<パレスチナ> 反占領・平和レポート(新) No.1
<Palestine> Anti-Occupation Pro-Peace Report (new version) No.1
イスラエルでも
歴史的画期をなす新たな闘争のうねり
In Israel too
Waves of New, Historical, and Epock-making Struggles

 「アラブの春」はイスラエルでも新たな世代の若者たちを衝き動かし、これまでにない新しい胎動が生じている。世界中で生じはじめている歴史的激動の中にあって、ここでも歴史を画するような新たな闘いがつくられつつある。
イスラエルでは、7月下旬から急速に拡大した反政府抗議行動が、9月3日(土)には45万人というイスラエル建国以来未曾有の規模に達した。当初は家賃・住宅価格の高騰に対する抗議が主要なものであったが、さまざまな要求項目が「社会的公正を求める」というスローガンに集約されるようになった。


イスラエルの中心都市の大通りにテント村
食料価格と住居費の高騰で労働者・人民の不満が爆発

 今年7月、テルアビブで家賃を払えなくなった若者が家主に追い出され、メインストリートの一角でテント生活を始めた。またたくうちに同じようなテントが数十に増え、1週間も経つうちには数百に増えた。そして、物価高騰、特に家賃・住宅価格の高騰に対して、政府に抗議する集会とデモが起きはじめた。それはすぐイスラエルの主要都市に波及し、7月23日(土)には、テルアビブで5万人超の抗議デモがおこなわれたのを筆頭に、エルサレムやハイファなど主要10都市で数千・数万人規模のデモがおこなわれた。そして9月3日(土)には45万人が参加した。
イスラエル:史上最大、45万人デモ 生活費高騰に抗議(毎日新聞)
イスラエルでデモ、計45万人参加 生活費高騰に抗議(朝日新聞)
Israeli Uprising: 400,000 Protest in Streets(動画 ロイター)
Points of view - The largest protest in Israel's history(6th August 2011)
Israel Revolution in tent city on Rothschild Street, Tel Aviv

 全世界的な経済危機はイスラエルにも及んでいる。人民生活の悪化がここ数年、急速に進んできていた。パレスチナ人民と周辺のアラブ人地域から収奪して国内の安定を確保してきたイスラエル経済が、破綻し始めている。今年6月にはチーズを中心とする乳製品価格が高騰し、全国的な抗議行動が生じていた。7月に入って、住宅価格と家賃の高騰に人々の怒りが向き始め、広範な労働者・人民の抗議行動へと発展した。それは毎週土曜日ごとにおこなわれ続けている。

 テント村ではスピーカーズ・コーナーがもうけられ、人民議会さながらの様相も呈しはじめている。スローガンは、次第に包括的な内容をもつものになり、「社会的公正」を求めるというものになっていった。

入植政策が批判の的に
 今回の運動には、これまでとは異なるいくつもの特徴がある。政府の従来の入植政策が批判されていること、組織労働者が前面に出始めていること、イスラエル国内のアラブ人とユダヤ人の共闘が大衆的なものになりはじめていることなどである。ここでもやはり若者が大きな力となっている。

 イスラエルは、1948年の建国以来たび重なる中東戦争を通じて領土を拡張し、軍事占領した土地にユダヤ人入植者の町を建設してきた。その入植政策が、イスラエルの国内矛盾を押さえ込み社会的安定を確保する重要な柱のひとつとなってきた。それが今、大衆的批判にさらされているのである。

 また、これまでは住宅問題での抗議行動といえば、主にイスラエル内の最下層であるアラブ人が中心であった。だが、今回の闘争では、従来の構図が大きく変わろうとしている。若者を中心に一切の差別と排除を拒否し、ユダヤ人アラブ人を問わず貧困層や労働者・公務員などが加わって、大衆的な運動となっているのである。8月1日には、この抗議行動に賛同・連帯して自治体労働者が一日ゼネストをおこなった。

