昨年の通常国会での「脳死臓器移植法改悪」に反対する行動に一緒に取り組んだ阪大病院「脳死」と臓器移植の問題を考える会が、リーフレット「私は脳死判定を受けません。」を作成しましたので紹介します。脳死判定を拒否する声、脳死臓器移植に反対する声を広げるため是非活用しましょう。 2010年3月3日
もっともっとしってほしい。長期脳死の人たちのことを・・・。 「脳死」臓器移植をすすめるために、臓器移植法は改悪されてしまいました。私たち阪大病院「脳死」と臓器移植の問題を考える会では、「脳死」の概念がいかにデタラメかを簡単にまとめたリーフレットをつくりました。「私は脳死判定を受けません。愛する人にも受けさせたくありません。」の気持ちを心に刻んでいただきたい…と思うのです。 阪大病院「脳死」と臓器移植の問題を考える会 「脳死」は人の死ではありません。 死の概念は三徴候死でした。それは、脈(心臓)の停止、呼吸停止、瞳孔散大をさしています。 一つの臓器が機能不全だからという理由で「死」とすることは矛盾だらけなのです。肝臓死、腎臓死とは言いません。心臓だって、止まった時は、「心停止」と表現し、早く心臓マッサージをすれば回復することがあるのです。 「脳死」ではなく「脳不全」という状態なのです。 たとえば、交通事故で重症な脳外傷をうけたり、くも膜下出血で脳に損傷をうけても、脳は機能不全におちいっているにすぎないのです。すべての細胞がすぐに死滅するわけではありません。今まで「脳死」と診断されても、脳の一部の機能は残っている事例は数多くありました。2008年にアメリカでは、「脳死」と診断されて、臓器摘出される直前に親族が生命兆候を見つけ、その後の懸命な治療によって社会復帰した事例があるのです。 「脳死」の人は生きているのです。 長期脳死の子どもは生きている。 心臓は動き、脈を打ち、顔は赤いのです。髪の毛も伸びるし、爪も伸びます。家族の励ましで血圧が上がったり、反応を示すこともあります。人工呼吸器が命の要です。 長期脳死の人の中には、21年間も生き続けた人がいます。(アメリカのアランシューモン博士の報告)そして、今でも世界中で精一杯生きている、その人らしく生きている患者さんと、見守る家族がいます。看護師、医師たちがいます。みな心を一つにしてこの人のために精いっぱいのことをしようと結びついているのです。 「脳死」で死を宣告することは、長期脳死の子どもたちの生きる権利を奪うこと。 改悪された臓器移植法では、本人が臓器提供の意思がなくても家族が同意すれば、脳死判定され、死亡宣告され、臓器摘出されます。もし、長期脳死の子どもに、医者が「脳死状態です。」と宣告すれば、その子は殺されてしまうことになるのです。 脳死判定そのものが危険にさらすもの。 脳死判定なんて必要ないのです。 日本の脳死判定基準は世界でも厳しいといわれています。それでも、数日後に自発呼吸が出現したりして、症状が改善することが多数あります。とくに、小さな子どもは回復力が強く、まだまだ未知数なのです。 脳死判定は、救命の治療をするためではありません。重症で、必死で生きようと死の淵をさまよっている患者を崖から突き落とすようなものです。判定そのものをすべきではないのです。 生きるための救命治療の現場では、脳死判定は必要ない行為です。
皆さんのこえ 阪大病院で行われた1.29学習討論会「「脳死」は人の死ではない 改悪された臓器移植法はどうかわったのか。」参加者の声です。 ・脳死判定は全細胞死を予告できず、蘇生可能な患者も区別できないため、廃止すべきである。 ・臓器移植でない医療の確立にもっと力を入れてください。 ・「脳死」判定はしてはいけない。「医療行為」ではない。 ・生きていくことを支え続ける医療を求めます。 ・脳死=死を判定しないで。だれでも生きる権利があります。 |