戦場の生々しい証言と、オバマの誤った戦争に協力しないよう呼びかけ
――アダムとリックからのメッセージ

[報告]9月20日「冬の兵士」証言集会in大阪



 9月20日、冬の兵士日本ツアー(東京・沖縄・大阪・京都・名古屋)の一環として「イラク・アフガニスタン帰還兵の証言集会『冬の兵士』in大阪」が行われた。主催は「冬の兵士」招請委員会・大阪。プレ企画の「冬の兵士」上映会には約60名が、集会には150人を超える市民が参加し会場は満員となった。
 まず大阪集会の主催者が、イラク・アフガン戦争の過酷な戦場体験と戦争犯罪の全体を明らかにしたウィンターソルジャー公聴会の意義を述べ、アダム・コケシュ氏(27歳)とリック・レイズ氏(29歳)が日本へ証言に来たことへの謝意を表した。続いてこのツアーを企画した冬の兵士製作委員会の田保寿一氏が挨拶に立った。田保氏は、すでに参議員会館の証言集会に民主党議員らが参加した意義を強調し、民主党は一つではなく米軍への協力について積極的な議員もいれば反対の議員もいる、2人の証言をどう党内で生かしてもらえるか、もう強い影響を与えていると力強く参加者に呼びかけた。
 アダム氏とリック氏の証言はあわせて約1時間。その後1時間以上にわたって質疑応答が行われ、会場から次々と手があがった。双方に通訳が必要という制約があったが、その間も会場は緊張感につつまれ、18人が質問に立った。2人は丁寧に、しかも質問者の意図・内容を把握して簡潔に答えていた。2人と参加者市民の気持ちが伝わり、意見交換・交流していると強く感じられる集会であった。

アダム・コケシュ氏の証言
 ニューメキシコ先住民進学準備校にいたが、大学にも行きたいため17歳で海兵隊予備役(週末と夏の訓練のみ)に入隊した。私はイラクについて当局の言うことは信じていたが、戦争には反対だった。すでに大学でピースウォークをやり反戦活動に関わっていた。
 私は民生部に応募し、2004年2月〜9月まで3等軍曹としてイラクで任務についた。
今でもイラク・アフガンで戦争が続いている。当時2003年5月に終結したと言われたが、それから占領が続き、搾取し続けることになった。それを持続するために地上軍が居座り続けている。当時はそのまま当局のことを信じており、米軍が行った戦争の後始末をして復興する、その為の仕事をすることを誇りに思っていた。だが行ってみるとまるで違っていた。
 それだけではない。仕事をするためには、“どうかお願いします”と歩兵大隊の後にくっ付いて行くしかなかった。存在を示すため「あなたのお悩み代行します」とアピールした。当時はおもしろいキャッチフレーズと思っていた。しかし、イラクの様々な問題にぶつかって心がかき乱された。つまり私達の仕事・復興のためにやっていると思っていた仕事は、歩兵隊のため、司令官のため、大統領のため、彼等が“心配しないでいられるよう”にすることだった。すなわち民生部の目的はただ一つ、占領を美化するためでしかなかったのだ。民生部の仕事が一番大切、これからはこれが一番大切、先頭に居るんだといわれたが、現実をごまかしていると気づいた。
 私の班は2004年4月、ファルージャの川で人々の出入りをコントロールしていた。時期はブラックウォーター社の4人が橋に吊るされた時期。6人編成の3グループで、25万人の町全体を担当していた。北はクルドで、南は米軍がいるためみな動けなかった。人々は食べ物を手にいれられなかった。500人の人に食べ物を与えたが、残りほとんど25万人には何も出来なかった。