(イスラエル社会は基本的に3層構造をなしている。1948年のイスラエル建国時(第1次中東戦争)に、パレスチナ地域に居住していた70万人超のアラブ人がイスラエル軍によって強制的に追い出され、パレスチナ難民となったが、イスラエルの国土となった地域に居住し続けたアラブ人は、イスラエル国内の二流市民として最下層を形成した。一級市民としてのユダヤ人にも階層があり、中東地域出身者はミズラヒーと呼ばれ、欧米諸国出身のユダヤ人はアシュケナジーと呼ばれる。政財界その他のエリート層を形成しているのはアシュケナジーで、これに対してミズラヒーはユダヤ人の中の下層を形成している。イスラエルの支配層は、このミズラヒーの鬱屈した不満を利用し、そのはけ口を入植政策とパレスチナ人や周辺アラブ諸国に対する支配・抑圧、軍事挑発に求め、国内矛盾を対外矛盾に転化してきた。)

 今回の抗議行動では、国家予算を入植地と入植者に多く注ぎ込んできたことが批判の的となり、都市部での低価格住宅建設に予算を回せという要求が出されている。主要な要求項目は、住宅価格の引き下げ、公教育の完全無料化、基本食料の国家管理、労働者の賃金引き上げなどである。

 現在起こっている大衆的な抗議行動は、昨年末頃から散発的に生じていた運動が次第にひとつの流れに集約されてきたものといえる。昨年12月から今年1月にかけて、外務省の職員が賃上げと労働条件改善を求めて職場放棄した。2月にはソーシャル・ワーカーが同様の要求を掲げてストライキをおこなった。イスラエル最大の労組「ヒスタドルート(労働総同盟)」がそれを支持し、ゼネストを警告することで資本家と政府から一定の譲歩を引き出した。5月には鉄道労働者の戦闘的なストライキが起こった。裁判所が職場に戻るように命令を出したが、労働者たちはそれを無視してストを継続し、指導者たちが逮捕された。このような流れの中で、6月に食料品価格の高騰で、7月には住居費の高騰で、広範な人民の怒りが爆発したのである。

軍事的挑発で緊張を高めて乗り切る従来の策動は破綻
 7月下旬にはじまった大衆的な反政府抗議行動は、8月6日(土)にひとつのピークを迎えた。テルアビブを中心として30万人超の抗議行動がおこなわれ、イスラエルの歴史を変える出来事だと報じられた。人口約760万人のイスラエルで、数万人規模から15万人、30万人超へと拡大したのである。

 ハマスとの間で事実上の停戦状態にあったイスラエル軍が、このころから軍事挑発を活発化させた。これまで繰り返し繰り返しおこなわれてきたパターンである。イスラエル国内での反戦・平和運動や反政府運動は、そのたびに急速にしぼむのが常であった。

 イスラエル国内で反戦・平和・パレスチナ連帯運動を闘い続けている団体「グーシュ・シャローム」を主催するウリ・アヴネリ氏は、8月6日の時点で、やがて軍事的挑発がおこなわれるであろう、そのときこの運動がもちこたえるかどうかが問題だ、と論じ警告を発していた。

 実際にその通りの事態が8月を通して生じた。対政府抗議行動は約1ヶ月低迷した。だが、若者たちを中心とする今回の運動は、極右政府・軍部・支配層の、軍事によって国内矛盾を押さえ込もうとする策動をついに乗り越えた。9月3日(土)の抗議行動は、イスラエル建国以来例を見ない規模に達したのである。

激変に対応しきれない米・イスラエル
イスラエルの孤立化と焦点化するパレスチナ国家の国連承認

 オバマ政権の登場とともにパレスチナ和平交渉の新たな試みが開始されたが、それはイスラエル・ネタニヤフ政権の入植地拡大強行によって頓挫し、昨年9月以降、交渉はおこなわれていない。パレスチナ自治政府は、交渉が再開されなければ今年9月下旬の国連総会でパレスチナ国家の承認を求めるという方針を固め、膠着した事態の打開を図ろうとした。

