革命前のキューバでは一握りの金持ちが富を持ち、キューバ人の多くが失業、貧困、抑圧、病気などに苦しんでいました。アメリカ帝国主義はキューバを植民地にし、途上国のキューバがアメリカ帝国主義を養うといった状況でした。そのキューバを牛耳っていたバチスタ政権とアメリカ資本の支配を打ち倒すために、カストロは革命を決意します。 「グランマ号」でキューバに到達した82人の革命戦士たちは政府軍の攻撃に遭い、12人になってしまいますが、フィデル・カストロと弟のラウル、ゲバラらはシエラ・マエストラを拠点として2年にわたってゲリラ戦を展開し、徐々に解放区を拡大し、ついには政府軍を倒し、1959年1月1日ハバナへと入城します。そのゲリラ戦が生き生きと描かれています。そしてその中で、チェ・ゲバラが果たした役割はとてつもなく大きいものです。 映画は戦闘シーンの連続ですが、この「革命戦争」の闘い方の中に、なぜたった12人から始まった闘いが革命に勝利できたのかの答えが隠されています。チェの闘い方はアメリカ軍や戦前の天皇の軍隊とは全然違ったものです。農民を尊敬しろと徹底し、自ら山中で出会った農民と握手を交わし、相手の名前を聞き自己紹介をする。人民の財産を盗んだり、レイプするなどはもってのほか。イラクやアフガニスタンの市民を殺しまくり、虐待しているアメリカ軍とは大違いです。また、負傷兵は戦場に置き去りにしない。敵兵であっても負傷し捕虜となれば丁重に扱い治療をしてやる。戦前の中国の首都南京などで捕虜を大量に虐殺したり、捕虜を生体実験に使った日本軍とも大違いです。チェは不正な行いには味方の兵であっても容赦はしません。脱走した兵が密告しその結果農民が惨殺されたり、女性のレイプには死刑を持って臨みます。戦術や戦闘技術、武器ももちろん重要ですが、ゲリラ戦の勝敗は、どれだけ人民の立場に立ち、人民の心をつかみ、人民の支持を得ることが出来るのかにかかっていると強く思いました。 人民の側に徹底して立った闘い方をしたチェの軍隊には共に闘いたいという市民が続々と押し寄せます。一人一人の兵士が自由を求め自らの死を顧みず勇敢に戦ったことでバチスタ軍をうち破ったのです。街を圧政から開放すると市民が大勢出てきてチェたちを歓迎しますが、こういった場面もキューバ革命が人民革命であったことを象徴するものです。革命後、チェは「いまだに開放されない中南米の人民にとってキューバは希望の星なのだ」と語ります。この言葉は、今も生き続けていると思います。 今回試写会で放映された映画「チェ 28歳の革命」は「チェ 39歳 別れの手紙」との2部作になっています。来年2009年はキューバ革命50周年。両方の映画は新春ロードショーです。待ち遠しいものです。 なお、ゲバラの生涯については、「チェ・ゲバラの遥かな旅」 (戸井十月著 集英社文庫)がおすすめです。 2008年11月15日 「小さな国の大きな奇跡」を読んで私が思ったこと(リブ・イン・ピース☆9+25) [アレイダ・ゲバラさんの講演を聴いて]新しい社会と新しい人間――キューバに生きるチェ・ゲバラの精神(署名事務局) 署名事務局キューバ関係記事 |