アダムが示した地図。ブラックウォーター社社員がつるされたのはメインブリッジ。ブルックリン橋でアダムらは、14歳以上の男を町中に戻す検問活動を行った。橋が完全封鎖され、北にクルド部隊、南に米軍が配置されると、住民は袋のネズミに陥ることが分かる。(2004年4月)
 私の友人は砲兵隊にいたが、同じ時期、彼らは大型の大砲を撃ち込んでいた。一つ一つから紫色の煙があがっていた。友人の部隊は不発弾の処理をするため派遣された。米軍が使う爆弾は強烈で、1個で家がなくなる位だ。爆弾はボーリングの玉位の大きさ。その中に小さい爆弾がたくさん入っていて炸裂する(クラスター爆弾)。しかし、不発のものも多い。米兵がその不発だった爆弾の爆発によって負傷することもある。ある日子どもがその小さい不発爆弾にヒモをつけて振り回して遊んでいた。すると突然爆発し、子どもが吹っ飛び肉片となった。それを友人は見た。
 空爆・砲撃がつづいていたある時期、子ども(14歳以下の男子)と女性をファルージャから外に出そうという決定がなされた。当時は慈悲深い崇高な決定と思っていた。しかしそれは大人の男性の家族と別れるか、死を覚悟して一緒に残るかという選択を迫るものだった。実際に街から出たのはわずかな老齢の女性たちだけだった。外に出たとしても何の安全もなく、多くの難民をつくりだすことになった。
 この占領で、250万人が国外難民、250万人が国内難民になった。この戦争で命を落とした人は100万人にのぼるといわれている。それが人口2500万人の国で起こっている。規模を考えてもらいたい。米国政府は搾取を続け、それを拒むことを阻止するという犯罪をおかしている。米国政府はかつての日本と同じ、帝国主義だ。私は日本国憲法9条に敬意を表したい。それが支持されていることに礼を言いたい。しかし、残念なことに日本政府の採っている行動は9条に違反していると思う。日本政府も国民も米国のこのような政策を支持する義務はない。あるのは抵抗する義務のみだと思う。このツアーで第二次大戦に行った人たち(旧日本兵)に会った。彼らは若い人々に伝える活動をしている。私たちの努力は一つのものだ、戦争を終わらせる手段として証言活動をしている。

リック・レイズ氏の証言
 私は国のため、自由と正義のため、海兵隊に入隊することで愛国者の夢が実現すると思っていた。9・11以後に目撃し体験したことで、私の夢は永遠に消えた。それで、命を懸けようとしたことへの異議を申し立てた。軍事力による米国の対外政策は無力であるということ、米国の安全保障になっていない、欲と利権にのみ奉仕していると。
 私は9・11事件が起こった時、オーストラリアにいた。“米国が攻撃されている”と連絡があった。その翌日、インド洋に出発し、1ヶ月命令を待った。アフガニスタンに入ろうとした1日前から空爆が始まった。アフガニスタンでの任務は、タリバン・アルカイダと思われる者を見つけて拘束することだった。夜間パトロールと夜間急襲・家宅捜索を行ったが、私達が情報を得るのは通訳を通じてで、通報者はお金が目的で情報をくれた。その情報はウソばかりだった。提供された情報に基づいて、ドア、窓、テーブル、人まで全てを破壊した。市民と武装勢力を区別などできない。だれもかれも、イスラム教徒をすべてテロリストとみなした。しかし、一度も犯罪者に出会ったことはない。今日アフガンでは、PRT(地域復興支援チーム)という名前で行われているが、私たちとまったく同じやり方だ。
※集会後の親睦会などでリック氏はこの掃討作戦をさらにリアルに語った。対立関係にある人物や家族を米軍に襲わせるために偽情報を通報する者たちがたくさんいたという。また、何回くらい家宅捜索に行ったのかという質問に対して、「毎日行ったので数えられない」と答えた。そして、特定の宿営地にいると狙われるため、毎日寝るところを変えたという。「泥の中で眠った」といって笑っていた。夜中に襲撃し、昼間は報復におびえながら泥の中に身を潜め、夜になると襲撃するという過酷な任務を連日遂行していたのである。一般にリック氏が係わった2001年の秋から2002年の春は地上戦を北部同盟が遂行したと報道されているが、米海兵隊も中心的役割を果たしていたことは新たな証言である。リック氏は「侵略を行う部隊が北部同盟か海兵隊かを区別することに意味があるのか」という疑問を投げかけ、軍上層は我々をコマとして扱い、あるときは北部同盟をあるときは海兵隊を配置したに過ぎなかったと語った。

 今年8月から9月はじめ、民間人としてアフガニスタンを再訪した。カブールで、国連の人々、アフガン政府民生担当、「戦争と平和協会」のジャーナリストなど多くの人と会った。そして確認したのは、米国の政策は今も同じ間違いを犯しているということだ。アフガニスタンの最大の敵が分かった。タリバンではない。アフガンの人々にとって最大の敵は米国と連合軍とアフガン政府だということだ。政府の政策が国民の利益と反する時、真の正義は国民の為に闘うことであるはずだ。

