韓国ソウル水曜デモと歴史紀行に参加して

 9月9日から9月12日にかけて、「韓国ソウル水曜デモと歴史紀行」(日本軍「慰安婦」問題・関西ネットワーク主催)のツアーに参加した。9日は初めて聞く町であった群山、翌日は群山にある米軍基地と日本軍「慰安婦」ハルモニたちが暮らすナヌムの家を訪れ、11日には水曜デモに参加した。

9/9 群山(クンサン)

長崎十八銀行

浮桟橋

1階は飲屋、2階は売春宿だった処
 1908年、大韓帝国の時代に建てられた日本家屋が沢山のこっているという群山に行った。群山はソウルから南へ高速バスで3時間以上かかるところにあった。
 ここは、1910年日韓併合後日本政府が日本人を移住させ、日本の食糧不足をうために重要な役割を果たした場所で、米を輸出する港町として中心的な場所であったことを知った。(お昼に食べた群山のお米はとても美味しかった。買って帰りたいほどだった)。
 1910年代は日本人782人、朝鮮人420人。
 1940年以降は日本人6800人 朝鮮6500人と
約半分が日本人で、群山市内に建てられた日本家屋は全体の20%。
 1933年朝鮮半島で米1630万石のうち870万石を日本が持って行っていた。

長崎十八銀行群山支店
 韓国では7番目の支店として1907年にオープンし、日本の産業資金を調達した。
 韓国人にお金を貸して返せない場合は土地を取り上げており、そのため土地は日本人のものとなった。
 小作人は50〜70%のお米を地主に渡していたため
飢餓状態だった。(自分でつくったお米を食べられないなんて…)

群山港
 第6番目に開港された。 
 日本に群山のお米を運ぶ大きな役割をはたした。

 「朝鮮産米増殖計画」土地・農業改良事業と称して土地を日本人のものにし、土地を無くした人を労働力にしてこき使い、労働力としては弱い女性を遊郭で働かせた。






9/10 群山米軍基地  基地村=アメリカタウン(米兵向けの歓楽街)

 1969年ベトナム戦争中にアメリカタウンをつくった。
 米軍基地のために独立した歓楽街(=基地村)をつくったのは韓国が唯一だった。
 また、アメリカタウンだけが米軍基地から4km離れたところにある。当初は周辺にあったが住民の反対にあって離れたところとなった。

 アメリカタウンは1969年〜2010年の間はアメリカタウン株式会社と言われたが、現在は国際文化村 "International Culture Ville"と呼ばれている。
 現在アメリカタウンには女子従業員が24名、米軍相手のバー19ヶ所、カクテルバー8ヶ所、飲食8ヶ所、生活用品売場15ヶ所あるとのこと。
 第5〜9代大統領(在任1963〜79)の 朴正煕(パクチヨンヒ)は、国の輸出の10%を稼ぐことから、ここで働く韓国の女性を「民間外交官」と呼んだそうだ。(ひどい!)
 国家が公営として性売買を指導。現在は韓国女性は減って20人位のフィリピン人がダンサーとして入っている。

 



基地入口

右上の円形状の物が油庫

鉄条網
基地の歴史
 1934年、日本支配下のもと群山に大刀洗(たちあらい)陸軍分教所がつくられ、ここで訓練を受けた人は金浦(キンポ)(軍事空港)で訓練をうけ太平洋戦争のときはここから神風特攻隊が出発した。

 1945年敗戦の10月5日に米国が入る。米機械部隊が駐屯、今は陸軍。
 アメリカ、北朝鮮との緊張激化のため2007年アパッチヘリ部隊の拡張計画が実施されはじめ、囲いも広げられたが、実際には計画が棚上げにされている。(使わないのなら返せ!)

 油庫からの油流出事故が起こり、周辺の農地が汚染されたが責任は取られていない。そのため市が調査して浄化。韓国政府が負担。
 日本と同じく韓国が在韓米軍の基地調査は出来ない。
(人の土地をかりてるのに…)















現在10人のハルモニたちが暮らすナヌムの家
 被害者と名乗り出たハルモニ237名のうち、現在56人のハルモニが存命。平均年齢80代後半。

 


9/11 1091回毎週水曜日に日本大使館前で行っているデモに参加

生憎の雨模様、
「平和の少女像」にも合羽
 生憎の雨模様、水曜デモの歌を歌ったり、河野談話を否定し日本軍性奴隷制度の歴史を改ざんしようとする安倍首相と大阪の橋下市長に対して、金福童(キムボツトン)、吉元玉(キルウォノク)らが被害にあった状況を話し、それを聞いた橋下、安倍がうなだれる、という痛快な劇を演じたりした。またいろいろな団体からのアピールがあった。
 この日は、吉元玉ハルモニお一人の参加であった。
(ハルモニたちが入退院を繰り返している現状、高齢化しており、時間が残されていないことを感じた。)

 


9/12「戦争と女性の人権博物館」見学

日本大使館前と同じ「平和の少女像」と
一緒に写真が撮れま〜す
 この博物館は日本軍「慰安婦」の歴史を通じ未来世代に平和と人権の学びの場として建設された。しかし、日本の右翼が、いやがらせのために、博物館が休みの時や月曜日に来て博物館の溝に杭を立てて帰り、それをブログにアップしているという。
 平日でもあり館内は日本語の説明テープ付でゆっくり見学ができた。

 有意義なツアーであった。私たちが知らされていない歴史、それを辿るツアーにまた参加したい。

2013年10月13日
リブ・イン・ピース☆9+25 O