(第1次安倍内閣の)閣議決定では、そういう証拠がないとなっている」と、またしても「証拠はない」論を展開したのです。
 もちろん日本軍「慰安婦」制度は、軍が組織的に性暴力システムを築き管理した、史上類を見ない国家犯罪です。また強制連行の証拠は数多あまた ありますが、ここでは逐一反論しません。そして何よりも連行の強制が問題なのではなく、慰安所での強制が問題なのです。橋下の主張は、ウソとゴマカシ・スリカエに満ちています。
 そして極めつけに許せないのはこの発言です。
 「意に反して『慰安婦』になったのは戦争の悲劇の結果。戦争の責任は日本国にもある。『慰安婦』の方には優しい言葉をしっかりかけなければいけないし、優しい気持ちで接しなければいけない」
 つまりこれは「『慰安婦』の方々はおかわいそうだけれど、証拠はないのだから、悲劇の結果かも知れないが、犯罪被害者ではないよ」と言っているようなものです。
 優しい言葉? 優しい気持ち?――被害者が求めているのはそんなものではありません。必要なのは優しい言葉ではなく、心のこもった謝罪です。
 これほど、被害者をないがしろにし、尊厳を傷つける言葉はありません。

金福童ハルモニ、吉元玉ハルモニは橋下市長との面会を拒否
 これらの橋下発言は、日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワークが5月の大阪集会、奈良集会を準備している最中に行われました。昨年9月に金福童ハルモニが来日された折、橋下市長はハルモニとの面会から逃げ続けました。そして今回も面談要請をしていたとき、関西ネットに返事をする前に、記者会見の場で「公開の場でなら会う」と言明したのです。
 結局5月24日に面会する約束が実現しました。11時から通訳を交えてたった30分、人数も数人に制限するという、橋下市長の誠意がカケラも感じられないものでした。
 5月13日の橋下発言から5日後の18日に金福童キムポットン ハルモニは沖縄に、吉元玉キルウォノク ハルモニは広島に来日されました。大阪に入るまでほぼ1週間、テレビと取材の記者を通じてハルモニたちはつぶさに橋下市長の発言を知ることになったのです。(金福童ハルモニは日本語がよくできるだけに、特につらかったことでしょう。)
 13日の発言以降、橋下発言を批判する声はどんどんふくれあがりました。私たちリブ・イン・ピース☆9+25も抗議文を送りましたが、多くの市民団体が橋下発言に抗議行動を繰り広げました。また維新の会以外の政党からも批判があるほか、被害国は当然のこと、米国からも批判の声が上がりました。(それにしても自民党の閣僚である稲田朋美行革担当大臣が橋下発言を批判したのには驚きました。稲田氏も「強制連行を示す証拠はない」と言っていたのに。)
 「『慰安婦』制度じゃなくても風俗業は必要だと思う。沖縄の普天間に行ったときに、司令官に『もっと風俗業を活用してほしい』と言った。性的なエネルギーを合法的に解消できる場所はある。真正面から活用してもらわないと、海兵隊の猛者の性的なエネルギーをきちんとコントロールできないじゃないですか」

 日本の歴史認識に対する危機感は言うまでもなく、13日の午後にされたこの発言が、米国世論を敏感に刺激したのです。
 橋下市長は支持率低下もさる事ながら、特に米国の反応を気にして発言の微修正を重ねました。時には「日韓基本条約で解決済み」とする歴代政権を批判し自分こそが「慰安婦」問題を解決できるかのような主張をしてみたり(その発言は後日に「解決済み」と言い換えましたが)、「世界各国が過去を直視し、女性の人権を尊重する世界をつくる」とあたかも自分こそが女性の人権の擁護者であるような口ぶりであったり、……そして終いには「マスコミの大誤報」であり「日本人の読解力不足」という居直りでした。一貫していたのは、いくらゴマカシ・スリカエを繰り返しても、決して前言を撤回したり謝罪したりはしなかったということです。「性風俗活用発言」については撤回したものの、その理由は風俗業=売買春と受け取られてしまったという「誤解」であり、謝罪した相手は米軍でした。そんなものは撤回ではないし、謝罪でもありません。
 そんな橋下市長の姿を毎日毎日見せられて、ハルモニたちは心の底から嫌になったのです。吉元玉ハルモニは「もう死んだ方がましだ」と記者の前でこぼすほどでした。金福童ハルモニは記者に橋下発言について問われ、目を真っ赤にしていました。お二人とも憔悴しきっていました。
 もう一度橋下発言をよく見て下さい。60年以上前に、慰安所に何年もの間監禁され、性奴隷とされた被害者たちが、どのような思いでこのような心ない発言と向き合わなければならなかったことでしょうか?! 