 イスラエルがこの地域で「平和条約」を締結している国はトルコとエジプトであるが、ここ数年トルコとの関係が悪化してきていた。それが昨年5月末、トルコ人の人権活動家を中心とするガザ救援物資輸送船をイスラエル軍が襲撃したことによって、いっそう悪化していた。そこへ「アラブの春」がはじまり、エジプトでムバラク政権が倒れ、イスラエルの政治的孤立化がいっそう深まった。また、ラテンアメリカを中心にパレスチナ国家を承認する動きも広がってきていた。6月にはトルコも承認に賛成する意向を表明した。

 さらにイスラエルは、エジプトともトルコともいっそう関係を悪化させている。8月の軍事的挑発のさなかにエジプトの治安要員5人がイスラエル軍の発砲によって死亡したことで、エジプトは駐イスラエル大使を召還し、平和条約の見直しまで示唆した。トルコとの間では、昨年5月のイスラエル軍によるガザ救援船襲撃で、トルコ政府はすでに駐イスラエル大使を召還していた。そこへ9月2日、この件で国連調査報告が出され、イスラエル軍の過剰対応を認定して謝罪と賠償を勧告した。それに対してイスラエルが拒否したので、トルコ政府はトルコ駐在のイスラエル大使を国外追放とする処置をとった。

 米国の中東支配の要であるイスラエルの孤立化が深まる中で、新たな対応を余儀なくされたオバマ政権は、1967年の第3次中東戦争以前の国境線にもとづく和平を再びセンセーショナルにぶち上げることで、パレスチナ自治政府に国連承認を断念させようと画策した。だがそれは、イスラエル政府との事前の意思疎通と根回しの後に表明され、またすぐ後で在米イスラエル人団体に「議論の出発点を提示しただけである」と釈明するという、演出されたパフォーマンス的なものであった。
オバマ提案は、イスラエルの入植の停止とも入植地からの完全撤退とも言っていない。相変わらず入植は続いている。「1967年の国境線にもとづく和平」とは、1967年の国境線までイスラエルが撤退するという意味ではなくて、その時の国境線を参考にして新たな国境線を決めるという、イスラエルの侵略・領土拡張を前提にしたものである。

(1967年の第3次中東戦争で、イスラエルはヨルダン川西岸とガザ地区を支配下に置き、エジプト国境のシナイ半島と、シリアおよびヨルダンとの国境のゴラン高原を軍事占領した。これまでの中東和平交渉は、ほぼこの第3次中東戦争前の「1967年国境線」を軸としておこなわれてきた。)

 パレスチナ自治政府は、イスラエルと米国に一定の譲歩を求める意図で国連の国家承認を持ち出したのだが、若者を中心とするパレスチナ人民の新たな突き上げと、中東全域さらには全世界的なパレスチナ連帯闘争の圧力を受けて、引くに引けなくなっている。今のところ、パレスチナ自治政府は国連で国家承認を求める方針を堅持している。だが、米国とイスラエル政府によるさまざまな駆け引きが活発化しているので、最後まで予断を許さない。オバマ大統領の表明に即座に反発し拒否したはずのネタニヤフ首相は、その後67年の国境線を受け入れて和平交渉をおこなう考えを表明し、揺さぶりをかけた。米国は拒否権を行使することになると繰り返し警告し、パレスチナ自治政府に国連での国家承認を断念させようと努力し続けている。

 米国は、これまで一貫してイスラエルとパレスチナの「直接交渉」という方針の下でパレスチナ和平交渉を取り仕切り、自らの手の内にすべてを掌握しようとしてきた。だがその構図は崩れようとしている。今回の国連での結果がどうなろうとも、米国の力の衰退と中東全域を揺るがす民衆の革命的運動によって、米国による従来の形での中東支配は立ち行かなくなってきている。

2011年9月15日
リブ・イン・ピース☆9+25 (H.Y.)