質疑応答
 参加者は目前の帰還兵から、イラク・アフガン戦争の本当の姿を聞き、彼等の勇気ある闘いや、豊かな人間性に惜しみなく連帯の拍手を送った。証言の後、参加者は質問や意見表明を求め、次々と手をあげた。時間の制約の中で18名の人が発言できた。その応答によって、証言では語られなかった2人の体験や意見・主張が展開され、証言集会の内容をより有意義なものにすることが出来た。

オバマ政権の評価――これまでで最も危険な政権
 オバマ政権についての評価はきわめて厳しいものだった。アダム氏は、「これまでの中で一番マシな政権かもしれないが」という質問者に対して、「オバマ政権はプロパガンダ・マシーンを使って良い政権だと演出しているという点で、これまでで最も危険な政権だ」と酷評した。そして「人々は変化を求めているが、オバマの後ろでうごめいているのはブッシュの時の人達だ」と批判した。リック氏は、「オバマは良い戦争、必要な戦争と言っているが、良い戦争などない」と、イラク・アフガン政策を批判した。

マスコミのプロパガンダ
 マスコミについての質問があった。リック氏は、「選択しているもの、検閲されているものとされていないメディアがある。選択しているのはマスメディアだ」と批判した。「アフガンではメディアから2500万人が排除されている。メディアは難民を報道しない。『戦争と平和協会』の活動家は地下活動をしないといけない。良い指導者は亡命している。米政府は現在の政府を支持しているから、本当の情報はでてこない」と批判した。アダム氏も厳しい評価だった。「マスコミは道具だ、それを政府は利用している。もちろん私達も出来るだけ利用する。マスコミは直接・間接に企業に奉仕する。オルタナティブをたてて対抗する必要がある。私は大手のメディアをチェックするが信用はしない、他の多くのメディアをチェックするが、それに代わる独自のメディアを育て支援していくことが必要だと思う」と語った。

IVAW、反戦運動とのかかわり
 IVAW(反戦イラク帰還兵の会)での活動と彼らの思い、「冬の兵士」という活動を始めたきっかけについての回答は興味深いものだった。
 アダム氏は、イラクから帰って、インターネットを探っているとき、IVAWに出会ったという。これこそが自分がめざしているものだ、と。「当初は、現に戦争が続いているときに、戦場体験の証言をすること、活動家になることの意味も解っていなかったが、活動のなかで色々のことが解り感情も豊かになった」という。「冬の兵士」をやろうと思ったきっかけは、「感情面からは、アメリカの人々が何も知らされていないというフラストレーションからきたものだ。それが証言集会へ向かわせた」と。また彼は、アダムとリックの2人の戦場の体験は一部に過ぎない。様々な人が組織として取り組み、1人ではカバーできない全体像が見えてきたと評価している。
 リック氏は、「帰還兵として帰った時、自分が怒りっぽいと気付いた。この怒りを家族・友人にぶっつけたり、楽しいことから自分を遠ざけたりした。何でこんなに怒りっぽいんだろう、何に怒っているんだろうと考えているうちに、自分の怒りは隣人・家族に対してではなく、米政府に対するものだと気付いた。自分の愛国心、国のために命も捧げようと思っていたが、これを利用したのは、企業・一部の人だった。それがわかって怒りから解放された。考えが変化し、米政府の政策が安全保障にも、アフガンの人々のためにも役に立たないとわかった」。リック氏は占領に対する考えが変わり、人権に対する考えが強くなったという。それで反戦運動をしたいという思いに至った。