 主催者である関西ネットは、被害者、韓国挺対協と相談の上、面談拒否を決めました。
 24日当日、ハルモニ2人の声明と、関西ネットの声明が発表されました。ハルモニの声明にある、「橋下市長は面談の対象ではなく『審判』の対象」という主張は、まさに的を射ています。決断は正しかったものと、私たちも確信しています。主張を絶対に変えず、心から謝罪しない橋下市長に付き合う必要はありません。もし会う必要があるとすれば、橋下市長が前言を撤回し、謝罪し、国家として日本軍「慰安婦」被害者に謝罪し補償するべきと表明したときです。しかしその日は決してやってこないでしょう。橋下市長は反省したり物事と真剣に向き合ったりする能力を持ち合わせているとはとても思えません。そのような人物は、大阪市長の座から引きずり下ろし、政治の舞台から出ていってもらうしかありません。

ハルモニたちの希望を受け取った私たちが、橋下市長を追いつめよう!
 5月25日の大阪集会は500人以上もの参加者が会場を埋め尽くしました。会場に入りきれず、帰らざるをえなかった人が100人以上もいました。
 26日の奈良集会でも、やはり会場を埋め尽くす500人もの方にご参加いただきました。
 ふたりのハルモニたちは、面会拒否 という苦渋の結論を出しましたが、それでまるで憑き物が落ちたかのように晴れ晴れしいお顔になり、元気に証言されました。

 金福童ハルモニは、軍服工場で働くと騙され、東南アジアの地を転々とし、戦後も放置された苦しい半生を語られ、「私は生まれる時代を間違えた」と悔しさをにじませました。「日本人は自分たちがやったことではないと言いますが、どうやったら民間人がこのような軍人達を相手にするための慰安所をつくることができるというのか? 広東、香港、マレーシア、スマトラ、インドネシア、ジャワ、シンガポール……私は前線地帯を転々と回り、日本軍が行ったところに行かなかった場所はない。私は死にたくても、死ぬことができなかった。」
 「解放後、看護師としての訓練をさせられ、傷ついた患者たちの看護をした。血が足りなくなれば、私たちの血を輸血した。」
 「いつの間にか患者もいなくなり、私たちが現地に残された。その後米軍によって収容所に入れられ、やっと韓国に帰った。けれどそれは私たちにとっては『解放』ではなかった。たくさんの日本兵の相手をした……そんなこと誰に言えますか?!」
 「名乗り出て闘って20年以上経った。それでもなお日本政府から一言の回答もない。それどころか今また戦争の準備をしている。とんでもないことだ。」
 金福童ハルモニの半生を聞いたとき、私たちは橋下市長の口先ぶりを憎まずにはいられませんでした。橋下市長は「慰安婦」制度はその当時は当然だったと言い放ちましたが、「生まれる時代を間違えた」と悔しさをにじませる金福童ハルモニに向かって「生まれた時代を間違ったあなたの責任」とでも言うのでしょうか?

