この場面は、全体の中でも特にイラク戦争の残虐性を語る重要な場面だと思います。死体の写真や攻撃の写真があるわけではなく、橋の上に男たちが数人立っている写真です。しかし、胸が苦しくなるほど重い気分にさせられます。 これは、ファルージャ包囲についての証言です。生々しい殺りくの証言ではありませんが、ファルージャで何が起こったかを想像させてあまりある内容です。 アダム・コケシュは言います、「ファルージャを包囲したとき、我々は女性と子供を出そうとした、立派なことをしているつもりだった。ファルージャの西、ユーフラテス川北の橋で、男は14歳未満でないと出さないと決めたので、男達を追い返しているところです、寛大なことをしているつもりだったが、私はひどい意思決定を家族に強制したと思うようになった。」 そして彼は、「夜間外出禁止令を出した時、夜にはあらゆるものを撃つことが許された」といいます。 「女と14歳未満の男だけは町から出す、14歳以上の男は町へ残れ」−−このような命令は何を意味するのでしょうか。町を包囲し、中にいる者はすべて「テロリスト」として皆殺しにするという作戦しかありえません。そして現にそういうことが起こりました。 コケシュは「女性と子供を外に出そうとしたが、多くは出なかった。」と付け加えました。女たちは、みすみす虐殺させるために男たちを残していくことなど出来ず、多くが一緒に残ったのです。これは現場にいたものだけが出来る貴重な証言です。 2004年4月と11月ファルージャの大虐殺。ファルージャ市民を袋のネズミにして虐殺させるために、検問所で男たちを追い返す任務に就いた兵士たちの苦悩が描かれています。 2009年3月8日 パンフレット案内 [イラク戦争被害の記録]2004年11月:ファルージャの大虐殺(署名事務局) 今も続く “ファルージャの大虐殺”−−飢餓、無差別射撃、避難民(署名事務局) 「イラク戦争被害の記録」の2004年11月12日付で、「米軍、封鎖線で”生きる者と死ぬ者へ選別”−−男性全員を市街戦の市内へ追い返し、空爆、砲撃、銃撃で皆殺しに!」の記事を掲載しています。(署名事務局) ファルージャの大虐殺を今すぐ中止せよ!(署名事務局) |