アフガニスタン人民の敵は米軍とアフガン政権
 リック氏は証言で、敵はアルカイダではなく米・連合軍と確信したと証言していた。会場から、そのように確信したのはなぜかという質問が出された。リック氏はそれに対して以下のように答えた。「アフガンには企業がない、資源がない、皆が失業し教育もない。どうして生きていくか。難民キャンプの写真を見てほしい、いかに貧しいか(といってリック氏は会場に写真を回す)。このような状況にほとんどの国民が置かれている。首都カブールには何十億ドルという支援があるが一般国民には何も届いていない。これを見れば彼等の敵がわかる。アフガン政府は何もしない、タリバンは支援を示す。生きていくためにタリバンに付いていく」。
 また、リック氏は、メディアに登場しない話として次のように語った。アフガン・ヘルマンド州で700人の難民キャンプを訪問した。1年前、爆撃をうけ、難民キャンプができた。人々はカブールに逃れてきた。しかし、アフガン政府からも国連からも支援がない。彼らが受け取った支援は100人に対し一日あたり4ポンドの米だけだ。これが支援の総てだった。この100人のグループの中の一人は、空爆で5人の家族を失った。生き残った娘は腕を失っていた。この男性は合法的な保障を要求する書類を出したが、一年半後もなんの保障もしていない。そしてメディアはなにも報道してない。

米兵の戦争犯罪について
 IVAW(反戦イラク帰還兵の会)のメンバーの戦争犯罪についての質問があった。アダム氏は、歴史の真実を曲げた者が裁きをうけるとし、IVAWのメンバーの中にも自分が戦争犯罪を犯したと思っている人がいるが、戦争犯罪というのは個々の兵士に責任があるというのではなく、政策立案者に自分自身を処罰しなさいということだと語った。そして、最後に末端で引き金を引いた人の責任を問うと、次々に上がっていって司令官、大統領へと波及していくので誰も追及しないとして、戦争責任を回避するシステムが存在していることを問題にした。彼らの証言活動が、人々に真実を伝え、システムへの抵抗を育てることを目標をおいていると語った。

「今『出口戦略』について議論するのは、ばかげている」
 最後にアダム氏から強烈な回答があった。それは「出口戦略」についてどう考えているか、イラク・アフガンへの賠償を言われているがどうなっているか、という質問を受けた時のことだ。アダム氏は、「今『出口戦略』について議論するのは、私がこの会場からどうやって出るかを議論するのと同じくらいばかげている。イラクに対する賠償は大切だが、今は占領を終わらせることが第一だ」と言い切った。怒りとも苛立ちともとれる口調で答えたのは、「出口戦略」という言葉の中にすでにイラク・アフガン戦争の肯定と勝利した上での撤退という意味が込められていたからだろう。「質問者は私の証言から何を学んだのか」というアダム氏の声が聞こえてきそうだった。悲惨な戦争・占領を止めさせ、米軍を撤退させることがいかに急務で大切か、その為につらい証言をしているんだという思いがジンと伝わってきた。

憲法9条を守り、オバマの戦争に協力しないよう日本政府に強く求める
 この他にも、米国での反戦運動への監視と弾圧、現在の米国内の反戦の歌や音楽への評価、2人が入れているタトゥーの意味等々、様々な質問が出されそれぞれ興味深い回答があったがここでは割愛する。
 集会の最後にアダム氏とリック氏は立ち上がり、「大切にしていることは多くの人と手をつなぐこと、ここに来られた皆さんも、周りの人に広げてほしい」と集会を締めくくった。今、国連ではオバマ政権が、イラク・アフガニスタン戦争に口をつぐみ、抽象的な「核廃絶」で国際協調を呼びかけている。民主党・鳩山政権はオバマに対して、日米同盟を外交政策の基軸にすると説明している。その中で、イラク・アフガニスタン戦争が誤りであり、米と同盟軍の駐留こそが現地での混乱の最大の原因となっていること、米軍がいますぐ撤退すべきことをきっぱりと主張し、そのような誤ったオバマの政策に日本政府が協力しないよう強く求めた。憲法9条を誇りとして守っていくよう呼びかけた。闘う側の国際連帯として、今回の証言集会は貴重な体験だった。アダム氏、リック氏、そして関係者の皆さんに改めて感謝したい。

※当日会場でお願いした招請カンパに、96000円あまりが寄せられました。このカンパは全額、招請活動を行った「冬の兵士」制作委員会にカンパしました。また、リブ・イン・ピース☆9+25と招請委員会・大阪からの事前の呼びかけに対して、全国から12万円を超すカンパが寄せられました。このカンパによって講演者への謝礼や事務経費をまかない大阪集会を成功させることができました。カンパを寄せてくださった皆様、スタッフとして加わってくださった皆さん、当日集会に足を運んで下さった皆さんに心よりお礼申し上げます。

2009年10月4日
リブ・イン・ピース☆9+25