[書籍紹介]アレイダの中からキューバ革命とゲバラの精神が湧き出てくる
「父ゲバラとともに、勝利の日まで――アレイダ・ゲバラの2週間」
(同時代社 星野弥生編・訳)

 「父ゲバラとともに、勝利の日まで−−アレイダゲバラの2週間」(同時代社 星野弥生編・訳)は、チェ・ゲバラの娘アレイダ・ゲバラが昨年5月に来日したときの講演録である。私たちもアレイダの講演会などに参加し、キューバで育った「新しい人間」「社会主義的人間」の姿に圧倒された。本書では私たちが直接聞くことのできなかった各地での講演も網羅され、アレイダの考えや行動の全体がわかるようになっている。時に日本人スタッフとの軋轢も生み出しながら、超多忙の殺人的スケジュールをこなし、「アレイダ旋風」を巻き起こした様子が生き生きと伝わってくる。
 この本が貴重であると思うのは、アレイダというキューバ市民自身がキューバについて肉声で語っている点だ。彼女の関心はキューバと世界のすべてにわたる。あるところでは米国の経済制裁に対して厳しく批判する。グローバリズムによる搾取と収奪を糾弾し国際連帯を訴える。「敵にも白いバラをあげよう」というホセ・マルティのことばでキューバ革命の源流を説く。これまでも最高指導者としてのフィデル・カストロがキューバを語るというのはあったが、キューバ市民がトータルにキューバを肉声で語るというのはなかったのではないか。アレイダの発言もこの本も、彼女自身の内部からキューバ革命そのものが、ゲバラの精神そのものがいくらでも湧き出てくるという感じがする。

やっぱりすごい、キューバ社会での「当たり前」
 たしかに私たちはアレイダをチェ・ゲバラの娘として特別視してしまう。もちろん彼女は「チェの娘」であることに誇りを持ち、最大限の敬意を示し、父親に恋しているようでさえある。だが彼女は自分が特別な人間ではなく、「キューバの一市民」「普通の小児科医」「子どもを持つ普通の母親」であることを強調する。これはどういう意味なのだろう。
 次のようなエピソードがある。日本に来る飛行機の中で急病人が出てアレイダが手当をした、みんなはそれを礼賛するのだが、それは当たり前のことだ、特別なことではないとアレイダは強く言う。ただこの当たり前というのは「人間として、医師として当たり前」という一般的な意味だけでなく、「小児科医が大人を診ることが出来る」という医療・医師水準がキューバでは当たり前だということを意味しているようだ。日本では医療が細分化されていて、内科医が外科を、小児科医が大人をというのは尻込みしてしまうという日本人医師の発言もある。別のエピソードでは、ある病院を訪れたとき、たまたまアトピーの子どもが診察に来た、そこでアレイダがその子どもを診ることになるが、それが病気を診るだけでなく患者そのものと接しているというのがわかり、キューバの無料の医療もすごいが、それ以上に医師のあり方に感銘を受けるという医師の話もある。
 キューバにおける医師の医療観とでもいうものが日本とは雲泥の差があるのではないか。もちろん医師だけではなくてどんな職業の人にも当てはまる。「社会のために役に立つ人間かどうか」という精神が貫かれる。医師や他の科学者・専門家なども、大衆の必要・共同体の要請から自分たちの仕事を定めていくことが必要だという考えがある。だからキューバでも医師や学校の先生に比べて町の清掃員などは社会的なステータスは低いが、だからといって彼らが蔑まれることはないという。仕事として高度な知識や経験が必要かどうかという点では異なっているが、社会に役立つ人間として誰もが対等で尊厳が守られているのである。

新しい人間になるという事業
 アレイダ自身、「重要なことは私がキューバで教育を受け、大切にされ、愛されて育ったということだ」と、「チェの娘」であるからではなく、キューバでの教育と社会的関係、医療教育がアレイダを育て上げたという点を強調する。ところがそれはまた単にキューバでの教育や日常的な経験の積み重ねだけを意味しているわけではないようだ。アレイダは人生の大きな転換点として、ニカラグアとアンゴラへ医療支援に行ったことを挙げる。二十歳そこそこの若い娘が、何もわからずに内戦のまっただ中の国に放り出され、戦争とは何か、貧困とは何か、そして国際連帯とは何かを学んでいく。アレイダの言う「キューバによって育てられた」にはそのような意味もある。
 「『連帯』とは余っているものをくれてやるのではなく、自分に必要なものを分かち合うことだ。人のためになることが喜びである」(昨年5月の大阪での講演より)という考えは、このような国家的な国際連帯事業の中で生み出されるのだろう。しかも、このような事業の継続は、自国人民の支持なしには不可能だ。アレイダはチェの次のような言葉を引用し、労働の中で「人をつくりだす」ことの決定的な意義を説く。社会が大きな発展を遂げたとしても、豊かな消費物資を作り出したとしても「私たちが新しい人間になることが出来なかったら、前に進むことはできない」と。

根底にある「人間的なもの」への愛
 チェ・ゲバラは、「社会主義における新しい人間」(『ゲバラ 世界を語る』中公文庫に所収)でキューバの指導者の資質として、「「生きた人類に対するこの愛が、感動的な力となり、模範となる実際行動に変わるように、我々は日々奮闘せねばならない」と言っている。「生きた人類に対するこの愛」とはそれだけをとれば抽象的な言葉だが、まさしく、搾取された者 貧しい者、虐げられた者、医療や教育から排除された者、権利を奪われた者−−そのような人たちの苦しみや悲しみを自分のものとして受け止められる感性と能力、そしてその解放のために行動できる能力こそが、ゲバラの言う「新しい人間」の資質なのだろうと思う。アレイダはこれを「世界の苦痛に敏感であってほしい」と表現する。共苦・共感の感覚という考え方だ。また、戸井十月氏はゲバラの最も優れた資質として「人を愛する才能」と皆が口をそろえて答えたというエピソードを紹介している(「チェ・ゲバラの遥かな旅」戸井十月)。
 アレイダやチェは、社会主義革命とその精神の基礎としてのあるいは前提としての人間的なものをごく自然に非常に重んじていることがわかる。「正直」や「誠実」というような日本では気恥ずかしくなるような言葉を絶えず、心底から大事にしている。労働者や人民のために、社会のために、さらに革命のためにというようなことを、悲壮感やエリート主義、ステレオタイプではなく、当り前のこととして、日常的なこととして実践しているようにみえる。そして何より、それらのことを楽しみながら、人生の歓びの中で行っているようにみえる。これはキューバ的・ラテンアメリカ的特色だろうか、それとも真の人民革命が本来持っているものなのだろうか?そして、やはりアレイダは「特別な人間」なのか、それとも「キューバでは当たり前の人」なのか。私たちも、頭ではなく体全体で学び取りたい。

2009年3月3日
リブ・イン・ピース☆9+25 N.T.K.


[参考記事]
[アレイダ・ゲバラさんの講演を聴いて]新しい社会と新しい人間−−キューバに生きるチェ・ゲバラの精神(署名事務局)
[投稿]アレイダ・ゲバラさん@神戸 「キューバ医療」を語る(署名事務局)