 吉元玉ハルモニは「被害にあったのは13歳で、今は86歳。70年間、人として生きて来れなかった。体調が悪くても日本にやってきたのは、日本が再び戦争への道を歩もうとしているからだ」と、平和の尊さを切々と語られました。
 「世界中での今もなお紛争地で苦労している人たちのためにナビ基金を作った。みなさんもぜひこれに協力をして欲しい。本当にお腹が空いていない人には分からないかも知れないが、私たちの国もかつて貧しかった。今もお腹の空いている人は世界中にいる。自分がお腹がいっぱいでも、隣人がお腹が空いていれば、平和に暮らすことはできない。」
 また「政治家も人なので過ちを犯すが、過ちを謝罪するのが人間というものだ」と、橋下市長を批判されました。

 中央大教授の吉見義明さんからは、橋下発言を検証し、慰安所での被害そのものが性奴隷そのものであること、日本軍「慰安婦」制度が日本にしかないものであること等を、具体的に事実を持って反論されました。そして「強制連行」ばかりを問題にしているが「誘拐」「人身売買」も当時の法律からして犯罪であり、また中国・フィリピンなどの戦地では力ずくの「略取」も横行し、当時の法に照らしても「慰安婦」制度は犯罪であったと喝破しました。

 尹美香ユンミヒャン 挺対協代表の「橋下市長にも娘がいるそうだが、私の娘が同じ被害にあったら、泣き叫び、狂ってしまうかも知れない。でも気が狂うほど代弁してくれる人は、ハルモニにはいない」という言葉には、少なからず衝撃を受けました。尹美香代表は、そんなハルモニたちの苦しみを多く語られました。しかし同時に希望も多く語られました。挺対協のシンボルである紫色のナビ(蝶)、それはハルモニたちの希望です。
 「2人のハルモニがもう日本に来なくてもいいように、みなさんがハルモニの希望を日本中に広めてください。より多くのナビの夢が広まれば、ベトナムにもコンゴにもウガンダにも、そして日本でも、平和な世界がやってくるでしょう!」

 また、大阪集会では、李政美イヂョンミさん、安聖民アンソンミンさんの歌が、ハルモニたちの心に寄り添っていて、とても感銘を与えてくれました。韓国から日本に渡ってきた在日1世たちと同じように、故郷を離れ北間島に移り住んだ同胞の間で歌われた「サンヂュアリラン」を安聖民さんが歌い、植民地朝鮮で祖国の解放を願い地下水脈のように歌いつながれた「鳳仙花」を李政美さんが歌いました。そして2人で「ミリャンアリラン」を歌ったときに、吉元玉ハルモニは喜びながらも恥ずかしそうに舞台に現れて一緒に歌い踊った瞬間、本当に会場は感動に包まれました。

 金福童ハルモニは「橋下市長には呆れるばかり。あの人にも娘がいるというのに、自分の娘を私たちのようにして平気なのでしょうか? そんなことをいう人に、市長である資格がありますか? 資格のない人は市長の職を辞して、子どもを育てるのに専念して欲しい」とおっしゃいました。
 全くその通りです。
 橋下市長は発言をスリカエ、ゴマカシ、時にはしおらしい態度を取りながらも、一切過去の発言を謝罪しません。マスコミのせいにし、日本人の読解力のせいにし、しかし「『慰安婦』制度が当時必要だった」という発言も、「強制連行を示す証拠はない」という発言も撤回しません。もちろん国家の責任も認めていません。国家の責任を認めない謝罪は、謝罪ではありません。それは「おかわいそうな人々」に対する同情であって、被害者はそんなものは一切求めてはいないのです。

 橋下市長の、性暴力被害者の傷に塩を塗りこむ確信犯的差別発言も、その後のスリカエ、ゴマカシ、鉄面皮ぶりも、絶対に許すことはできません。
 ハルモニたちの面会拒絶された意志を私たちも重く受け止め、ハルモニから受け取った紫のナビを胸に、橋下市長の辞任を求めて、これからも闘いつづけます。

2013年6月16日
リブ・イン・ピース☆9+25 カラン